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【雑感】我が家は、祖父も父も「天然色」。

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ゆでたまごのすけです。

先日、大井町の飲み屋さんで仲良くなった人に、医療機器関連の仕事をされている方がいらっしゃいました。そんなお仕事をされているという話の流れから、岐阜の田舎町で町医者をやっていた祖父の話をすることになりました。

私の祖父というのは、言ってみれば「天然」な人。それはどういうことかというと、町医者として地域の患者さんを往診している中で、どうしてもその患者さんが救えず、亡くなってしまうこともあり、それを本気で悩んだらしいのです。「なぜ、私は救えないのだろう」「どうすれば、救えるのだろう」と悩んだ挙句に、導き出した答えが「出家をしよう」という決断だった、と。なんなら見方を悪くすれば「病気の時も、死んでからも金を巻き上げるのか」とも取れる話ではありますが、私の祖父はそんな気持ちは微塵もなく、ただただ患者さんが亡くなってしまった後も救えるように、と医者と坊主を兼業したらしいのです。

そんな話を先にご紹介した医療機器関連の仕事をされている方にすると、その方が一言、

「おじいさんは、とても徳が高い方ですね。医者でそこまで悩む人なんていませんよ。見たことありませんもん」

とおっしゃいました。

仕事柄、医師と接することは当然多いのでしょう。そういう方に、祖父の話を聞いてもらい、それを褒めていただけたのは、とてもありがたいことだし、嬉しいことでした。

前にこのブログのどこかで、父のことに触れた記事を書いたこともありますが、父もどこか祖父と同じように「天然」なところのある人でした。私にも、その血は受け継がれています。「血は争えない」というのは、まさにこういうことなのだろうと思います。

大瀧詠一さんの曲で「君は天然色」という曲がありましたが、まさにこれは我が家の家系の歌ではないかと(笑)。だからなのか、その医療機器関連の仕事をされている方と出会ったお店では、カラオケで「君は天然色」を歌ったように記憶しています。

まあそんな「天然」な家系に属する私の書いているもう一つのブログも、ぜひご覧いただきたく思います。

求人広告の「裏ワザ!」

記事のどこかから、「天然」がにじみ出ているかもしれません(笑)。


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【雑感】それは「自分のため」か、「人のため」か。

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ゆでたまごのすけです。

前回の記事(【雑感】私は「意識高い系」が苦手です。)で、「今がチャンス」と連呼する「意識高い系」に振り回されると、知らぬ間に「負債」を抱え込み、それを「意識高い系」の人たちは「自己責任だ」と言い放って責任なんて取りゃしない、みたいなことを書かせてもらいました。今回は、そんな「負債」を抱えた人が陥りやすいパターンについて言及してみたいと思います。

よく生命保険の営業で、身内に営業をかける人っていますよね。ノルマがきつくて、契約が取れないから、もうとりあえず身内に頼るしかない、みたいな感じで。そういう流れになってしまった人はたいがい破綻するわけですが、これ、どうして破綻するかというと、一言で言えば「自分のことしか考えていないから」なんですね。自分が追い込まれてしまっているから(冷静に考えれば一人で勝手に追い込まれたと思っているだけで、そんな風になるならとっとと生命保険の営業という仕事を辞めてしまえばいいのですが)、とにかくノルマをクリアさせなければ、としか考えていない。そのためには身内だって犠牲にしてしまえ、ぐらいの発想にしかなっていない。厄介なのは、自分がそういう発想になっていることを自覚していないこと。いわゆる「視野狭窄」というヤツです。

営業職と呼ばれる仕事をしている人で、きっちり成果を出す人というのは、自分のことだけでなく、商談する相手のことはもちろん、相手の背景にいる人たちまで含めて、みんなが幸せになるような商売って何だろう、と常に考えている人だと思います。たとえば前述のようなノルマがきつい生命保険の営業でも、身内に頼るしかないとするなら、その身内の人が自分のお勧めする生命保険のプランを契約することで、どんな幸せがもたらされるのか、をちゃんと考えられていたら、きっと破綻することはないのでしょう。目的が「自分のため」でしかないから、うまくいかなくなって、破綻する。そこに気づけるかどうかが、将来の明暗を分けるし、人間を深くするか浅くするかも違ってくるのではないか、と思うのです。

自分の行動が、自分のためだけにしかなっていないかどうか。これは自戒も込めて、常に問いかけていかないといけないことだと私は思います。

そんな私が誰かのためになれば、と思って書いているもう一つのブログも、ぜひご覧下さい。

求人広告の「裏ワザ!」

この時期、求人広告の仕…

【雑感】私は「意識高い系」が苦手です。

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ゆでたまごのすけです。

決して「意識が高い」ということ自体が苦手、ということではありません。ここで言うところの「意識高い系」とは、意識が高いふりをして人を巻き込んだり、なんなら人から金を巻き上げようとするような人たち、と私は定義します。

これまで47年ほど人生を歩んできましたが、そういう人たちに遭遇することはしばしばありました。前回の記事(【雑感】成果が出せる営業は「幸せ」を願う)でも触れましたが、自分の本業である生命保険の営業のための「集客」を目指し、飲み屋で働くおねーちゃんなんかはまさにそうだったなあ、と振り返って思います。

その彼女に紹介されて参加したのが、一言で言えばネットワークビジネスの勉強会。収益のネタとして何かしらないかしら、と考えていた時だったのでほいほいとついていってしまったわけですが、商材そのものはいいものなんだけど、それを拡販する方法が典型的なネズミ講でして。言っちゃえば、参加する人が増えれば増えるほど集客した「親」が儲かる仕組みですから、勉強会の講師を務める人はひたすら「早く参加した方がいい」を連呼するわけです。まあ会社員として働いている人だったり、それをリタイアして退職金をどう使うかね、とか考えている人が参加者の多くを占めているわけですから、それだけ連呼されると「そうかもしれない」と思っちゃう。世の中にどんなビジネスがあって、それがどういう仕組みで成り立ってるのか、そんなにたくさんの知識をお持ちでない方だったりするから、「今、参加すれば搾取から逃れられる。自由な人生を歩みましょう」なんて言われたら、乗っかった方がいいかも、なんて思うわけですね。

こういう場面に遭遇した時に、冷静になって考えてもらいたいのが、「自分には販路があるのか」ということです。商材がモノであれば、仕入れが発生するわけです。仕入れたものが売れなければ、在庫を抱えることになる。なんなら「負債」ですよね。在庫を抱えないようにするためには、自分がその商材を売れるかどうか、売る先となる見込み客がどれくらいあるか、を冷静に考えた方がいいと思うのです。

なんならその「今がチャンス」と連呼していた勉強会の講師にとっては、参加した人が売れようが売れまいが関係ない。参加者の中で10人中1人でも売れる人が現れればいいわけです。だから勉強会の講師は、参加者を一人でも多く増やそうと「今がチャ…

【雑感】成果が出せる営業職は「幸せ」を願う。

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ゆでたまごのすけです。

自分は営業職ではないのですが、一方で個人事業主でもあるので、仕事をいただけるようにしなくてはいけない、と営業職っぽいこともしています。とはいえ、本職ではないので、営業職というものを客観的に見る視点も持ち合わせており、その視点からは「営業職って面白いなあ」と思うことがしばしばあります。

営業職というのは、モノやサービスを売って売上げを上げることが最大のミッションです。ということは、モノやサービスを購入いただけるお客様を集めないといけない。「集客」というプロセスが必ず必要で、なんならそれが営業職の基本の「キ」になるわけですが、この「集客」にはいろんな方法があるものだなあ、と感心しきりなわけです。なんなら飲み屋のおねーちゃんが来店客から電話番号やLINEを交換する、というのもれっきとした「集客」活動なわけです。

飲み屋のおねーちゃんネタで言えば、そういう飲み屋での「集客」を使って別の自分の本業にも集客しようとするおねーちゃんがいる、というのもあります。たとえば本業で無店舗販売の毛皮販売をやっていたり、生命保険の営業をやっていたり、なんて事例に遭遇したこともあります。「買ったのか?」って? いやいや、さすがに買わなかったですよ(笑)。

しかしながら、きちんと成果を出せる営業職というのは、「集客」はもちろんのこと、「アフターフォロー」がしっかりしていることが不可欠な条件のように思います。売ったら売りっぱなしで、あとのことはほったらかしでは、当たり前ですがリピートすることはありません。求人広告の中には「受注後のアフターフォローは、専門の部署が対応。あなたは営業に集中することができます」みたいなことを強みとしている募集も見受けられますが、私は「それじゃ成果の出せる営業職は育たないよなあ」と思ってしまいます。アフターフォローを担当する部署がよほどレベルが高いか、応募者の人が営業に集中できる環境でも売った後がどうだったかを意識できる人でもない限りは。後者はそもそも応募者の資質による問題なので、その応募者が入社して成果を出したとしても、それはその募集会社の環境によるものではない、ということになるかと思います。

ちなみに前述の毛皮販売のおねーちゃんは、私が「買わない」とわかった瞬間に、手のひらを返したような態度を取ってきましたね。当時はまだ私も20代と若かった…

【雑感】私が会社を設立しないわけ。

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ゆでたまごのすけです。

前回の記事で個人事業主と会社員の違いについての私感を書きましたが、今回はなぜ個人事業主のままで会社を設立しないのか、という話題にしようかと思います。

フリーランスの仕事を始めてまだ数年、ぐらいの頃だったでしょうか。同い年で会社を設立した友人から、「なんで会社にしないの?」と聞かれたことがありました。当時はそんな発想を持ったこともなく、「そんなに売上げも多くないからね」程度の返答をしたように記憶しています。その感覚は今でも持っていますし、実際に今でも会社にするほどの売上げがあるわけではありません。まあ会社にした方がいろいろできることも増えるし、事業の拡大もやりやすくなるだろう、とは思いますが、もし今同じことを聞かれたら、「会社を設立するほどの覚悟がないから」と答えるような気がします。

じゃあその「覚悟」ってなんだ、という話ですが、会社というのは法人であり、法人とは一つの人格だと私は考えていますので、その法人という人格を食わせていくほどの覚悟がない、ということかと思います。法人を立てれば、そっちと個人の財布もしっかり棲み分けないといけないし。まあ個人事業主でも事業と個人の財布は棲み分けるべきではありますが、その辺は個人事業主の方がグレーゾーンをつくりやすい、というのもありますしね。

法人を立てて、事業が大きくなったりすれば、人を雇ったりもしなくてはいけなくなることもあるでしょう。すると、その雇った人を食べさせるだけの仕事を持ってこなくてはいけなくなります。ということは、やりたくない仕事でもお金になるのなら、と引き受けてしまうことが増えるでしょう。世の中の会社はそうやって成り立っているのだよ、と諭されれば、はい、その通りです、と答えるしかなくなるわけですが、どうやら私は根っからのわがままなようで、できることならやりたいと思う仕事だけやりたい、と考えるタチのようです。そういう意味でも、個人事業主としてやっている方が自由が効いていい、ということかもしれません。

前述の会社を設立した友人も、人から伝え聞く話では、かのリーマンショックがあった後はかなり大変だったようです。想像の域は超えませんが、社長である以上、従業員の給料はなんとしても守らないといけないだろうし、そのためには資金繰りに奔走することもあったでしょう。営業活動も、リーマン以前とはずいぶんと…

【雑感】個人事業主と会社員の違いを、改めて考える。

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ゆでたまごのすけです。

個人事業主をかれこれ20年超やっているわけですが、最近ちょくちょく「すごいですね」と言われる機会があります。そう言われてみて、私の正直な感想は「そうなの?」というもの。まあ会社も10年続けるのは難しい、とも言われますから、そう考えるとすごいことなのかもしれませんが、私としては自分で自分を「すごい」と思ってやってきたわけでは全くないので、気がつけば人からすれば「すごい」と思われるようなことをやってきたのかな、という認識でいます。

そんな私にも、会社員の頃がありました。20代前半の2年半ほどという短い期間でしたが、その当時を振り返るとひたすら愚痴ばかりを言っていた記憶しかありません。今から考えれば「何を生意気な」と思いますが、要は自分の思うようにできないことが多くて、もどかしくて、それが愚痴にしかならなかったんだろうなあ、と思います。若かったですねえ。今となっては、自分の思うようにできることなんてほとんどないぞ、と思っていますからね。

当時と今とで何が違うんだろう、とふと考えてみますと、やはり会社員の頃は自分の時間を切り売りしていて、個人事業主の今は自分の仕事や成果が報酬になっている、というのが一番の大きな違いかな、と思います。会社員は、いくら働いたところでもらえる給料は一緒。もちろん残業手当なんていうものもありましたが、微々たるもので。やったらやった分だけいただける、というのは私にとっては大きなモチベーションになっているように思います。

じゃあ完全出来高制の営業職とかでもいいじゃん、という考えもあるでしょう。売れる商材を扱って、売った分だけインセンティブが入る。その方が楽じゃん、という考え方もあるのはわかりますが、たぶんそこでそういう発想に私がならないのは、かつて座付きの脚本家として劇団に関わり、舞台をつくっていた経験が大きく影響しているように思います。

舞台をやっていると、結局は公演にお客様が呼べるかどうか、が重要になってきます。採算は合ってないけど作品としては優れた舞台だ、というものもあるでしょうが、とはいえ客入りというのは作品の評価指標の一つであることには間違いありません。お客様が、電車代を払って劇場まで足を運び、数千円のチケットを購入して観に来てくださる。そのお客様が「観に来てよかった」と思って帰っていただけるような作品をつくること…

【雑感】世代を超えて、客観的な視点が持てたらいいのに。

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ゆでたまごのすけです。

「今の子どもたちは、物心がついた頃にはスマホがあったんだよなあ」などと世代論をぶち上げることが自分にもあったりしますが、そんな自分たちは「君たちの子ども時代には、物心ついた頃からファミコンがあったんだよなあ」と言われる世代でもありまして。こうしたやり取りを、単に「そうだよねえ、だから今の子どもたちは云々かんぬん」という建設的な着地点のない世代論として終わらせるのではなく、今の子どもたちには子どもの頃からスマホがあり、私たちが子どもの頃にはファミコンがあった、という事実や現象をきちんと捉えることが大事ではないか、と思うのです。

なんでそんなことを考えたかというと、姉の家で互いの家族同士が集まり、RPGに興じていた時のことをふと思い出したからでありまして。確か姉か、姉の子どもかがプレイしており、こちらの攻撃をすべて跳ね返すというラスボスになす術がない、という状況だったかと。そこで私が提案したのが、魔法攻撃を跳ね返す魔法というのを味方にかけて、さらに攻撃系の魔法を味方にかけて跳ね返して、ラスボスに攻撃系の魔法をぶつける、という方法でした。するとまさに私が提案した方法がハマり、ラスボスを倒すことができた、と。そこで姉がのたまったのが、

味方に攻撃系の魔法をかけるなんて発想は、私らの世代ではで出てこない。

的なコメントでした。それを聞いて、私の頭の中にはたくさんのクエスチョンマークが駆け巡ったのですが、その場では「そうかなあ」と流したように記憶しています。

そこで駆け巡ったクエスチョンマークを紐解いていくと、「それって世代論にするべきものなのかな」という疑問だったのではないかと思います。「味方を攻撃するなんて心情的にあり得ない」という考え方は、理解できます。しかしながら、そういう考え方ができるできないが世代間で違いがあるかどうかはよくわからない。なんなら味方を助けるための方法を考えた結果、取った戦略なわけだから、私としては「味方を攻撃」していたわけでもない。強いて言うなら、現状を客観的に捉えてどうすべきかを、自分の心情や感情といったものに左右されることなく、ぶれずに考えることができるかできないか、が世代間で違いがあるのかもしれない、といったところではないかと思うのです。

自分が信じているものであるとか、こうでなくてはならないと考えるものとか、そうい…

【雑感】AIの進化は人々の幸せのためであるべきだ、と思う。

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ゆでたまごのすけです。

「AIって何?」「IoTってITと違うの?」という疑問を持たれる方に向けては、IT用語解説のサイトあたりを調べていただく、ということで。

先日、求人媒体の代理店で働く知人が更新したFacebookのコメントで、キャッチコピーを作成してくれるAIというものが生まれそうだ、みたいなことが書かかれていました。そうなったら楽だなあ、的なコメントをされていましたが、まあそれが実用化になったら、確かに楽かもしれんなあ、などを思いながらそのコメントを眺めておりました。

AIの進化というのは、どうやらすさまじいようで。なんなら求人媒体でよくクリックされるキーワードというのがあるのはAIが進化しようがしまいが間違いのない事実で、やれ年間休日がめちゃくちゃ多いとか、残業手当を全額支給だとか、そんなキーワードを原稿の中に散りばめておけばとりあえずは求職者は食いつく、というのは求人媒体に関わっている人間であれば知っていることで。そうすれば応募者の数はとりあえず増えるわけで、企業の人事担当者からすれば応募者が多かった!という報告を上にできるということになれば、そういう案内をした代理店の営業担当はその担当者から高い評価を受けるゆえ、一見八方よし、今風に言うなら「Win-Winな関係」が築けたように感じるわけです。

ここで「一見」と言ったのはどういうことかというと、じゃあその数が多かった応募者数の中身はどうやねん、という話なわけです。たいがいが、そんな「釣り」の文句に釣られた応募者なんてのは、その求人広告を出稿した企業に対して思い入れがあるかって言ったらそんなのあるわけがない。なんなら、他にも「釣り」文句を羅列しているような企業にも多数応募しているわけで、いざその応募者に企業側から接点を持とうとメールしてみたところで「もう他で決まりました」という断り文句を投げ返されるのは目に見えているわけです。

物事には何事も「本質」というものがあるわけです。そこをしっかり捉えることなく、食いつきがいいからという理由だけで「釣り」文句を羅列するのは「本質」からひたすら遠ざかっているに過ぎません。将来、AIが劇的に進化した時に、その「本質」すら捉えて求人広告の言葉を並べ立てられるようになったなら、もしかすると世の中が劇的に幸せになるかもしれないですが、そこまで進化しない限りは「本質」を…

【雑感】異質な存在には恐怖と拒絶反応を感じるものだ、と自覚することが大切だと思う。

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ゆでたまごのすけです。

先日放映していたテレビ番組で、障がい者の方と健常者のタレント(主に芸人)の方が討論する、みたいな番組がありまして、録画しておいたのを改めて見ました。いや、番組の途中で見るのをやめて、また見て、と何度かに分けて全部を見切った、と言った方が正しいです。なんで一度に全部見られなかったのだろう、と振り返ってみると、一言で言えば「しんどかった」からだと思います。

なんで「しんどかった」かというと、やはり障がい者の方々の姿を見たり、あまり空気を読まない(あるいは読めない)態度を見ているのがつらいというか、しんどいというか、そういう感覚だったんだろうと思います。そんな感覚に陥る自分に直面し、二つの思いが私のもとに舞い降りました。

一つは、障がい者の方を見て、自分とは違う異質な存在に向き合うと恐怖を覚え、拒絶反応を起こしてしまうという、自分には寛容さがないことに気づいたゆえの落胆。もっともっと、自分とは違ったり、自分にはないものを持っていたり、という存在を受け入れられる心持ちでいたい、と望んでいるはずなのに、そうなれていない自分に気づいて、なんとも情けないというか、切ないというか、そんな気分になりました。

もう一つは、異質な存在に向き合った時には誰しも恐怖を覚えるものである、という現実を受け止め、受け入れ、認めなくてはいけないんだ、という気持ち。そう思ってはいけない、恐怖を覚えてはいけない、拒絶してはいけない、と自分の心を押さえつけようとしたところで、結局は恐怖や拒絶反応は拭えるものではなく、むしろ恐怖や拒絶を感じるのが人間なんだ、それは自分もそうなんだ、と認めることで恐怖や拒絶とつきあえるようになるのではないか、と思った次第です。

そんな二つの思いを自分の中で巡らせている中で、番組を見続けていると、健常者のタレントの方へ「もし芸人仲間から『実は障がいを持っているんだ。公表すべきかな?』と相談されたらどう答える?」という質問がされました。するとほぼ全員が「公表すべきではない」と答えていました。「自分をおもしろがってもらえている要因が、障がいを持つことによって自分が起こす行動や言動にあるなら、ネタばらしのようなことはしなくていいと思う」という意見もあれば、「テレビってそういう(障がいがあることを笑いにできる)ものではないから」という意見もありました。前者の…

【雑感】セカンドオピニオン、実体験。

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ゆでたまごのすけです。

もう3年くらい前になると思いますが、当時一人暮らしの部屋のトイレで顔を「一人壁ドン」してしまい、メガネの鼻を押さえるところが目の中に入って黒眼を擦りむくような怪我をしてしまった、という話はこちらのブログでも書かせてもらったように記憶しています。その怪我が3年も経っているというのに、半年〜1年おきに再発して目が痛くなる、という現象にしばしば遭遇し、そのたびに光を目に受けるだけで痛くなるという症状に見舞われては眼科へ駆け込む、ということを繰り返しておりました。

最初に怪我を負った際に訪ねた眼科では「黒眼の表面を覆っている膜が擦りむけたような状態で、治ったようでもその後クセになる」みたいな診断をもらっていたので、そういうもんか、時々こういう状況になるのにつきあっていかないといけないのね、と思っておりました。それがこの夏、また同様の症状に見舞われたもので、別の眼科へ行ってみたところ、「ちゃんと治してなかったんだね」というようなことを言われました。「え、それってつまり、最初に訪ねた眼科に騙されてたってこと?」と思ってしまいましたが、今回処方された点眼薬と眼軟膏は以前のものとは全く異なるもので、それを使って4日ほど経過するとすっかりよくなり、しかもそれ以前のような違和感が継続しているような状況もなくなったことを考えると、やっぱり騙されてたのかしら、と思わずにはいられません。

ちなみにその眼科は駅ビルに入っている、コンタクト屋さんの近くに設置されたクリニックでした。症状が再発したのが土曜の夜だったもので、日曜でも診療をやっている眼科を探したところ、そういう眼科しかないという状況だったのですが、そのシチュエーションだけを見ると「コンタクトの処方に特化していて本格的な眼科診療はできないんじゃね?」と勝手な先入観を持っておりました。そういう思い込みは間違いである、と思い知らされた気がします。

セカンドオピニオンという言葉がありますが、それを実際に体感したような体験でした。一人のお医者さんの言うことだけを盲信するのは、あまりよくないような気がします。


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【雑感】年1回、私は中学生にプレゼンの仕方を教えている。

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ゆでたまごのすけです。

先日このブログで、10年超も中学校の「お父さんの会」会長をやっているという話に触れました。そしてその活動の一環として「ゲストティーチャー」なるものをやっていると述べましたが、それをもう少し具体的な話で紹介しようかと思います。

中学校にはいわゆる国語算数理科社会とは別に、「総合的な学習の時間」という時間が設けられています。文科省のホームページではこの「総合的な学習の時間」を「変化の激しい社会に対応して、自ら課題を見付け、自ら学び、自ら考え、主体的に判断し、よりよく問題を解決する資質や能力を育てることなどをねらいとする」と書いていますが、要するに「なんか世の中の役に立ちそうなことなら何でもいいから勉強しましょう」ということかと思います。

そんな時間を活用して、「スイーツプロジェクト」なる授業が行われている中学校があります。「スイーツプロジェクト」とは、3年生全員を4〜5名1組のチームに分け、1チームを「会社」として、そのメンバーは社長・商品開発担当・広報担当……などと役割を決定。各会社ごとに地元産の農産物を使ったスイーツを企画してプレゼンしましょう、その中で最優秀賞を獲得した企画商品は本当に実現しちゃいましょう、という授業です。私はその授業の一環で、広報担当の子どもたちを集めて「広告とはなんぞや」なる授業を偉そうにやったり、子どもたちのプレゼンを聞いて審査する審査員も拝命していたりするわけです。

ちなみにその様子を伝えているのがこちらです。

「広告とはなんぞや」という授業では、わずか50分1コマの短い時間で伝えられることは限られているので、「広告は全て、誰に何を伝えたいか、という狙いが必ずある」ということだけに集中して、実例を挙げて「これは誰に何を伝えたい広告?」と質問したり、実際の商品を取り上げて「この商品について、誰に何を伝えたいかを意識してキャッチコピーをつくってみて」という課題を出したり、という感じで進めています。

で、彼らは最終的に自分たちが考えたスイーツをプレゼンすることになるわけですが、まあ私と同年代や上の世代の人だと四苦八苦する「パワポ」というやつをうまいこと駆使してプレゼン用のスライドなんかをつくるわけです。体育館に設置したプロジェクタで映し出して、といった具合にやるわけなので、なかなか本格的。なので、最近は上記のような授業…

【雑感】「裏」を取れば、視野が広がる。

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ゆでたまごのすけです。

なんだか巷では女優さんの奥様がユーチューバー的に俳優のご主人の不倫なぞを告発してみたり、はたまた世界に名を馳せた名優が不倫報道に対する釈明の記者会見を開いたりと、ずいぶんザワザワしております。それを受けて、テレビや雑誌などは後追い報道が過熱していたり、コメンテーターという不思議な肩書きをお持ちの方々がしたり顔で論評してみたり、中には企業のリスクマネジメントのコンサルタントと思しき方が「これは結局、大手芸能プロダクションのリスクマネジメントのプロセスを見せられているようなものだ」みたいなことをおっしゃったりと、人にはいろんな視点や見方があるものだなあ、と感心させられるばかりです。

個人的な意見というか、思うことをあえて書いてみるとすれば、結局どれもこれも「裏」が取れてない話だよなあ、ということです。表に出ていることだけを見たり聞いたり、読んだりする中で、憶測されたことばかりが並べられている。まあテレビの視聴者だったり、雑誌の読者だったりというのは、そういう憶測を並べられてさらに自分も憶測してみるのが楽しいものなのかもしれませんが、自分が「裏」の取れていない話で楽しんでいることを自覚した上で楽しむのなら「あり」だろうと私は思います。それを無自覚に楽しんでいるとしたら、なんと言うか、おめでたい、ということなのかなあ、と。

かつて20代の頃、某新聞社の編集局でアルバイトをしていた時、記者の人たちと接する中でひしひしと感じたのが、「裏」を取ることへのこだわりでした。もちろんいろんなタイプの記者の人がいますから、「裏」の取り方が甘かったり、「裏」が取れていてもそれを誇張したり、ねじ曲げたりするような下衆な人もいましたが、私が「この人、好きだなあ」と感じる記者の人は概ね、「裏」を取って真実を伝えることに誠実な取り組みをする人ばかりでした。そしてそんな誠実であろうとする人たちのまわりには、「裏」を知っているゆえに、いろんな思惑を持って近づいたり、接したりする下衆な人たちが集まってきます。そんな人たちをうまくさばくことで、誠実さを保ち、真実を伝えようとする。そういう人たちを見ていると、「ジャーナリストってこういう人たちのことを言うんだろうなあ」と若き日の私は感じたものです。だから最近の「自社の方針だから」というのが見え見えな、自分たちの立場を守ることに必死…

【雑感】子どもの通う学校と関わることでいろんな「気づき」がある。

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ゆでたまごのすけです。

先日、知り合い(男性)のFacebook上での投稿で、「PTAのグループLINE、旧姓にするのと下の名前だけにするの、やめてくれんかね」というものがあって、ちょっと吹き出してしまいました。いや、旧姓にするのとか、下の名前だけにするのとかが悪いとかではなくて、ああ、なんか「PTAあるある」かも、と思ったもので。

子どもの通う学校に男親が関わることってなかなかなかったり、仕事の関係で難しかったりするとは思うのですが、関わってみると発見だったり、違和感だったり、何にせよ「気づき」があるように感じます。だから機会があれば、男親も積極的に関わってみるといいんじゃないか、と私は思います。かく言う私は、いわゆる「お父さんの会」の会長などをやっております。かれこれ10年以上。

「え、どういうこと?」と思われたでしょうが、私は前妻との間に娘が二人おりますが、彼女たちはもう上が21歳、下が19歳になります。私が会長を務める「お父さんの会」は、彼女たちが通っていた中学校のものですが、会長である私の勝手な判断で「OBも参加自由」としております。ゆえに娘たちが現役中学生でなくなってから、もう4〜5年ほど活動を継続している、ということです。主な活動内容は、夜間パトロールと体育祭の片づけの手伝い、それに要望があれば校内巡回やゲストティーチャーなんかにも対応しています。

ちなみに私は、その中学校のホームページなどもディレクションする、という活動にも関わっています。

川口市立里中学校

こちらがそのホームページです。

PTAとはちょっと違った組織になっているので、わりとその活動方針は緩く、柔軟に、をモットーとしています。なので、定期的に先生方を交えての懇親会、という名の飲み会も開催しています。PTAでもそういう会は開いているようですが、どうも話を聞くと「お父さんの会」主催の飲み会では先生方も少し気を許してくださるようで、先生方の忌憚のない意見や本音が聞けたりして、これはこれでありだな、と私は思っています。

この「お父さんの会」で10年あまり活動を続けてなんとなく感じるのは、親というものは一生懸命親であろうと肩肘を張りがちな生き物である、ということです。なんか子どもが通う学校と関わりを持つということは、親としてちゃんとしていないといけないのではないか、という意識が働くのでしょう…

【旅の思ひ出】大阪の人は、蓬莱の豚まんを食べるのか。

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ゆでたまごのすけでございます。

昨日は日帰りで、大阪出張でした。なんかここのところ、毎週出張がある感じです。来週もすでに週半ばに仙台出張が予定されており、かつて出張だけでANAのカードがもう少しでプレミアムカードになりそうだったことのある、出張を厭わない私の本領発揮、といったところでしょうか。

慌ただしい出張でしたので、帰りがけに自宅へのお土産だけちゃちゃっと購入しました。それが写真の「蓬莱の豚まん」であります。ちなみに子どもらが好きな焼売も、一緒です。大阪のお土産といえば、という感じですよね。

しかしながら、ふと思いました。大阪の人は、「蓬莱の豚まん」を食べるのでしょうか。私も生まれは名古屋ですが、そんなに毎日エビフライは食べないですし、味噌カツや味噌煮込みうどんもしょっちゅうは食べません。でも現在は東京在住な私は、たまに名古屋へ出張があると、やはり太閤通口からエスカへ降りて、山本屋本店の味噌煮込みうどんを食し、コメダ珈琲店でアイスコーヒーと豆菓子を堪能する、というルーティンをほぼ必ず行います。たとえば大阪出身の人で関東圏で生活している人は、出張の帰りに「蓬莱の豚まん」を購入して帰るのでしょうか。

まあそんなあれやこれや、どうでもいいことをぼんやりと考えながら、持ち帰りに5時間かかると有料の保冷袋がいいけど、3時間以内なら通常の無料の袋に保冷剤だというので、セコく後者を選んで持ち帰ったという話です。ちなみに今回の出張も求人広告絡みのお仕事でしたので、こちらもぜひご覧下さい。

求人広告の「裏ワザ!」

マイペースに更新は、継続しております。


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【雑感】夏の甲子園予選、初めて神奈川・東東京大会をテレビで見る。

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ゆでたまごのすけでございます。

高校野球・夏の甲子園の予選が始まっております。愛知・東邦高校のバンビ坂本投手のあたりからファンを続けている私としては、楽しみな季節になってきました。

今年は品川に居を構えて、初の夏の甲子園予選の季節。これまで東京北部〜埼玉に住んでいた私としては、テレビ埼玉の埼玉県予選に馴染みが深かったわけですが、品川ではテレビ埼玉が入りません(笑)。TVK(テレビ神奈川)のサーティーフォー保土ヶ谷球場(ネーミングライツでこんな名前になったんですね、保土ヶ谷球場)で行われる神奈川県予選と品川ケーブルテレビの江戸川区球場で行われる東東京都予選が見られるというのが新鮮なわけです。まだこの時期は一回戦、二回戦あたりだったりするので、見たこともない、聞いたこともないような高校同士が対戦するのですが、これがまた実力が拮抗しているので意外と試合そのものも面白かったりします。自宅がオフィスのフリーランスなもので、相変わらず仕事をしながらBGMで高校野球予選を流しておるわけですが、いい当たりの金属音がすると「むむっ?」と振り返ったりしております。

しかしながら、今年も登場する選手の中には明らかに「ハーフ」とわかる子が多いですね。「ハーフ」という言い方もそれって差別的表現じゃない?と求人広告を長くやっている人間としては気にしてしまうわけですが、私としてはそういうつもりはまったくなく、「ハーフ」というのも珍しい存在ではなくなっているのだなあ、世の中の流れがそういう方向に進んでいるのだなあ、と感慨深く思う次第です。まあ今一緒に住んでいる嫁の連れ子もスペイン人との「ハーフ」なので、世の中の流れがどうのこうのというより目の前におるやんけ、というノリツッコミを自分で自分に入れてしまいたくなるのですが。

さてさて、話は夏の甲子園に戻りますが、今年はまたどんな高校が全国大会に登場するのか、そしてどんなヒーローが生まれるのか、楽しみです。先日、Numberで清原さんの特集が組まれていましたが、悪い意味でなく、後年まで語り草になるような選手が現れるのを期待して。


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【旅の思ひ出】初見!明石海峡大橋。

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ゆでたまごのすけでございます。

またまた先日の関西出張ネタですが、写真の左側にかかっている橋は「明石海峡大橋」なのだそうです。淡路島との間を結ぶ橋ということで、話には聞いていたものの、お目にかかることになるとは思いもよらなかったので、なんだか得した気分になった次第です。

出張の前に取材先の場所だけ調べておこうとGoogleマップで検索をかけたところ、最寄駅の「舞子」は海沿いにある駅だ、ということだけは事前にわかってはいました。その時に地図をしっかり見ておけばわかっていたのでしょうが、現地に降り立ってみて気づいたのが、「舞子」がまさに明石海峡大橋で淡路島へ向かう本州側のスタート地点だった、と。結構なリゾート地のように思えるのですが、駅周辺には名前は「かつてそうだった」と感じさせるような、ちょっと古めかしいホテルがいくつか建っているだけで、他にはいわゆるお土産屋さんなどものあく、さほどリゾート感のある雰囲気にはなっていなかったのが印象的でした。

いつか淡路島へ行くことがあれば、ここから渡っていきたいものだ。ここのところ宮古島でのスキューバダイビングにハマりつつある私の頭の中では「島=スキューバ」という方程式が勝手に成り立っており、ダイビングポイントがあるのかどうか調べてもいませんが、いつか潜れるものなら潜ってみたい、などと考えておりました。

というわけで、仕事絡みのブログなのにトップ写真はなぜか宮古島、という私のもう一つのブログもご紹介しておきましょう。

求人広告の「裏ワザ!」

ダイビングの話題は、一切扱っていませんが(笑)。


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【旅の思ひ出】明石で明石焼。

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ゆでたまごのすけでございます。

先日の関西出張は、日帰りでした。なので、夜の街を徘徊するというような楽しいことはまったくできず、残念でした。「出張は仕事でしょう?楽しいことなんてあったらおかしいんじゃないの?」などと、「コンプラ的には……」といった言葉が口ぐせになっているような方からは怒られてしまいそうですが、そんな時には「テンプラでも食ってろ」と心の中で返しているのが私のデフォルトだったりします。

まあそんなことはどうでもいいんですが、先のブログでも触れました通り、目的地の最寄駅は「舞子」で、新幹線の「西明石」で在来線に乗り換えて向かったわけです。ということで、帰りも「西明石」から新幹線に乗車したのですが、せっかくだからと思って晩ごはんは駅の近くで食べようと、ふらふらとちょっとだけ徘徊してみたわけです。

すると、駅近くに「明石焼」の看板が見えまして。おお、明石で明石焼は食べるべきでしょう、と思ってのれんをくぐりますと、カウンターで明石焼をはじめお好み焼きや焼きそばなどの鉄板焼きメニューを食べさせてくれるお店だったわけです。うーむ、関東ではなかなかお目にかかることのない、カウンタースタイルの鉄板焼き店。そんなシチュエーションも楽しみながら、明石焼とお好み焼き、それにハイボールで晩ごはんにしたというわけです。

明石焼、もう期待通りの味わいでした。これぞ、頭の中にイメージしていた明石焼ではないか!と叫びたくなるくらい、期待を裏切らない明石焼でした。日帰り出張で慌ただしく行って帰ってきたわけですが、明石で明石焼を堪能できただけでも十分楽しめたように思います。ちなみにテンプラは、食べてきませんでしたよ(笑)。

とかいいつつ、私も意外と仕事も真面目にやってますよ、とわかるブログもご覧下さい。

求人広告の「裏ワザ!」

よかったらどうぞ。


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【旅の思ひ出】JR西日本の「こだま」がすごかった。

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ゆでたまごのすけでございます。

昨日は関西方面へ出張してきたのですが、兵庫県は神戸市、舞子というところが目的地でした。最寄駅は「舞子」なのですが、その旅程は新幹線で「西明石」まで行って、そこからちょっと大阪方面へ戻る、という感じでした。大阪以西で関西出張というのは実は久しぶりの体験でして、「西明石」へ降り立つには「新神戸」までのぞみで行って、そこからこだまに乗り換える、という行き方になるというのは初めて知った次第です。

そんな中で乗車したこだまが、写真の車両でして。なんかすごい。このまま宇宙へ飛んでいってしまうんじゃないか、と思うような外見だったわけであります。しかも車内は、JR東海の車両だと2席・3席の並びがデフォルトなのに、こちらのこだまは2席・2席でとってもゆったり。なんならグリーン車のような仕様だったので、ちょっと感動してしまいました。JR西日本の新幹線車両って、なんだかサービス精神旺盛なんだなあ、と思ってしまいましたね。

でも「新神戸」から「西明石」って、わずか8〜9分。もう少し長く乗っていたかったなあ。

ついでに「西明石」は、新幹線乗車口ではない方の入口から改札をくぐると、駅のホームを突っ切って歩いていかないと新幹線ホームまで行けないというつくりになっておりまして。さらには新幹線乗車口でない方の駅舎は、新幹線が止まる駅とは思えない、なんなら東武東上線の特急・急行停車駅ぐらいの風情だったのが印象的だったということも、合わせてご報告させていただきます。

まあそんな出張も、やはり求人広告的な取材のお仕事だったわけですが。

求人広告の「裏ワザ!」

というわけで恒例の、こちらも見てねアナウンスでした。


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【雑感】力になびく人。力をさばく人。

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ゆでたまごのすけでございます。

力の強いものの方になびく、というのは自然の摂理ではあるとは思います。それが自分の職場で、自分の立場に影響を及ぼすような人が強い力を持っているとしたら、その人の言うことを聞いてしまうものなのでしょう。私の姉は小学校の教員をやっておりますが、ずいぶん前に「教頭、校長になりたいと思った瞬間にその先生の態度が変わる」なんて話をしておりました。その話を聞いた当時は私も若うございましたので、「なんてヤツだ」なんて憤ったりしておりましたが、40歳も半ばを超えた今となっては、そんな風になびいてしまう人たちの気持ちもわかる、と考えるようにはなりました。

「そんな人たちの気持ちもわかる」とは言うものの、そうやって保身してある程度のポジションを得た人はたいがい、ろくな仕事をしないというのも私は肌感覚で知っています。本当にすごく仕事ができる人というのは、力の強いものの方になびかなくても、保身に走らなくても、ちゃんとエラくなります。もちろんそういう人たちも、力の強いものと対峙しなくてはならない場面はあるでしょうが、なびくのではなく、うまくさばく。そんな立ち回りができるかできないかで、ずいぶん違うのではないでしょうか。

このところニュースを賑わす人たちを見ていると、ずいぶんとなびく人たちが増えたなあ、という感想を持ってしまいます。どうしてそういう人たちが「なびいている」と感じてしまうかというと、きっと仕事ができるように見せたいから一生懸命さばこうとしているけれど、大して仕事ができないからきれいにさばけず、なびいているとしか見られないような行動や態度しか取れないからではないでしょうか。そういう人たちはぜひとも、カッコつけるような余計なことはせず、大人しく淡々と仕事をこなしていてもらいたいと思わずにはいられません。

これもまた若い頃、「どうしてそんなになびいてばかりいるんだ、自分の主張はないのか」みたいなことをトガりまくっていた私がのたまうと、それを聞いていたサラリーマン某氏は「なびいていないと生き延びていけない人だっているんだ」というようなことを返してきた、なんてことがありました。そうやって生き延びようとすること自体を否定するつもりはありませんが、なびかない人の邪魔までしないようにしていただきたいものですね。

まあそんなことをなんやかやとつぶやいている私は、4…

【雑感】品川だって「下町」だ。

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ゆでたまごのすけでございます。

昨年の今ごろあたりから品川に居を構えるようになったのですが、そんな話をすると「似合わねえ〜」と言われることがちょいちょいあります。まあそれまで東京北部〜埼玉でしか生活してきたことのない人間が、いきなり城南エリアに住むといえば確かに「似合わない」という話にもなるだろうし、その直前まで住んでいた「東京都北区赤羽」の持つイメージから「品川」という地名から醸し出す「ハイソ感」はあまりにギャップが大きい、という意見があるのも理解はできます。

なんでしょうね、この地名のブランド力って。クリエイターという職業をやっている人だったら「港区南青山」とかにオフィスを構える方が見映えがいい、なんて話も耳にしたこともありますが、別にオフィスの場所が見映えがいいからいい仕事ができるか、というとそういうことではないんですけどね。でもそのクリエイターの人や企業を見知らぬ発注側の人たちからすれば、なんとなく「お、オフィスは青山なんですね」と言えた方が、上司にも見え方がいい、ということなのかもしれません。

しかしながら先日、ちょっと安心する話を聞きました。近くに品川神社があるのですが、そこで開かれるお祭りでお神輿が出ると、例年ケンカ神輿になるそうで、だいたい警察が出動することになる、とのこと。なんだ、それなら「東京都北区赤羽」とそう変わらないじゃない、と安心した、というお話であります。品川も品川駅とか大崎駅とかの周辺だとなんだかすごい「街!」という感じがするわけですが、そこからちょっとはずれたところに行くと結構な下町感あふれる街並みがあったりする。下町というのは、長くその地に住まう人たちが集まる場所、というイメージを私は持っていますので、そういう街にはやはり威勢のいい話も共通して聞かれるものなのだ、ということかと思います。

ちなみに品川駅は港区にあって、目黒駅は品川区にある。知ってました?

どうでもいい話でオチに持っていったので、最後に仕事に絡められたらいいな、とあざとい考えで開設している私のブログの宣伝もさせてもらいつつ。どうでもいいですよね。

求人広告の「裏ワザ!」

こちらもよければ、どうぞご覧下さいませ。


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【雑感】調子に乗りすぎるとろくなことがない、と思う。

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ゆでたまごのすけでございます。

つくづく、調子に乗りすぎるとろくなことがない、と思います。だいたい調子に乗りすぎた人というのは、自分を大きく見せます。いわゆる「大風呂敷を広げる」ってヤツですね。で、だいたいそういう時に広げた風呂敷は、うまくたためない。するとたためなかったすき間からボロボロっとボロが出る。「なんだよ、言ってたことと違うじゃん、できなてないじゃんか」と、言われてしまう。となると、あとは逃げるしかない。ほとぼりが冷めるまで、とできるだけ静かにしておく。そういう対処しか、方法はないと思います。

まあ、風呂敷は大きく広げてみないと、たたみ方を学べない、という考え方もあるでしょう。一度はたためなくても、二度目はたためるようにする。学習能力が高い人なら、そういうこともできるでしょう。まあそれでも「二度あることは三度ある」と申しますように、人間、繰り返してしまうものだというのもありますが。

風呂敷がたためなかったら「すいません、たためませんでした」と謝ることができるのも、能力の一つではないかと思います。そうやって、もう一度チャンスをもらえるようにお願いする。そしてそんな人を許してあげて、またチャンスを与えてあげるという寛容さも、人は持つべきものではないかと思うのです。

でも、謝れないんじゃ、ダメですよね。そういう人、増えているような気がします。何の話をしてるんだって? まあ、そこは「忖度」していただければと思います。あれ、使い方が違ったかな。

【雑感】仕事は適当に。遊びは真剣に。

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ゆでたまごのすけでございます。

最近、つくづくタモリさんのエピソードが、なるほどなあ、と思う今日この頃なのです。聞いた話か、読んだ話かだったので、真偽のほどは確かではありませんが、こんな話だったかと思います。

船舶免許をお持ちのタモリさんは、ちょくちょく友人を集めて船旅をして遊ぶ、と。そこへ芸能人の友人も参加するのですが、その中で若い芸能人の方だかが遅刻してきた。

タモリさんは激怒した、というんですね。

おまえ、何遅刻してんだ。
遊びだぞ。遊びはちゃんとやれ。

なるほど、なるほど、なわけです。

仕事は、客に合わせていればいいわけで。遊びは、自分がやりたいから遊んでるわけで。自分がやりたいと思ってやってることなら、真剣にやらずしてどうするんだ、と。

真理だ、と思うわけです。

仕事は、適当に。遊びは、真剣に。適当とは、適度に当たっていること。そういうバランスが取れる人こそ、大人というんだろうなあ、とつくづく思います。

あ、仕事に絡めようとやってるブログも、ぜひご覧ください。

求人広告の「裏ワザ!」

仕事なので、適当です(笑)。

【雑感】最近、なんだか面白い。

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ゆでたまごのすけでございます。

すっかりこちらのブログは更新が滞っており。
新たに始めた方に力を入れているわけですが、
そっちもなんだか約1カ月ほど放置してしまい。
でもまあ今日は一日で2本記事をアップした、
ということで許してくれ、と誰にお願いしてるのか、
よくわからないことを言ったりしておりますが。

求人広告の「裏ワザ!」

よかったら見てやって下さい。

ところで、東京都議会議員選挙です。
すごかったですね、都民ファーストの会、圧勝。
私は別にどこの政党とか団体とか、
肩入れするところはないのですが、
自民党への批判の受け皿になったらもう、
えらいことになっちゃった、みたいな。

まあ私の友人が無所属で都民ファーストの会推薦で
立候補しておりまして、当選したわけですが、
これは単に友人としておめでたいと思っており、
これから活躍してもらいたいと願う次第ですが。

それにしても何ですかね、失言やら暴言やら忖度やら。
確か前に下野された際も似たようなことが連発されて、
結局「ええ加減にせえや」と有権者に見限られた、
ということだったように思うのですが、
学習しないというか、人間というのは繰り返すもの、
ということなのか。
なんか都民ファーストの会が新人議員ばっかりで、
「政治を知らない人ばかり」なんて評する人もおりますが、
じゃあ結局「政治を知ってる」ってのは、
忖度することで支持を得ることって知ってる、
ということなのかと思ってしまうわけですが。
私もそこそこいい歳をこいてきましたので、
正論ばかりを振り回すつもりは全くないし、
なんだかんだで世の中、忖度でできてるよねー、
という風にも思ったりするわけなのですが、
それにしても子どもじみてるだろ、いろいろと、
とも感じちゃうわけです。

なんか前に現在与党の方々を支持している人から、
ちょいとそちらの方を批判するようなコメントを
Facebookでアップしたら、すごい勢いで反論された、
ということがありました。
なんか今回の秋葉原あたりでの騒ぎに関する
一連の報道へのリアクションは、
前述のような立場の方と、その真反対にいる方と、
まったく真逆のものだったりするわけですが、
なんでしょうね、あの前述のような立場の方々は、
よくもそこまで妄信できるなあ、と感心すらしてしまいます。
それこそ忖度でもされてるの?
なんて思っ…

【雑感】新たにブログ、始めました。

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ゆでたまごのすけでございます。

ずいぶんとご無沙汰の投稿になってしまいました。
前回の投稿からこれまでの間、何をしていたかというと、
例によって求人広告の仕事が繁忙期へ突入し、
だいたい10月くらいから2月いっぱいまでは繁忙期、
みたいな時期を過ごしておりました。

その中で、考えたことをいくつか。

コピーライティングとディレクションに特化しよう、
と改めて決意したこと。
これまではデザインもなんとなくやっていたのですが、
スマホの普及に伴い画面デザインはレスポンシブ対応で、
という世の中の大きな流れができておりまして、
そこまで自分でやってたら絶対パンクしちゃう、
なんて思ったもので、今期はデザインはデザイナーさんに、
というスタイルで仕事をさばいておりました。

新たにブログを始めよう、と思ったこと。
このブログも継続はしていこうと思ってはいるのですが、
私の個人的なブログというスタンスになっておりますので、
私のことを知りたいという人しか見に来ない、
という状況がずっと続いているわけです。
私がなんかの拍子に有名人にでもなれば別でしょうが、
そうでもなければ読者は一向に増えないだろう、と。
そう考えた時、じゃあ読んでもらえるブログって何だ?
と改めて思い直してみたところ、
私はかれこれ20年超も求人広告の仕事をやっているわけで、
しかも個人事業主として。
ならばそこで知ったことやわかったことを、
ブログでまとめて発信したら読みたい人っているんじゃない?
と思ったわけです。

ということで、こんなブログをつくってみました。

求人広告の「裏ワザ!」

意外と求人広告についてみなさんが知らないことだったり、
ネットに情報が載っていなかったりすることがあるもので、
そんな話を中心に書いています。よかったら、見てやって下さい。