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【雑感】我が家は、祖父も父も「天然色」。

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ゆでたまごのすけです。

先日、大井町の飲み屋さんで仲良くなった人に、医療機器関連の仕事をされている方がいらっしゃいました。そんなお仕事をされているという話の流れから、岐阜の田舎町で町医者をやっていた祖父の話をすることになりました。

私の祖父というのは、言ってみれば「天然」な人。それはどういうことかというと、町医者として地域の患者さんを往診している中で、どうしてもその患者さんが救えず、亡くなってしまうこともあり、それを本気で悩んだらしいのです。「なぜ、私は救えないのだろう」「どうすれば、救えるのだろう」と悩んだ挙句に、導き出した答えが「出家をしよう」という決断だった、と。なんなら見方を悪くすれば「病気の時も、死んでからも金を巻き上げるのか」とも取れる話ではありますが、私の祖父はそんな気持ちは微塵もなく、ただただ患者さんが亡くなってしまった後も救えるように、と医者と坊主を兼業したらしいのです。

そんな話を先にご紹介した医療機器関連の仕事をされている方にすると、その方が一言、

「おじいさんは、とても徳が高い方ですね。医者でそこまで悩む人なんていませんよ。見たことありませんもん」

とおっしゃいました。

仕事柄、医師と接することは当然多いのでしょう。そういう方に、祖父の話を聞いてもらい、それを褒めていただけたのは、とてもありがたいことだし、嬉しいことでした。

前にこのブログのどこかで、父のことに触れた記事を書いたこともありますが、父もどこか祖父と同じように「天然」なところのある人でした。私にも、その血は受け継がれています。「血は争えない」というのは、まさにこういうことなのだろうと思います。

大瀧詠一さんの曲で「君は天然色」という曲がありましたが、まさにこれは我が家の家系の歌ではないかと(笑)。だからなのか、その医療機器関連の仕事をされている方と出会ったお店では、カラオケで「君は天然色」を歌ったように記憶しています。

まあそんな「天然」な家系に属する私の書いているもう一つのブログも、ぜひご覧いただきたく思います。

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記事のどこかから、「天然」がにじみ出ているかもしれません(笑)。


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【雑感】それは「自分のため」か、「人のため」か。

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ゆでたまごのすけです。

前回の記事(【雑感】私は「意識高い系」が苦手です。)で、「今がチャンス」と連呼する「意識高い系」に振り回されると、知らぬ間に「負債」を抱え込み、それを「意識高い系」の人たちは「自己責任だ」と言い放って責任なんて取りゃしない、みたいなことを書かせてもらいました。今回は、そんな「負債」を抱えた人が陥りやすいパターンについて言及してみたいと思います。

よく生命保険の営業で、身内に営業をかける人っていますよね。ノルマがきつくて、契約が取れないから、もうとりあえず身内に頼るしかない、みたいな感じで。そういう流れになってしまった人はたいがい破綻するわけですが、これ、どうして破綻するかというと、一言で言えば「自分のことしか考えていないから」なんですね。自分が追い込まれてしまっているから(冷静に考えれば一人で勝手に追い込まれたと思っているだけで、そんな風になるならとっとと生命保険の営業という仕事を辞めてしまえばいいのですが)、とにかくノルマをクリアさせなければ、としか考えていない。そのためには身内だって犠牲にしてしまえ、ぐらいの発想にしかなっていない。厄介なのは、自分がそういう発想になっていることを自覚していないこと。いわゆる「視野狭窄」というヤツです。

営業職と呼ばれる仕事をしている人で、きっちり成果を出す人というのは、自分のことだけでなく、商談する相手のことはもちろん、相手の背景にいる人たちまで含めて、みんなが幸せになるような商売って何だろう、と常に考えている人だと思います。たとえば前述のようなノルマがきつい生命保険の営業でも、身内に頼るしかないとするなら、その身内の人が自分のお勧めする生命保険のプランを契約することで、どんな幸せがもたらされるのか、をちゃんと考えられていたら、きっと破綻することはないのでしょう。目的が「自分のため」でしかないから、うまくいかなくなって、破綻する。そこに気づけるかどうかが、将来の明暗を分けるし、人間を深くするか浅くするかも違ってくるのではないか、と思うのです。

自分の行動が、自分のためだけにしかなっていないかどうか。これは自戒も込めて、常に問いかけていかないといけないことだと私は思います。

そんな私が誰かのためになれば、と思って書いているもう一つのブログも、ぜひご覧下さい。

求人広告の「裏ワザ!」

この時期、求人広告の仕…