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【雑感】コロナで、痩せた。

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ゆでたまごのすけです。 すっかり更新がご無沙汰になりました。その間、コロナがありました。いや、まだあります、ですかね。おかげですっかり暇になりました。そのわりには更新が滞ってるのはどういうことやねん、というツッコみ、大歓迎です。はい、求人関連の仕事は暇になったんですが、それでは食っていけないということで、いろんな仕事の可能性を模索し続けていたため、自身のブログの更新どころの騒ぎではなかった、ということであります。 で、今回のタイトルですが、コロナで痩せたんです。いや、コロナのせいで痩せたわけではないですし、なんなら罹患したわけでもありません。コロナのおかげでわりと時間ができたし、じゃあ何するの、と考えた時に、ダイエットって真剣にやってみたらどうなるのかしら、と思ったのが一つのきっかけになった、ということです。 誰もが知っていると言っても過言ではない、コミットするCM、あるじゃないですか。そこに頼れば、痩せられるんだな、というのはきっと誰しもが思うところでしょうけど、人づてに聞いたところによると、利用者に向けて食事制限と適度な筋トレをメニュー通りにやらせるよう管理するから、そうなる、ということらしいじゃないですか。そのために数十万円を支払うんだったら、自分で管理すればその分コストダウンになるじゃないの、と思って、やってみたというのもあります。 実績で言うと、この記事を書いている2020年9月24日時点で、104.0kg。約1カ月前の8月25日時点では110.0kgだったので、6.0kg減です。ちなみにさらにその半月前には115kgくらいあったので、1カ月半で11kg減です。この間、何をしたかというと、意識的に間食はなくしたことと、一回の食事の量を減らしたこと、よく噛むこと、だけです。まあ、体重比で言えば、普通の人からすると4、5kg減くらいの計算になるのでしょうが、それだけで11kgも痩せるのかと思えば、やってみる価値はあるでしょうし、私自身としては、これを継続したらあとどれくらい痩せるのかを見てみたい、という好奇心にあふれています。 こうやって痩せてみて思うのは、「やれば、できる」ということと、甘えないようにするといいことある、ということです。これからも、やりすぎない範囲で、自分に厳しく生きていこうと決意を新たにしているところです。 よければこちらもご覧下さい。こち...

【雑感】改めてTwitterが、面白い。

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ゆでたまごのすけです。 前回の記事からかれこれ幾年月。だいぶ、使いこなせるようになってきました。 「使いこなす」とは、どういうことか。結局は、Twitterを自身のブランディングに活用できるか、ということだと思っています。 では、どうすればブランディングできるのか。チェックするべき項目は、「プロフィールのクリック数」だということです。 「プロフィールのクリック数」が何を示すか、でいうと、わかりやすく言えば「お前、誰やねん」と、自分に興味を持った人の数、です。私はフリーランスで25年超、コピーライターをやってきた人間ですから、私が何者かを知っていただける方が増える、というのはセルフブランディングに他ならないわけです。 では、「プロフィールのクリック数」を伸ばすためには、どうすればいいか。一つは、いろいろツイートしてみる、ということですね。そのツイートが、どれだけエンゲージメント数を伸ばしたか。ここでいうエンゲージメント数というのは、「プロフィールのクリック数」はもちろんのこと、「いいね」の数や「返信」の数、「詳細のクリック数」などになります。つまり、自分のツイートがどれだけのインプレッション(リアクションと言った方がわかりやすいと思います)を生み出したか、を図るKPI(指標、と言った方がわかりやすいですね)になる、ということです。そして、自身のツイートで、どれだけ「プロフィールのクリック数」が稼げたか、それぞれのツイートの内容を精査した上で、自分自身で評価をするわけです。 二つは、他人のツイートに乗っかってみたら、「プロフィールのクリック数」がどれだけ伸びたか、を確認するということ。「人のふんどしで相撲を取る」というやつですね。他人のツイートに乗っかってみると、Twitter界隈で影響力のある人は誰なのか、を計測することができます。前述のインプレッションがどれだけ多いか、その中でエンゲージメント数はどれだけの割合で伸びるか、をチェックする。そうすると、影響力のある方のツイートに乗っかった方がいいということもわかりますし、なんならそういう方のツイートばかりに乗っかればいい、ということにもなる、と。 しかしながら、ここで私は、良識というものを持つべきだと思うわけです。他人のツイートに乗っかって、セルフブランディングを確立できたのだとすれば、...

【雑感】Twitterが、今さらながら面白い。

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ゆでたまごのすけです。 タイトル通り、今さらながら、です。 というのも、人づてに紹介された若者(30歳前半)が、学生団体の支援もしており、そこが主催するTwitterセミナーというのに参加してみたのです。するとその講師役が、なんと20歳の現役大学生。15歳からTwitterをやっていて、紆余曲折あって、太く長く楽しむにはこういうやり方がいいよ、というのを伝授してくれたのです。 なるほど、じゃあ、やってみよう。 そう思って、これまでいわゆる「鍵垢」にしていたTwitterのアカウントを公開にして、採用系ライターと銘打って、今、まさに思っていることを呟いてみよう、という運用方法に変更したわけです。 すると、まずはフォロワーが増えました。 最初のうちはフォロワーになってくれた方は全て、フォローをお返ししていました。ところがその中には、Twitterで稼げると何らかのセミナーで聞いたのであろう、とりあえずアカウントつくってらしいこと呟いてみよう、という印象のフォロワーの方もおられ。私はこうしたアカウントの方を勝手に「輩(やから)」と心の中で呼んでおりますが、そういう方のアカウントはフォローしないようにしました。 すると、今度はフォロワーが減りました。 よく見ると、そういう「輩」な人たちがフォローを外してきているんですね。 何だか、実社会とそう変わらんな、という印象を受けました。結局、軸のない人は、ちょっとこの人、絡んどくと良さそう、と思えば集まってくるし、そうでもないわ、と思えばすぐに去る。 じゃあどうすればいいか、と思った時に、私は「軸のある人になろう」と思いました。 Twitterだからと飾ることなく、平常心。それはまるで、ダイビングをやっている時に大事にしないといけないことと相通じるものがある、と思いました。 とりあえずTwitter運用、いろいろ試してみたいと思います。まあ、それがマネタイズできるようにしたい、といやらしいことももちろん考えてはいますが(笑)、接点を持った人が価値を感じられるようなマネタイズの仕方を模索してみたいと思っています。 あ、こっちもどうぞご覧下さい。 求人広告の「裏ワザ」! 何と2年ぶりに更新を再開しました。 Tweet シェア

【雑感】宮古島をレンタルポケットWi-Fiで楽しもう!

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ゆでたまごのすけです。 すっかり更新がご無沙汰になってしまいました。2019年になって初めての投稿がこれ、というのは自分でもびっくりです。この間、いろいろあったわけですが、そのあたりはまた別の投稿ででも触れるとして。 今回は、2016年あたりからハマっている宮古島のことを取り上げてみようと思います。 ハマったきっかけは、スキューバダイビングです。冒頭の写真は、まさに宮古島の海の中。写真で見ても十分きれいですが、これを肉眼で目の当たりにした時の感動は、言葉では言い表せないくらいです。最初はなかなか潜ることができずに悪戦苦闘していましたが、こんな光景を自由に見られるようになりたい、という思いが強く、今では「アドバンス」と呼ばれるライセンスまで取得しました。 宮古島の海の青さは、比類ないものと言われます。与那覇前浜ビーチが「東洋一青く美しい海浜」と言われているようですが、確かに美しいし、海の中の透明度は本当にハンパない。「透明度●度」というと、●メートル先まで視界があるという状況を指すようですが、時に応じて透明度が50度を超えることもある。海の中でそこまで視界が広い状態で居られるのは、他にはなかなかないようです。 あまりなじみのない方からすると、宮古島も沖縄本島も一括りにしてしまいがちかと思います。私も宮古島にハマってからしばらく、沖縄県内の本島や他の島には行ったことがなかったのですが、仕事で初めて本島に降り立った時に率直に思ったのは、 本島って、都会なのね! ということでした。本島には高速道路もあれば、モノレールもある。島を一巡りするには結構な時間もかかる。宮古島にはそんなものはないし、一巡りしようと思えば車で一日もあればできてしまう。誤解を恐れずに言えば、宮古島は「田舎」なのだなあ、と感じました。いや、これは良くも悪くも、という意味で申し上げていると受け取っていただきたいと思います。 ニュースなどでも取り上げられていますが、2019年10月現在の宮古島は「バブル」の真っ最中です。観光客の数が数年前と比べて何倍も増え、中国や台湾などからのクルーズ船も頻繁に訪れ、同年3月には下地島空港も開港しました。土地の値段は急騰し、賃貸物件はほとんど埋まって新たな物件がほぼ出てこず、出てきても東京23区並みの賃料水準と言われています。 ...

【雑感】逃げずに向き合う、ということは。

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ゆでたまごのすけです。 自動車メーカー大手と日本の報道機関、面白いですね。 バブル期の日本を未だに引きずっている自動車メーカー大手の経営陣が考えていることと、日本の報道機関が考えていることは、結局変わらないことの方が幸せなんだ、と浸透させようという意図が見え見えで面白い。かの外国人経営者の方が言っていることはとても全うで、不正はないという主張は、法的にはおそらくその通り、ということかと思われます。なんならバブル期に戻ったら、業績が下降線をたどるのは明白なことかと思いますが、どうでしょう。 これからの日本が成長していくために必要なことは、過去の遺産を守ろうとすることではなく、守ろうとした際に起こるであろう業績の下降を踏まえた上で、じゃあどうすれば下降せずに済むのかを真剣に考えることではないか、と思うのであります。 今、書いたことをわかりやすく説明するとすれば、明日以降の記事をご覧いただくことで、解決できると思いますので、継続的に私のブログをチェックいただきたく存じます。 Tweet シェア

【雑感】ハプニング、アドリブ、そして素人。

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ゆでたまごのすけです。 すっかり更新がご無沙汰になってしまいました。前回更新から、約半年。気がつけば、夏。猛暑。命の危険があるほどの暑さとテレビのニュースで連呼されていますが、危険なのは暑さだけじゃないよなあ、といろいろな世の中の事象に思いを馳せる今日この頃。みなさんはいかがお過ごしでしょうか。 NHKのBSプレミアムでやっていた「欽ちゃんのアドリブで笑(ショー)」、見逃したし録画もし忘れた、とショックを受けている次第です。昨年(2017年)やっていたものはたまたま番宣で知って録画してありますし、「アドリブで笑(ショー)」をやるきっかけになったと思われるコント55号の何十周年だかの記念番組も観ました。そこで改めて知ったのは、萩本欽一さんという方がなぜ素人いじりを得意としていたかというと、ハプニングこそが面白いと知っていたからなんだなあ、ということ。今、お笑い芸人と呼ばれる方々が結構しっかりとした台本をつくってネタにしているのとは真逆のスタンス、ということになるのでしょう。だから「アドリブで笑(ショー)」に出演される芸人の方々が舞台裏で戦々恐々とされているのも、わからなくはないです。 そんなことを考えていたら、昔やっていた劇団のことを思い出しました。最初の公演をやったのはかれこれ25〜6年前の話になりますが、メンバーを集めるのに今や懐かしき雑誌の「ぴあ」や「フロムエー」などの無料掲載できるスペースに募集告知を載せておりました。だから当然ながら、集まってくるのは役者の経験なんてないという素人さんがほとんどで。そうすると高度な演技なんて求めたとしてもできるわけがないのですが、当時の劇団で演出をやっていた私の相方は、そんな素人さんたちをお客さんたちに観せられるようにするのが非常に上手な人間で。できないならできないなりに、できることで観せるに値するものに仕立てる、というのは今から考えるとすごい能力だなあ、と改めて思ったりして。これって、前述の欽ちゃんのハプニングやアドリブを活かしたり、素人いじりをしたり、というものに通じるものがあるなあ、と。 転じて、求人広告の話です。求人広告の制作を仕事にしていると、いつも「素人」でいられる感じが心地よかったりします。というのは、求人広告を出したいという企業さんのもとへ取材に訪れると、ほとんどのケースで新しい企業さんや仕...

【雑感】2018年のお正月は、少しいつもと違いました。

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ゆでたまごのすけです。 2018年が明けました。おめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願いします。 例年、この季節は繁忙期に入るもので、だいたい年内に納まらなかった仕事を抱えて年を明けるわけですが、今年は例年以上に忙しく、抱えた仕事も多かったので、お正月感が一層薄い感じの元日となっております。まあそれでも、大晦日は「笑ってはいけない」を軸にしながら、桑田さんが登場する時だけ「紅白」を見て、「孤独のグルメ」が始まったらほぼチャンネルは固定、という感じで過ごしましたけれども。 そんな中、元日早々に一番上の姉から電話があり。義理の兄の実弟である深水三章さんが亡くなった、という知らせがありました。それより前、目を覚ましてからFacebookをチェックしていたら、三章さんが創立メンバーとして立ち上げた劇団・Mr.SlimCompanyのメンバーだった方が、三章さんがメインボーカルを務める曲に動画をつけてアップされており。そこに寄せられたコメントに「追悼」的なものがいくつもあったので、「まさか?」と思っていたところへの姉の電話だったもので、何とも衝撃的、かつ脱力感と無力感を感じるお正月になっている次第です。12月30日に永眠され、享年70歳だったとのこと。心よりご冥福をお祈りします。 三章さんとは、あまり直接の接点はありませんでした。しかしながら、その兄である龍作さんが主宰となったSlimのステージには中学時代に初めて触れ、衝撃を受けました。歌って踊って、叫んで、汗をかいて、狭いステージを縦横無尽に飛び回る作品を観て、こんな舞台もありなのか、と思ったのを、未だに鮮明に覚えています。その後、旧知の友人と劇団をつくり、座付脚本家として作品を執筆し、そうした活動から距離を置いた今でも「本業は脚本家」と思っているという私の根っこには、三章さんが興したSlimの存在が今もこびりつくように残っています。そんな私のルーツを、三章さんの訃報という悲しい知らせによってではありますが、改めて意識させられるお正月になったということは、何かを示唆しているように思えてなりません。 2018年、今年はこれまでと少し違った1年にしたいと思う次第です。 そんな決意をした私のもう一つのブログも、どうぞご覧下さい。 求人広告の「裏ワザ!」 求人広告でいろんな人たちと会うの...

【雑感】我が家は、祖父も父も「天然色」。

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ゆでたまごのすけです。 先日、大井町の飲み屋さんで仲良くなった人に、医療機器関連の仕事をされている方がいらっしゃいました。そんなお仕事をされているという話の流れから、岐阜の田舎町で町医者をやっていた祖父の話をすることになりました。 私の祖父というのは、言ってみれば「天然」な人。それはどういうことかというと、町医者として地域の患者さんを往診している中で、どうしてもその患者さんが救えず、亡くなってしまうこともあり、それを本気で悩んだらしいのです。「なぜ、私は救えないのだろう」「どうすれば、救えるのだろう」と悩んだ挙句に、導き出した答えが「出家をしよう」という決断だった、と。なんなら見方を悪くすれば「病気の時も、死んでからも金を巻き上げるのか」とも取れる話ではありますが、私の祖父はそんな気持ちは微塵もなく、ただただ患者さんが亡くなってしまった後も救えるように、と医者と坊主を兼業したらしいのです。 そんな話を先にご紹介した医療機器関連の仕事をされている方にすると、その方が一言、 「おじいさんは、とても徳が高い方ですね。医者でそこまで悩む人なんていませんよ。見たことありませんもん」 とおっしゃいました。 仕事柄、医師と接することは当然多いのでしょう。そういう方に、祖父の話を聞いてもらい、それを褒めていただけたのは、とてもありがたいことだし、嬉しいことでした。 前にこのブログのどこかで、父のことに触れた記事を書いたこともありますが、父もどこか祖父と同じように「天然」なところのある人でした。私にも、その血は受け継がれています。「血は争えない」というのは、まさにこういうことなのだろうと思います。 大瀧詠一さんの曲で「君は天然色」という曲がありましたが、まさにこれは我が家の家系の歌ではないかと(笑)。だからなのか、その医療機器関連の仕事をされている方と出会ったお店では、カラオケで「君は天然色」を歌ったように記憶しています。 まあそんな「天然」な家系に属する私の書いているもう一つのブログも、ぜひご覧いただきたく思います。 求人広告の「裏ワザ!」 記事のどこかから、「天然」がにじみ出ているかもしれません(笑)。 Tweet シェア

【雑感】それは「自分のため」か、「人のため」か。

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ゆでたまごのすけです。 前回の記事( 【雑感】私は「意識高い系」が苦手です。 )で、「今がチャンス」と連呼する「意識高い系」に振り回されると、知らぬ間に「負債」を抱え込み、それを「意識高い系」の人たちは「自己責任だ」と言い放って責任なんて取りゃしない、みたいなことを書かせてもらいました。今回は、そんな「負債」を抱えた人が陥りやすいパターンについて言及してみたいと思います。 よく生命保険の営業で、身内に営業をかける人っていますよね。ノルマがきつくて、契約が取れないから、もうとりあえず身内に頼るしかない、みたいな感じで。そういう流れになってしまった人はたいがい破綻するわけですが、これ、どうして破綻するかというと、一言で言えば「自分のことしか考えていないから」なんですね。自分が追い込まれてしまっているから(冷静に考えれば一人で勝手に追い込まれたと思っているだけで、そんな風になるならとっとと生命保険の営業という仕事を辞めてしまえばいいのですが)、とにかくノルマをクリアさせなければ、としか考えていない。そのためには身内だって犠牲にしてしまえ、ぐらいの発想にしかなっていない。厄介なのは、自分がそういう発想になっていることを自覚していないこと。いわゆる「視野狭窄」というヤツです。 営業職と呼ばれる仕事をしている人で、きっちり成果を出す人というのは、自分のことだけでなく、商談する相手のことはもちろん、相手の背景にいる人たちまで含めて、みんなが幸せになるような商売って何だろう、と常に考えている人だと思います。たとえば前述のようなノルマがきつい生命保険の営業でも、身内に頼るしかないとするなら、その身内の人が自分のお勧めする生命保険のプランを契約することで、どんな幸せがもたらされるのか、をちゃんと考えられていたら、きっと破綻することはないのでしょう。目的が「自分のため」でしかないから、うまくいかなくなって、破綻する。そこに気づけるかどうかが、将来の明暗を分けるし、人間を深くするか浅くするかも違ってくるのではないか、と思うのです。 自分の行動が、自分のためだけにしかなっていないかどうか。これは自戒も込めて、常に問いかけていかないといけないことだと私は思います。 そんな私が誰かのためになれば、と思って書いているもう一つのブログも、ぜひご覧下さい。 求人広告の「裏ワ...

【雑感】私は「意識高い系」が苦手です。

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ゆでたまごのすけです。 決して「意識が高い」ということ自体が苦手、ということではありません。ここで言うところの「意識高い系」とは、意識が高いふりをして人を巻き込んだり、なんなら人から金を巻き上げようとするような人たち、と私は定義します。 これまで47年ほど人生を歩んできましたが、そういう人たちに遭遇することはしばしばありました。前回の記事( 【雑感】成果が出せる営業は「幸せ」を願う )でも触れましたが、自分の本業である生命保険の営業のための「集客」を目指し、飲み屋で働くおねーちゃんなんかはまさにそうだったなあ、と振り返って思います。 その彼女に紹介されて参加したのが、一言で言えばネットワークビジネスの勉強会。収益のネタとして何かしらないかしら、と考えていた時だったのでほいほいとついていってしまったわけですが、商材そのものはいいものなんだけど、それを拡販する方法が典型的なネズミ講でして。言っちゃえば、参加する人が増えれば増えるほど集客した「親」が儲かる仕組みですから、勉強会の講師を務める人はひたすら「早く参加した方がいい」を連呼するわけです。まあ会社員として働いている人だったり、それをリタイアして退職金をどう使うかね、とか考えている人が参加者の多くを占めているわけですから、それだけ連呼されると「そうかもしれない」と思っちゃう。世の中にどんなビジネスがあって、それがどういう仕組みで成り立ってるのか、そんなにたくさんの知識をお持ちでない方だったりするから、「今、参加すれば搾取から逃れられる。自由な人生を歩みましょう」なんて言われたら、乗っかった方がいいかも、なんて思うわけですね。 こういう場面に遭遇した時に、冷静になって考えてもらいたいのが、「自分には販路があるのか」ということです。商材がモノであれば、仕入れが発生するわけです。仕入れたものが売れなければ、在庫を抱えることになる。なんなら「負債」ですよね。在庫を抱えないようにするためには、自分がその商材を売れるかどうか、売る先となる見込み客がどれくらいあるか、を冷静に考えた方がいいと思うのです。 なんならその「今がチャンス」と連呼していた勉強会の講師にとっては、参加した人が売れようが売れまいが関係ない。参加者の中で10人中1人でも売れる人が現れればいいわけです。だから勉強会の講師は、参加者を一人でも...

【雑感】成果が出せる営業職は「幸せ」を願う。

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ゆでたまごのすけです。 自分は営業職ではないのですが、一方で個人事業主でもあるので、仕事をいただけるようにしなくてはいけない、と営業職っぽいこともしています。とはいえ、本職ではないので、営業職というものを客観的に見る視点も持ち合わせており、その視点からは「営業職って面白いなあ」と思うことがしばしばあります。 営業職というのは、モノやサービスを売って売上げを上げることが最大のミッションです。ということは、モノやサービスを購入いただけるお客様を集めないといけない。「集客」というプロセスが必ず必要で、なんならそれが営業職の基本の「キ」になるわけですが、この「集客」にはいろんな方法があるものだなあ、と感心しきりなわけです。なんなら飲み屋のおねーちゃんが来店客から電話番号やLINEを交換する、というのもれっきとした「集客」活動なわけです。 飲み屋のおねーちゃんネタで言えば、そういう飲み屋での「集客」を使って別の自分の本業にも集客しようとするおねーちゃんがいる、というのもあります。たとえば本業で無店舗販売の毛皮販売をやっていたり、生命保険の営業をやっていたり、なんて事例に遭遇したこともあります。「買ったのか?」って? いやいや、さすがに買わなかったですよ(笑)。 しかしながら、きちんと成果を出せる営業職というのは、「集客」はもちろんのこと、「アフターフォロー」がしっかりしていることが不可欠な条件のように思います。売ったら売りっぱなしで、あとのことはほったらかしでは、当たり前ですがリピートすることはありません。求人広告の中には「受注後のアフターフォローは、専門の部署が対応。あなたは営業に集中することができます」みたいなことを強みとしている募集も見受けられますが、私は「それじゃ成果の出せる営業職は育たないよなあ」と思ってしまいます。アフターフォローを担当する部署がよほどレベルが高いか、応募者の人が営業に集中できる環境でも売った後がどうだったかを意識できる人でもない限りは。後者はそもそも応募者の資質による問題なので、その応募者が入社して成果を出したとしても、それはその募集会社の環境によるものではない、ということになるかと思います。 ちなみに前述の毛皮販売のおねーちゃんは、私が「買わない」とわかった瞬間に、手のひらを返したような態度を取ってきましたね。当時はまだ...

【雑感】私が会社を設立しないわけ。

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ゆでたまごのすけです。 前回の記事で個人事業主と会社員の違いについての私感を書きましたが、今回はなぜ個人事業主のままで会社を設立しないのか、という話題にしようかと思います。 フリーランスの仕事を始めてまだ数年、ぐらいの頃だったでしょうか。同い年で会社を設立した友人から、「なんで会社にしないの?」と聞かれたことがありました。当時はそんな発想を持ったこともなく、「そんなに売上げも多くないからね」程度の返答をしたように記憶しています。その感覚は今でも持っていますし、実際に今でも会社にするほどの売上げがあるわけではありません。まあ会社にした方がいろいろできることも増えるし、事業の拡大もやりやすくなるだろう、とは思いますが、もし今同じことを聞かれたら、「会社を設立するほどの覚悟がないから」と答えるような気がします。 じゃあその「覚悟」ってなんだ、という話ですが、会社というのは法人であり、法人とは一つの人格だと私は考えていますので、その法人という人格を食わせていくほどの覚悟がない、ということかと思います。法人を立てれば、そっちと個人の財布もしっかり棲み分けないといけないし。まあ個人事業主でも事業と個人の財布は棲み分けるべきではありますが、その辺は個人事業主の方がグレーゾーンをつくりやすい、というのもありますしね。 法人を立てて、事業が大きくなったりすれば、人を雇ったりもしなくてはいけなくなることもあるでしょう。すると、その雇った人を食べさせるだけの仕事を持ってこなくてはいけなくなります。ということは、やりたくない仕事でもお金になるのなら、と引き受けてしまうことが増えるでしょう。世の中の会社はそうやって成り立っているのだよ、と諭されれば、はい、その通りです、と答えるしかなくなるわけですが、どうやら私は根っからのわがままなようで、できることならやりたいと思う仕事だけやりたい、と考えるタチのようです。そういう意味でも、個人事業主としてやっている方が自由が効いていい、ということかもしれません。 前述の会社を設立した友人も、人から伝え聞く話では、かのリーマンショックがあった後はかなり大変だったようです。想像の域は超えませんが、社長である以上、従業員の給料はなんとしても守らないといけないだろうし、そのためには資金繰りに奔走することもあったでしょう。営業活動も、リーマ...

【雑感】個人事業主と会社員の違いを、改めて考える。

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ゆでたまごのすけです。 個人事業主をかれこれ20年超やっているわけですが、最近ちょくちょく「すごいですね」と言われる機会があります。そう言われてみて、私の正直な感想は「そうなの?」というもの。まあ会社も10年続けるのは難しい、とも言われますから、そう考えるとすごいことなのかもしれませんが、私としては自分で自分を「すごい」と思ってやってきたわけでは全くないので、気がつけば人からすれば「すごい」と思われるようなことをやってきたのかな、という認識でいます。 そんな私にも、会社員の頃がありました。20代前半の2年半ほどという短い期間でしたが、その当時を振り返るとひたすら愚痴ばかりを言っていた記憶しかありません。今から考えれば「何を生意気な」と思いますが、要は自分の思うようにできないことが多くて、もどかしくて、それが愚痴にしかならなかったんだろうなあ、と思います。若かったですねえ。今となっては、自分の思うようにできることなんてほとんどないぞ、と思っていますからね。 当時と今とで何が違うんだろう、とふと考えてみますと、やはり会社員の頃は自分の時間を切り売りしていて、個人事業主の今は自分の仕事や成果が報酬になっている、というのが一番の大きな違いかな、と思います。会社員は、いくら働いたところでもらえる給料は一緒。もちろん残業手当なんていうものもありましたが、微々たるもので。やったらやった分だけいただける、というのは私にとっては大きなモチベーションになっているように思います。 じゃあ完全出来高制の営業職とかでもいいじゃん、という考えもあるでしょう。売れる商材を扱って、売った分だけインセンティブが入る。その方が楽じゃん、という考え方もあるのはわかりますが、たぶんそこでそういう発想に私がならないのは、かつて座付きの脚本家として劇団に関わり、舞台をつくっていた経験が大きく影響しているように思います。 舞台をやっていると、結局は公演にお客様が呼べるかどうか、が重要になってきます。採算は合ってないけど作品としては優れた舞台だ、というものもあるでしょうが、とはいえ客入りというのは作品の評価指標の一つであることには間違いありません。お客様が、電車代を払って劇場まで足を運び、数千円のチケットを購入して観に来てくださる。そのお客様が「観に来てよかった」と思って帰っていただけるよ...

【雑感】世代を超えて、客観的な視点が持てたらいいのに。

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ゆでたまごのすけです。 「今の子どもたちは、物心がついた頃にはスマホがあったんだよなあ」などと世代論をぶち上げることが自分にもあったりしますが、そんな自分たちは「君たちの子ども時代には、物心ついた頃からファミコンがあったんだよなあ」と言われる世代でもありまして。こうしたやり取りを、単に「そうだよねえ、だから今の子どもたちは云々かんぬん」という建設的な着地点のない世代論として終わらせるのではなく、今の子どもたちには子どもの頃からスマホがあり、私たちが子どもの頃にはファミコンがあった、という事実や現象をきちんと捉えることが大事ではないか、と思うのです。 なんでそんなことを考えたかというと、姉の家で互いの家族同士が集まり、RPGに興じていた時のことをふと思い出したからでありまして。確か姉か、姉の子どもかがプレイしており、こちらの攻撃をすべて跳ね返すというラスボスになす術がない、という状況だったかと。そこで私が提案したのが、魔法攻撃を跳ね返す魔法というのを味方にかけて、さらに攻撃系の魔法を味方にかけて跳ね返して、ラスボスに攻撃系の魔法をぶつける、という方法でした。するとまさに私が提案した方法がハマり、ラスボスを倒すことができた、と。そこで姉がのたまったのが、 味方に攻撃系の魔法をかけるなんて発想は、私らの世代ではで出てこない。 的なコメントでした。それを聞いて、私の頭の中にはたくさんのクエスチョンマークが駆け巡ったのですが、その場では「そうかなあ」と流したように記憶しています。 そこで駆け巡ったクエスチョンマークを紐解いていくと、「それって世代論にするべきものなのかな」という疑問だったのではないかと思います。「味方を攻撃するなんて心情的にあり得ない」という考え方は、理解できます。しかしながら、そういう考え方ができるできないが世代間で違いがあるかどうかはよくわからない。なんなら味方を助けるための方法を考えた結果、取った戦略なわけだから、私としては「味方を攻撃」していたわけでもない。強いて言うなら、現状を客観的に捉えてどうすべきかを、自分の心情や感情といったものに左右されることなく、ぶれずに考えることができるかできないか、が世代間で違いがあるのかもしれない、といったところではないかと思うのです。 自分が信じているものであるとか、こうでなくてはならない...

【雑感】AIの進化は人々の幸せのためであるべきだ、と思う。

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ゆでたまごのすけです。 「AIって何?」「IoTってITと違うの?」という疑問を持たれる方に向けては、IT用語解説のサイトあたりを調べていただく、ということで。 先日、求人媒体の代理店で働く知人が更新したFacebookのコメントで、キャッチコピーを作成してくれるAIというものが生まれそうだ、みたいなことが書かかれていました。そうなったら楽だなあ、的なコメントをされていましたが、まあそれが実用化になったら、確かに楽かもしれんなあ、などを思いながらそのコメントを眺めておりました。 AIの進化というのは、どうやらすさまじいようで。なんなら求人媒体でよくクリックされるキーワードというのがあるのはAIが進化しようがしまいが間違いのない事実で、やれ年間休日がめちゃくちゃ多いとか、残業手当を全額支給だとか、そんなキーワードを原稿の中に散りばめておけばとりあえずは求職者は食いつく、というのは求人媒体に関わっている人間であれば知っていることで。そうすれば応募者の数はとりあえず増えるわけで、企業の人事担当者からすれば応募者が多かった!という報告を上にできるということになれば、そういう案内をした代理店の営業担当はその担当者から高い評価を受けるゆえ、一見八方よし、今風に言うなら「Win-Winな関係」が築けたように感じるわけです。 ここで「一見」と言ったのはどういうことかというと、じゃあその数が多かった応募者数の中身はどうやねん、という話なわけです。たいがいが、そんな「釣り」の文句に釣られた応募者なんてのは、その求人広告を出稿した企業に対して思い入れがあるかって言ったらそんなのあるわけがない。なんなら、他にも「釣り」文句を羅列しているような企業にも多数応募しているわけで、いざその応募者に企業側から接点を持とうとメールしてみたところで「もう他で決まりました」という断り文句を投げ返されるのは目に見えているわけです。 物事には何事も「本質」というものがあるわけです。そこをしっかり捉えることなく、食いつきがいいからという理由だけで「釣り」文句を羅列するのは「本質」からひたすら遠ざかっているに過ぎません。将来、AIが劇的に進化した時に、その「本質」すら捉えて求人広告の言葉を並べ立てられるようになったなら、もしかすると世の中が劇的に幸せになるかもしれないですが、そこまで進化し...

【雑感】異質な存在には恐怖と拒絶反応を感じるものだ、と自覚することが大切だと思う。

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ゆでたまごのすけです。 先日放映していたテレビ番組で、障がい者の方と健常者のタレント(主に芸人)の方が討論する、みたいな番組がありまして、録画しておいたのを改めて見ました。いや、番組の途中で見るのをやめて、また見て、と何度かに分けて全部を見切った、と言った方が正しいです。なんで一度に全部見られなかったのだろう、と振り返ってみると、一言で言えば「しんどかった」からだと思います。 なんで「しんどかった」かというと、やはり障がい者の方々の姿を見たり、あまり空気を読まない(あるいは読めない)態度を見ているのがつらいというか、しんどいというか、そういう感覚だったんだろうと思います。そんな感覚に陥る自分に直面し、二つの思いが私のもとに舞い降りました。 一つは、障がい者の方を見て、自分とは違う異質な存在に向き合うと恐怖を覚え、拒絶反応を起こしてしまうという、自分には寛容さがないことに気づいたゆえの落胆。もっともっと、自分とは違ったり、自分にはないものを持っていたり、という存在を受け入れられる心持ちでいたい、と望んでいるはずなのに、そうなれていない自分に気づいて、なんとも情けないというか、切ないというか、そんな気分になりました。 もう一つは、異質な存在に向き合った時には誰しも恐怖を覚えるものである、という現実を受け止め、受け入れ、認めなくてはいけないんだ、という気持ち。そう思ってはいけない、恐怖を覚えてはいけない、拒絶してはいけない、と自分の心を押さえつけようとしたところで、結局は恐怖や拒絶反応は拭えるものではなく、むしろ恐怖や拒絶を感じるのが人間なんだ、それは自分もそうなんだ、と認めることで恐怖や拒絶とつきあえるようになるのではないか、と思った次第です。 そんな二つの思いを自分の中で巡らせている中で、番組を見続けていると、健常者のタレントの方へ「もし芸人仲間から『実は障がいを持っているんだ。公表すべきかな?』と相談されたらどう答える?」という質問がされました。するとほぼ全員が「公表すべきではない」と答えていました。「自分をおもしろがってもらえている要因が、障がいを持つことによって自分が起こす行動や言動にあるなら、ネタばらしのようなことはしなくていいと思う」という意見もあれば、「テレビってそういう(障がいがあることを笑いにできる)ものではないから」という意見...

【雑感】セカンドオピニオン、実体験。

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ゆでたまごのすけです。 もう3年くらい前になると思いますが、当時一人暮らしの部屋のトイレで顔を「一人壁ドン」してしまい、メガネの鼻を押さえるところが目の中に入って黒眼を擦りむくような怪我をしてしまった、という話はこちらのブログでも書かせてもらったように記憶しています。その怪我が3年も経っているというのに、半年〜1年おきに再発して目が痛くなる、という現象にしばしば遭遇し、そのたびに光を目に受けるだけで痛くなるという症状に見舞われては眼科へ駆け込む、ということを繰り返しておりました。 最初に怪我を負った際に訪ねた眼科では「黒眼の表面を覆っている膜が擦りむけたような状態で、治ったようでもその後クセになる」みたいな診断をもらっていたので、そういうもんか、時々こういう状況になるのにつきあっていかないといけないのね、と思っておりました。それがこの夏、また同様の症状に見舞われたもので、別の眼科へ行ってみたところ、「ちゃんと治してなかったんだね」というようなことを言われました。「え、それってつまり、最初に訪ねた眼科に騙されてたってこと?」と思ってしまいましたが、今回処方された点眼薬と眼軟膏は以前のものとは全く異なるもので、それを使って4日ほど経過するとすっかりよくなり、しかもそれ以前のような違和感が継続しているような状況もなくなったことを考えると、やっぱり騙されてたのかしら、と思わずにはいられません。 ちなみにその眼科は駅ビルに入っている、コンタクト屋さんの近くに設置されたクリニックでした。症状が再発したのが土曜の夜だったもので、日曜でも診療をやっている眼科を探したところ、そういう眼科しかないという状況だったのですが、そのシチュエーションだけを見ると「コンタクトの処方に特化していて本格的な眼科診療はできないんじゃね?」と勝手な先入観を持っておりました。そういう思い込みは間違いである、と思い知らされた気がします。 セカンドオピニオンという言葉がありますが、それを実際に体感したような体験でした。一人のお医者さんの言うことだけを盲信するのは、あまりよくないような気がします。 Tweet シェア

【雑感】年1回、私は中学生にプレゼンの仕方を教えている。

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ゆでたまごのすけです。 先日このブログで、10年超も中学校の「お父さんの会」会長をやっているという話に触れました。そしてその活動の一環として「ゲストティーチャー」なるものをやっていると述べましたが、それをもう少し具体的な話で紹介しようかと思います。 中学校にはいわゆる国語算数理科社会とは別に、「総合的な学習の時間」という時間が設けられています。文科省のホームページではこの「総合的な学習の時間」を「変化の激しい社会に対応して、自ら課題を見付け、自ら学び、自ら考え、主体的に判断し、よりよく問題を解決する資質や能力を育てることなどをねらいとする」と書いていますが、要するに「なんか世の中の役に立ちそうなことなら何でもいいから勉強しましょう」ということかと思います。 そんな時間を活用して、「スイーツプロジェクト」なる授業が行われている中学校があります。「スイーツプロジェクト」とは、3年生全員を4〜5名1組のチームに分け、1チームを「会社」として、そのメンバーは社長・商品開発担当・広報担当……などと役割を決定。各会社ごとに地元産の農産物を使ったスイーツを企画してプレゼンしましょう、その中で最優秀賞を獲得した企画商品は本当に実現しちゃいましょう、という授業です。私はその授業の一環で、広報担当の子どもたちを集めて「広告とはなんぞや」なる授業を偉そうにやったり、子どもたちのプレゼンを聞いて審査する審査員も拝命していたりするわけです。 ちなみにその様子を伝えているのが こちら です。 「広告とはなんぞや」という授業では、わずか50分1コマの短い時間で伝えられることは限られているので、「広告は全て、誰に何を伝えたいか、という狙いが必ずある」ということだけに集中して、実例を挙げて「これは誰に何を伝えたい広告?」と質問したり、実際の商品を取り上げて「この商品について、誰に何を伝えたいかを意識してキャッチコピーをつくってみて」という課題を出したり、という感じで進めています。 で、彼らは最終的に自分たちが考えたスイーツをプレゼンすることになるわけですが、まあ私と同年代や上の世代の人だと四苦八苦する「パワポ」というやつをうまいこと駆使してプレゼン用のスライドなんかをつくるわけです。体育館に設置したプロジェクタで映し出して、といった具合にやるわけなので、なかなか本格的。な...

【雑感】「裏」を取れば、視野が広がる。

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ゆでたまごのすけです。 なんだか巷では女優さんの奥様がユーチューバー的に俳優のご主人の不倫なぞを告発してみたり、はたまた世界に名を馳せた名優が不倫報道に対する釈明の記者会見を開いたりと、ずいぶんザワザワしております。それを受けて、テレビや雑誌などは後追い報道が過熱していたり、コメンテーターという不思議な肩書きをお持ちの方々がしたり顔で論評してみたり、中には企業のリスクマネジメントのコンサルタントと思しき方が「これは結局、大手芸能プロダクションのリスクマネジメントのプロセスを見せられているようなものだ」みたいなことをおっしゃったりと、人にはいろんな視点や見方があるものだなあ、と感心させられるばかりです。 個人的な意見というか、思うことをあえて書いてみるとすれば、結局どれもこれも「裏」が取れてない話だよなあ、ということです。表に出ていることだけを見たり聞いたり、読んだりする中で、憶測されたことばかりが並べられている。まあテレビの視聴者だったり、雑誌の読者だったりというのは、そういう憶測を並べられてさらに自分も憶測してみるのが楽しいものなのかもしれませんが、自分が「裏」の取れていない話で楽しんでいることを自覚した上で楽しむのなら「あり」だろうと私は思います。それを無自覚に楽しんでいるとしたら、なんと言うか、おめでたい、ということなのかなあ、と。 かつて20代の頃、某新聞社の編集局でアルバイトをしていた時、記者の人たちと接する中でひしひしと感じたのが、「裏」を取ることへのこだわりでした。もちろんいろんなタイプの記者の人がいますから、「裏」の取り方が甘かったり、「裏」が取れていてもそれを誇張したり、ねじ曲げたりするような下衆な人もいましたが、私が「この人、好きだなあ」と感じる記者の人は概ね、「裏」を取って真実を伝えることに誠実な取り組みをする人ばかりでした。そしてそんな誠実であろうとする人たちのまわりには、「裏」を知っているゆえに、いろんな思惑を持って近づいたり、接したりする下衆な人たちが集まってきます。そんな人たちをうまくさばくことで、誠実さを保ち、真実を伝えようとする。そういう人たちを見ていると、「ジャーナリストってこういう人たちのことを言うんだろうなあ」と若き日の私は感じたものです。だから最近の「自社の方針だから」というのが見え見えな、自分たちの立場を守...

【雑感】子どもの通う学校と関わることでいろんな「気づき」がある。

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ゆでたまごのすけです。 先日、知り合い(男性)のFacebook上での投稿で、「PTAのグループLINE、旧姓にするのと下の名前だけにするの、やめてくれんかね」というものがあって、ちょっと吹き出してしまいました。いや、旧姓にするのとか、下の名前だけにするのとかが悪いとかではなくて、ああ、なんか「PTAあるある」かも、と思ったもので。 子どもの通う学校に男親が関わることってなかなかなかったり、仕事の関係で難しかったりするとは思うのですが、関わってみると発見だったり、違和感だったり、何にせよ「気づき」があるように感じます。だから機会があれば、男親も積極的に関わってみるといいんじゃないか、と私は思います。かく言う私は、いわゆる「お父さんの会」の会長などをやっております。かれこれ10年以上。 「え、どういうこと?」と思われたでしょうが、私は前妻との間に娘が二人おりますが、彼女たちはもう上が21歳、下が19歳になります。私が会長を務める「お父さんの会」は、彼女たちが通っていた中学校のものですが、会長である私の勝手な判断で「OBも参加自由」としております。ゆえに娘たちが現役中学生でなくなってから、もう4〜5年ほど活動を継続している、ということです。主な活動内容は、夜間パトロールと体育祭の片づけの手伝い、それに要望があれば校内巡回やゲストティーチャーなんかにも対応しています。 ちなみに私は、その中学校のホームページなどもディレクションする、という活動にも関わっています。 川口市立里中学校 こちらがそのホームページです。 PTAとはちょっと違った組織になっているので、わりとその活動方針は緩く、柔軟に、をモットーとしています。なので、定期的に先生方を交えての懇親会、という名の飲み会も開催しています。PTAでもそういう会は開いているようですが、どうも話を聞くと「お父さんの会」主催の飲み会では先生方も少し気を許してくださるようで、先生方の忌憚のない意見や本音が聞けたりして、これはこれでありだな、と私は思っています。 この「お父さんの会」で10年あまり活動を続けてなんとなく感じるのは、親というものは一生懸命親であろうと肩肘を張りがちな生き物である、ということです。なんか子どもが通う学校と関わりを持つということは、親としてちゃんとしていないといけないのでは...