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【雑感】成果が出せる営業職は「幸せ」を願う。

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ゆでたまごのすけです。

自分は営業職ではないのですが、一方で個人事業主でもあるので、仕事をいただけるようにしなくてはいけない、と営業職っぽいこともしています。とはいえ、本職ではないので、営業職というものを客観的に見る視点も持ち合わせており、その視点からは「営業職って面白いなあ」と思うことがしばしばあります。

営業職というのは、モノやサービスを売って売上げを上げることが最大のミッションです。ということは、モノやサービスを購入いただけるお客様を集めないといけない。「集客」というプロセスが必ず必要で、なんならそれが営業職の基本の「キ」になるわけですが、この「集客」にはいろんな方法があるものだなあ、と感心しきりなわけです。なんなら飲み屋のおねーちゃんが来店客から電話番号やLINEを交換する、というのもれっきとした「集客」活動なわけです。

飲み屋のおねーちゃんネタで言えば、そういう飲み屋での「集客」を使って別の自分の本業にも集客しようとするおねーちゃんがいる、というのもあります。たとえば本業で無店舗販売の毛皮販売をやっていたり、生命保険の営業をやっていたり、なんて事例に遭遇したこともあります。「買ったのか?」って? いやいや、さすがに買わなかったですよ(笑)。

しかしながら、きちんと成果を出せる営業職というのは、「集客」はもちろんのこと、「アフターフォロー」がしっかりしていることが不可欠な条件のように思います。売ったら売りっぱなしで、あとのことはほったらかしでは、当たり前ですがリピートすることはありません。求人広告の中には「受注後のアフターフォローは、専門の部署が対応。あなたは営業に集中することができます」みたいなことを強みとしている募集も見受けられますが、私は「それじゃ成果の出せる営業職は育たないよなあ」と思ってしまいます。アフターフォローを担当する部署がよほどレベルが高いか、応募者の人が営業に集中できる環境でも売った後がどうだったかを意識できる人でもない限りは。後者はそもそも応募者の資質による問題なので、その応募者が入社して成果を出したとしても、それはその募集会社の環境によるものではない、ということになるかと思います。

ちなみに前述の毛皮販売のおねーちゃんは、私が「買わない」とわかった瞬間に、手のひらを返したような態度を取ってきましたね。当時はまだ私も20代と若かった…

【雑感】私が会社を設立しないわけ。

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ゆでたまごのすけです。

前回の記事で個人事業主と会社員の違いについての私感を書きましたが、今回はなぜ個人事業主のままで会社を設立しないのか、という話題にしようかと思います。

フリーランスの仕事を始めてまだ数年、ぐらいの頃だったでしょうか。同い年で会社を設立した友人から、「なんで会社にしないの?」と聞かれたことがありました。当時はそんな発想を持ったこともなく、「そんなに売上げも多くないからね」程度の返答をしたように記憶しています。その感覚は今でも持っていますし、実際に今でも会社にするほどの売上げがあるわけではありません。まあ会社にした方がいろいろできることも増えるし、事業の拡大もやりやすくなるだろう、とは思いますが、もし今同じことを聞かれたら、「会社を設立するほどの覚悟がないから」と答えるような気がします。

じゃあその「覚悟」ってなんだ、という話ですが、会社というのは法人であり、法人とは一つの人格だと私は考えていますので、その法人という人格を食わせていくほどの覚悟がない、ということかと思います。法人を立てれば、そっちと個人の財布もしっかり棲み分けないといけないし。まあ個人事業主でも事業と個人の財布は棲み分けるべきではありますが、その辺は個人事業主の方がグレーゾーンをつくりやすい、というのもありますしね。

法人を立てて、事業が大きくなったりすれば、人を雇ったりもしなくてはいけなくなることもあるでしょう。すると、その雇った人を食べさせるだけの仕事を持ってこなくてはいけなくなります。ということは、やりたくない仕事でもお金になるのなら、と引き受けてしまうことが増えるでしょう。世の中の会社はそうやって成り立っているのだよ、と諭されれば、はい、その通りです、と答えるしかなくなるわけですが、どうやら私は根っからのわがままなようで、できることならやりたいと思う仕事だけやりたい、と考えるタチのようです。そういう意味でも、個人事業主としてやっている方が自由が効いていい、ということかもしれません。

前述の会社を設立した友人も、人から伝え聞く話では、かのリーマンショックがあった後はかなり大変だったようです。想像の域は超えませんが、社長である以上、従業員の給料はなんとしても守らないといけないだろうし、そのためには資金繰りに奔走することもあったでしょう。営業活動も、リーマン以前とはずいぶんと…

【雑感】個人事業主と会社員の違いを、改めて考える。

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ゆでたまごのすけです。

個人事業主をかれこれ20年超やっているわけですが、最近ちょくちょく「すごいですね」と言われる機会があります。そう言われてみて、私の正直な感想は「そうなの?」というもの。まあ会社も10年続けるのは難しい、とも言われますから、そう考えるとすごいことなのかもしれませんが、私としては自分で自分を「すごい」と思ってやってきたわけでは全くないので、気がつけば人からすれば「すごい」と思われるようなことをやってきたのかな、という認識でいます。

そんな私にも、会社員の頃がありました。20代前半の2年半ほどという短い期間でしたが、その当時を振り返るとひたすら愚痴ばかりを言っていた記憶しかありません。今から考えれば「何を生意気な」と思いますが、要は自分の思うようにできないことが多くて、もどかしくて、それが愚痴にしかならなかったんだろうなあ、と思います。若かったですねえ。今となっては、自分の思うようにできることなんてほとんどないぞ、と思っていますからね。

当時と今とで何が違うんだろう、とふと考えてみますと、やはり会社員の頃は自分の時間を切り売りしていて、個人事業主の今は自分の仕事や成果が報酬になっている、というのが一番の大きな違いかな、と思います。会社員は、いくら働いたところでもらえる給料は一緒。もちろん残業手当なんていうものもありましたが、微々たるもので。やったらやった分だけいただける、というのは私にとっては大きなモチベーションになっているように思います。

じゃあ完全出来高制の営業職とかでもいいじゃん、という考えもあるでしょう。売れる商材を扱って、売った分だけインセンティブが入る。その方が楽じゃん、という考え方もあるのはわかりますが、たぶんそこでそういう発想に私がならないのは、かつて座付きの脚本家として劇団に関わり、舞台をつくっていた経験が大きく影響しているように思います。

舞台をやっていると、結局は公演にお客様が呼べるかどうか、が重要になってきます。採算は合ってないけど作品としては優れた舞台だ、というものもあるでしょうが、とはいえ客入りというのは作品の評価指標の一つであることには間違いありません。お客様が、電車代を払って劇場まで足を運び、数千円のチケットを購入して観に来てくださる。そのお客様が「観に来てよかった」と思って帰っていただけるような作品をつくること…

【雑感】世代を超えて、客観的な視点が持てたらいいのに。

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ゆでたまごのすけです。

「今の子どもたちは、物心がついた頃にはスマホがあったんだよなあ」などと世代論をぶち上げることが自分にもあったりしますが、そんな自分たちは「君たちの子ども時代には、物心ついた頃からファミコンがあったんだよなあ」と言われる世代でもありまして。こうしたやり取りを、単に「そうだよねえ、だから今の子どもたちは云々かんぬん」という建設的な着地点のない世代論として終わらせるのではなく、今の子どもたちには子どもの頃からスマホがあり、私たちが子どもの頃にはファミコンがあった、という事実や現象をきちんと捉えることが大事ではないか、と思うのです。

なんでそんなことを考えたかというと、姉の家で互いの家族同士が集まり、RPGに興じていた時のことをふと思い出したからでありまして。確か姉か、姉の子どもかがプレイしており、こちらの攻撃をすべて跳ね返すというラスボスになす術がない、という状況だったかと。そこで私が提案したのが、魔法攻撃を跳ね返す魔法というのを味方にかけて、さらに攻撃系の魔法を味方にかけて跳ね返して、ラスボスに攻撃系の魔法をぶつける、という方法でした。するとまさに私が提案した方法がハマり、ラスボスを倒すことができた、と。そこで姉がのたまったのが、

味方に攻撃系の魔法をかけるなんて発想は、私らの世代ではで出てこない。

的なコメントでした。それを聞いて、私の頭の中にはたくさんのクエスチョンマークが駆け巡ったのですが、その場では「そうかなあ」と流したように記憶しています。

そこで駆け巡ったクエスチョンマークを紐解いていくと、「それって世代論にするべきものなのかな」という疑問だったのではないかと思います。「味方を攻撃するなんて心情的にあり得ない」という考え方は、理解できます。しかしながら、そういう考え方ができるできないが世代間で違いがあるかどうかはよくわからない。なんなら味方を助けるための方法を考えた結果、取った戦略なわけだから、私としては「味方を攻撃」していたわけでもない。強いて言うなら、現状を客観的に捉えてどうすべきかを、自分の心情や感情といったものに左右されることなく、ぶれずに考えることができるかできないか、が世代間で違いがあるのかもしれない、といったところではないかと思うのです。

自分が信じているものであるとか、こうでなくてはならないと考えるものとか、そうい…

【雑感】AIの進化は人々の幸せのためであるべきだ、と思う。

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ゆでたまごのすけです。

「AIって何?」「IoTってITと違うの?」という疑問を持たれる方に向けては、IT用語解説のサイトあたりを調べていただく、ということで。

先日、求人媒体の代理店で働く知人が更新したFacebookのコメントで、キャッチコピーを作成してくれるAIというものが生まれそうだ、みたいなことが書かかれていました。そうなったら楽だなあ、的なコメントをされていましたが、まあそれが実用化になったら、確かに楽かもしれんなあ、などを思いながらそのコメントを眺めておりました。

AIの進化というのは、どうやらすさまじいようで。なんなら求人媒体でよくクリックされるキーワードというのがあるのはAIが進化しようがしまいが間違いのない事実で、やれ年間休日がめちゃくちゃ多いとか、残業手当を全額支給だとか、そんなキーワードを原稿の中に散りばめておけばとりあえずは求職者は食いつく、というのは求人媒体に関わっている人間であれば知っていることで。そうすれば応募者の数はとりあえず増えるわけで、企業の人事担当者からすれば応募者が多かった!という報告を上にできるということになれば、そういう案内をした代理店の営業担当はその担当者から高い評価を受けるゆえ、一見八方よし、今風に言うなら「Win-Winな関係」が築けたように感じるわけです。

ここで「一見」と言ったのはどういうことかというと、じゃあその数が多かった応募者数の中身はどうやねん、という話なわけです。たいがいが、そんな「釣り」の文句に釣られた応募者なんてのは、その求人広告を出稿した企業に対して思い入れがあるかって言ったらそんなのあるわけがない。なんなら、他にも「釣り」文句を羅列しているような企業にも多数応募しているわけで、いざその応募者に企業側から接点を持とうとメールしてみたところで「もう他で決まりました」という断り文句を投げ返されるのは目に見えているわけです。

物事には何事も「本質」というものがあるわけです。そこをしっかり捉えることなく、食いつきがいいからという理由だけで「釣り」文句を羅列するのは「本質」からひたすら遠ざかっているに過ぎません。将来、AIが劇的に進化した時に、その「本質」すら捉えて求人広告の言葉を並べ立てられるようになったなら、もしかすると世の中が劇的に幸せになるかもしれないですが、そこまで進化しない限りは「本質」を…

【雑感】異質な存在には恐怖と拒絶反応を感じるものだ、と自覚することが大切だと思う。

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ゆでたまごのすけです。

先日放映していたテレビ番組で、障がい者の方と健常者のタレント(主に芸人)の方が討論する、みたいな番組がありまして、録画しておいたのを改めて見ました。いや、番組の途中で見るのをやめて、また見て、と何度かに分けて全部を見切った、と言った方が正しいです。なんで一度に全部見られなかったのだろう、と振り返ってみると、一言で言えば「しんどかった」からだと思います。

なんで「しんどかった」かというと、やはり障がい者の方々の姿を見たり、あまり空気を読まない(あるいは読めない)態度を見ているのがつらいというか、しんどいというか、そういう感覚だったんだろうと思います。そんな感覚に陥る自分に直面し、二つの思いが私のもとに舞い降りました。

一つは、障がい者の方を見て、自分とは違う異質な存在に向き合うと恐怖を覚え、拒絶反応を起こしてしまうという、自分には寛容さがないことに気づいたゆえの落胆。もっともっと、自分とは違ったり、自分にはないものを持っていたり、という存在を受け入れられる心持ちでいたい、と望んでいるはずなのに、そうなれていない自分に気づいて、なんとも情けないというか、切ないというか、そんな気分になりました。

もう一つは、異質な存在に向き合った時には誰しも恐怖を覚えるものである、という現実を受け止め、受け入れ、認めなくてはいけないんだ、という気持ち。そう思ってはいけない、恐怖を覚えてはいけない、拒絶してはいけない、と自分の心を押さえつけようとしたところで、結局は恐怖や拒絶反応は拭えるものではなく、むしろ恐怖や拒絶を感じるのが人間なんだ、それは自分もそうなんだ、と認めることで恐怖や拒絶とつきあえるようになるのではないか、と思った次第です。

そんな二つの思いを自分の中で巡らせている中で、番組を見続けていると、健常者のタレントの方へ「もし芸人仲間から『実は障がいを持っているんだ。公表すべきかな?』と相談されたらどう答える?」という質問がされました。するとほぼ全員が「公表すべきではない」と答えていました。「自分をおもしろがってもらえている要因が、障がいを持つことによって自分が起こす行動や言動にあるなら、ネタばらしのようなことはしなくていいと思う」という意見もあれば、「テレビってそういう(障がいがあることを笑いにできる)ものではないから」という意見もありました。前者の…

【雑感】セカンドオピニオン、実体験。

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ゆでたまごのすけです。

もう3年くらい前になると思いますが、当時一人暮らしの部屋のトイレで顔を「一人壁ドン」してしまい、メガネの鼻を押さえるところが目の中に入って黒眼を擦りむくような怪我をしてしまった、という話はこちらのブログでも書かせてもらったように記憶しています。その怪我が3年も経っているというのに、半年〜1年おきに再発して目が痛くなる、という現象にしばしば遭遇し、そのたびに光を目に受けるだけで痛くなるという症状に見舞われては眼科へ駆け込む、ということを繰り返しておりました。

最初に怪我を負った際に訪ねた眼科では「黒眼の表面を覆っている膜が擦りむけたような状態で、治ったようでもその後クセになる」みたいな診断をもらっていたので、そういうもんか、時々こういう状況になるのにつきあっていかないといけないのね、と思っておりました。それがこの夏、また同様の症状に見舞われたもので、別の眼科へ行ってみたところ、「ちゃんと治してなかったんだね」というようなことを言われました。「え、それってつまり、最初に訪ねた眼科に騙されてたってこと?」と思ってしまいましたが、今回処方された点眼薬と眼軟膏は以前のものとは全く異なるもので、それを使って4日ほど経過するとすっかりよくなり、しかもそれ以前のような違和感が継続しているような状況もなくなったことを考えると、やっぱり騙されてたのかしら、と思わずにはいられません。

ちなみにその眼科は駅ビルに入っている、コンタクト屋さんの近くに設置されたクリニックでした。症状が再発したのが土曜の夜だったもので、日曜でも診療をやっている眼科を探したところ、そういう眼科しかないという状況だったのですが、そのシチュエーションだけを見ると「コンタクトの処方に特化していて本格的な眼科診療はできないんじゃね?」と勝手な先入観を持っておりました。そういう思い込みは間違いである、と思い知らされた気がします。

セカンドオピニオンという言葉がありますが、それを実際に体感したような体験でした。一人のお医者さんの言うことだけを盲信するのは、あまりよくないような気がします。


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