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3月, 2007の投稿を表示しています

私を北陸で引っ張り回したデキる営業マン・W君

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ゆでたまごのすけでございます。 能登半島地震から、もう一週間。 金沢・富山あたりにわりと 知り合いがいたりするもので、 とても心配して携帯電話を かけてみたものの、 なかなかつながらない、という 状態だったのが記憶の新しゅう ございます。 一昨年あたりまで、やたらと北陸方面に出張しておりました。 そちらの方面の仕事を、やたらにやらせていただいたから、 でございます。 北陸方面から、私に仕事を振ってくれていた、 これまたよくデキる営業マンがおりました。 名前を、W君とおっしゃいます。 彼と出会ったのは、先日のブログで紹介しました、 オランダが大好きなS氏を通じて知り合ったのがきっかけでした。 そもそもS氏は、大宮へ赴任する直前に北陸の方で勤務をされており、 その当時にかわいがっていた営業マンだったのでございます。 W君と仕事をしていた頃には、 だいたい月の半ばぐらいに電話がかかってくるのが常でございました。 「ゆでたまごのすけ先生、来週は空いてますぅ?」 「先生」とつけ、甘えた口調でお願いの電話をしてくるのでございます。 W君も要領を得たもので、私がそんなに何度も北陸まで足を運べない、 ということもわかっておられるので、だいたい一日に三件とか、 四件とか取材予定をまとめて入れてくれるのでございます。 取材先と取材先の間の移動は、だいたいW君の営業車での移動になります。 雪の多い北陸に住まわれている方ですから、雪道の運転はお手のもの。 どんなに吹雪いていようが、何しようが、車での移動なのでございます。 一度などは、富山から岐阜の高山まで車で移動する、 という暴挙のような移動にチャレンジし、移動の道中には普通に 白川郷の茅葺きの住宅なぞを、観光でもないのに眺めながらの 旅になった、ということもございました。 ある日の取材のことでございます。 その日は朝から取材ということで、 私は前乗りで金沢に泊まっておりました。 あ、前乗りというのは、前の日から現地に入っている、 ということでございます。 取材先は、加賀温泉駅の近く。金沢からは特急で15分ぐらい、 でしたでしょうか。 やはりその日も、W君の営業車での移動という 予定になっておりました。 しかし、朝起きてみると、一面の雪景色。 それも、まだ降り続いている状態でございました。 これぐらいの雪は、金沢だったらそんなに珍しいこと

イケメン営業は、イケてる営業に成長した・A君

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ゆでたまごのすけでございます。 東北楽天ゴールデンイーグルスの 田中将大投手はプロの洗礼を 受けたようでございます。 やはり相手チームの選手たちも、 「高卒ルーキーにやられてたまるか」 と思うのでございましょう。 悔し涙を流していたというところが、 田中くんのスゴいところかなあ、 と思わずにはいられませんでした。 そんな「洗礼」を若い人に浴びせたことが、私にも何度となくございます。 かつて、よくここにも書いております求人広告大手某社で営業をやっていた A君も、まさにそんな一人だなあ、と思っております。 A君と出会ったのは、今からかれこれ6年ぐらい前でしょうか。 埼玉は大宮の拠点で制作ディレクターをやっていた頃の話です。 4月の人事異動に伴って、千葉の方でぶいぶい言わせてた営業が こっちにやってくるらしい、というウワサを耳にしておりました。 そのぶいぶい言わせてた営業、というのがA君でございました。 見た目、イケメンなのでございます。 そういうぶいぶいかよ、と思ったりもしたのでございますが、 営業としてのセンスというか嗅覚というか、 そういったものもこいつは優れているなあ、 というのがA君と仕事をして感じた印象でした。 ただ、当時のA君に足りない、と私が感じていたものが一つありました。 それは「感謝の気持ち」でございました。 彼は、確かに売れる営業でした。 でも、自分が売れている、と思い込んでいる節がありました。 彼が無茶なスケジュールでお客さんからもらってきた仕事を、 彼は制作担当の人に 「せっかく持ってきたんだから、やって当たり前でしょ」 というような態度で接してきました。 「A、お前、何様だと思ってんねん」 関西人でもないのに、思わず私は関西弁で彼に怒鳴りました。 仕事を持ってきた、お前は偉い。 だがその仕事を形にするのは、お前にはできない。 最後まできちんと形にして、お客さんは満足する。喜んでくれる。 そこまで全部一人でできもしないのに、 そんな態度で人にモノを頼んでたら、 誰がお前のために仕事をしてくれると思うんだ。 そんなようなことを、私は興奮気味にまくしたてた覚えがあります。 私のデスクの横に、A君は体育すわりをしながら、 私の偉そうな説教に耳を傾けておりました。 そんな日から、3年ぐらいが経過した頃でしょうか。 彼は埼玉から、首都圏の営業担当として、

私の仕事に向かう意識を変えてくれた恩師・S氏

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ゆでたまごのすけでございます。 サッカーU-22日本代表、快勝でございます。 自分でやったことは皆無だし、 それほど詳しいわけでもありませんが、 サッカー中継というのは、 やっているとつい見入ってしまいます。 それが日本代表とかになると、 なおさらほかのことが手につかなく なってしまうのは、私だけではない、 と思ってしまいます。 COCUという選手がいるということを知ったのは、 私がいつもお仕事をさせていただいております、 求人広告大手某社で出会ったS氏がきっかけでございます。 フィリップ・コクー。 オランダ代表のスーパー・ユーティリティー・プレイヤー でございます。 S氏はオランダという国がいたくお好きで、 長期休暇の際にはほとんど毎回、オランダに行かれていた、 と記憶しております。 さて、今回の話題は別にサッカーではございませんで、 このS氏への感謝の気持ちを表そう、という趣旨でございます。 S氏とは、私が埼玉は大宮の拠点を中心に仕事をさせていただいていた時に出会いました。 その頃、すでに私は大宮で3、4年あまり、仕事をしていた次第でございます。 前述の求人広告大手某社は、毎年、大きく組織変更をされる会社でございます。 その年の4月も、大きな組織変更があり、S氏が大宮の拠点にいらした、 といういきさつでございました。 S氏は、本当は自分で広告をつくりたい、という気持ちが本当は強い方でございました。 でも、その時、大宮に赴任されて、与えられた職務は、マネジメントでございました。 大宮の制作拠点を、しっかりとしたものにしなさい。 大ざっぱに言えば、そういうことでございます。 決して、当時の大宮の制作拠点がダメダメだった、というわけではございません。 言うなれば、底上げをしよう。そういうことでございます。 S氏がスゴかったのは、与えられた職務を自分なりに楽しんでいたことでございます。 私なぞは、ただひたすらに文章を書いたり、広告をディレクションしたり、 あるいは芝居の本を書いたり、ということにしか力を注ぐことのできない、 バカの一つ覚えと言って過言ではない、 いい言い方をすれば職人気質の人間でございます。 S氏は、その制作拠点にいたメンバーの一人ひとりをしっかりと見つめ、 この人はここがすごい、でもここは弱い部分だよね、 というところをきちんと把握し、私たちに伝えてく

スーダラ伝説は本当に伝説となった・植木等

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ゆでたまごのすけでございます。 近頃は、私が小さい頃に テレビの世界で活躍されていた ような方々が、 次々とお亡くなりになるのが いたく寂しい限りでございます。 本日、植木等さんがお亡くなりになられました。 先日、青島幸男さんのことをブログに書いた矢先だったので、 何とも言えず寂しい限りでございます。 私の世代は、クレージーキャッツのリアルタイム世代ではございません。 むしろ、ドリフ全盛世代と言えるでしょう。志村、後ろ後ろ!と、 テレビに向かって叫んでいたような世代でございます。 しかし、やはりテレビ創成期の笑いとエンターテインメントを 支えていたのは、クレージーキャッツだったと思うわけでございます。 植木さんと私が出会ったのは、ドーナツ盤でした。 あえて、ドーナツ盤と記させていただきます。 今や、レコードとはDJが回すお皿のこと、という感じでしょうが、 私の小さい頃はスピーカーと一体になった小さなプレーヤーに、 45回転のシングルレコードを乗せて聞くのが主流だったわけでして。 なぜか私の自宅には、いっぱいドーナツ盤があったのでございます。 母親が当時からするとハイカラ(!)な人だったようで、 流行歌と呼ばれるようなレコードは ずいぶんと集めておったようでございます。 そんな中に、ジャケットのないドーナツ盤がいくつもありました。 そのほとんどが、ザ・ピーナッツのシングル盤でありました。 レコードの溝が、ほとんどなくなってしまっているような状態で、 今から考えれば母親や姉がすり切れるまで聴いていたのかな、 という気がしております。 そして、その中に一枚、際立ったものがありました。 ドーナツ盤は普通、黒いプラスチックを素材にしておりましたが、 その一枚は、なぜか赤く、透明な素材でできておりました。 当時、小学館の子供向け雑誌についていたような、 ぺらっぺらのソノラマシートと呼ばれるようなドーナツ盤と 雰囲気が似ていたのがとても印象的でした。 その赤いドーナツ盤の一枚から流れてきたのが、 植木等とクレージーキャッツ「スーダラ節」でございました。 スーイスーイスーダララッタ スラスラスイスイスーイ♪ 何ともお気楽で、なんとくだらない歌詞でしょう。 子供ながらに、その曲調のばかばかしさを感じていたと思います。 でも、そのメロディーラインと歌詞は、未だに忘れずにいます。 それほ

ある時は営業マン、ある時はスーパーアスリート、F氏

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ゆでたまごのすけでございます。 アメリカンフットボール、略してアメフト。 少し、流行ってるんでしょうか。 アイシールド21 なんてアニメも やっていたりしますが、 これって流行の一端を担っているのでしょうか。 私の知っているアメフトチームに、 オービックシーガルズ というチームがあります。 2006年〜2007年シーズンはあまり芳しい成績を残せなかったようですが、 2006年1月に行われたライスボウルだったと思いますが、 法政大学との日本一決定戦に勝利を収めたのがとても印象的でした。 というのも、実は私、よく知っている方が選手として出場されていたのです。 F氏、という方がその選手です。ふだんから、仕事をよく一緒にしていました。 それも、MVPの大活躍。テレビで見ながら、ふだん一緒に仕事している方が フィールドを縦横無尽に飛び回り、アメフトをやっている人に聞いてみたら、 あのプレイは身体能力が相当高くないとできない。 と言うぐちゃぐちゃっ、と集団で混戦になっているところを飛び越えて、 タッチダウンするというプレイを目の当たりにし、 かっけーーーーー! と思わずテレビに向かって叫んでしまったことを未だに鮮明に覚えております。 そのF氏、何がすごいって、ほんとにふだんは普通に営業マンをしてるのでございます。 2005〜2006年のシーズンも、Xリーグの優勝決定戦がその日の夜にある、 という日の昼間、ごく当たり前のように ただいまー。 と鞄を片手に営業から帰ってこられたのでございます。 えっ、今日、優勝決定戦ですよね? 思わず、心の中で突っ込んでいた次第でございます。 何と言うか、普通に働きながらも、一線の選手として活躍しておられる。 いやはや、感服してしまいます。その精神力、見習わなくては、と。 そんな勇気を与えてくれるスーパーRB(ランニングバック)F氏に、伝えたい。 心から、「ありがとう」と。 人気blogランキングへ  ← ワンクリックお願いします。  ← こちらもぜひ。

ぎっくり腰をその日に直すスーパー整体師・指圧センターTの先生

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ゆでたまごのすけでございます。 石川・富山の方で被害が大きくなっている 地震があったようでございますが、 私、一昨年あたりにはやたらにそちらの方へ 足を運んでおりましたゆえに、 そちらにおられる方の安否が気がかりです。 北陸方面の仕事を始めた頃というのは、 今からかれこれ5、6年ぐらい前でしょうか。 当時、私は仕事の拠点を埼玉は大宮に置いておりました。 その頃、突如としてみまわれた病がございました。 「ぎっくり腰」でございます。 なった方はわかると思いますが、 ぎっくり腰というのは、何の予兆もなく突然やってきます。 私の場合は、何とはなしに床に落ちたものを拾おう、 とした瞬間にやってきました。 ぐきっ。 ほんとに、そういう感じなんでございます。 そして、これが何をしても痛い状態になってしまう。 立ち上がろうとしても、座ろうとしても、 いちいちぐきっ、と痛みが走る、という。 初めてぎっくり腰になったのは、忘れもしない金曜の夜でした。 自宅に帰り、横になろうとしても、痛い。 体を起こしても、痛い。にっちもさっちもいきません。 土曜の朝、起きてさっそく、自宅そばの最寄り駅付近にある、 整体の先生のところへ行きました。 決して、それまで通っていたとか、そういうわけではありません。 ただ、仕事の行き帰りに「ああ、整体があるんだ」と、 目にしていただけのことでございます。 それを覚えておりましたので、何はともあれ行ってみようと。 そのTという整体院に、飛び込みでまいりました。 先生が、これがまたコワモテなのでございます。 私のでかい容姿を見て、一言。 でかいなあ。疲れるんだよ、そんなでかい体だと。 と、毒を吐きまくり。ふだんだったら、このやろう、とか 思うところなのですが、何しろこちらは腰が痛い。 とにかく何とかしてほしい一心で、 そんなこと言わずに、お願いしますよ。 と懇願したわけでございます。 先生、私を横にして、腰をほぐしながら、 全身をマッサージしてくれるわけでございます。 足を膝から曲げて、太ももの外側にふくらはぎが行くようにして、 ごきっ。 体を横にして、上になっている方の肩を背中側に、 腰を腹の方に向けてせーの、で押すようにして、 ばきっ。 こう書くと、何だかすっごい痛そうな感じがいたしますが、 これ、音にはほんと、びっくりするんですが、 痛いことはちっともないん

プロの中のプロという姿を伝えてくれる、世界の王貞治

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ゆでたまごのすけでございます。 プロ野球、パ・リーグが 開幕いたしました。 高校野球が途中から中止に なってしまったようで、 すっかりプロ野球中継に ハマっておる次第です。 20代の若い方々は 野球なんて、と思うでしょうが、 私たち30代後半から40代、 さらにその上となると、 スポーツ観戦と言えば野球なのでございます。 私は名古屋の出身なのですが、母親はなぜか巨人ファンでございました。 父親は中日ファンだったのでございますが、 何しろうちの父親は家にほとんどいない人でございましたので、 私はすっかり母親の影響を受け、巨人ファンだったのでございます。 私が野球中継を好んで見るようになった頃の巨人というのは、 エースが堀内、四番は世界の王貞治、三番は安打製造機・張本、 五番はいぶし銀の柳田、という感じのチームでございました。 王さんの世界記録・756号ホームランの瞬間も、 テレビで中継を見ておりました。 相手投手は忘れもしない、ヤクルトスワローズの鈴木康ニ朗さんでした。 だから私の中では、野球は巨人、巨人といえば王選手なのでございます。 そんな王さん、ご存知の通り、 今ではソフトバンクホークスの監督でございます。 そして昨年はシーズン途中から、体調を崩されておりました。 でも今、ホークス対バファローズの試合でお元気に采配をふるっておられます。 何はともあれ、よかったよかった。そう思わずにはいられません。 昨年のシーズン前、ワールド・ベースボール・クラシックでも、 王さんは日本代表の監督も務められておりました。 予選リーグでは、日本は厳しい戦いを強いられ、 これはダメか、と思ったものでございます。 ところが、ぎりぎりのところで予選通過を成し遂げ、 そして決勝では世界最強と言われるキューバを破って世界一になった。 何と言うか、この展開はすごかった。感動的でございました。 プロとは、演出があるわけではないけれども、 見せる、魅せることをするものなのだ。 そう教えてもらったような気がする決勝戦でございました。 クリエイティブとか、エンターテインメントとか、 そんなことを意識しながらふだんの仕事や生活を送っておりますが、 自分にはできないことをやっているプロの方々の姿を見ると、 何より「自分もがんばらなくては」という気持ちにさせてもらえます。 そして、そんな姿をテレビの画面から

無責任きわまりない天才作家・青島幸男

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ゆでたまごのすけでございます。 近頃は世の中が無責任になりすぎて、 無責任なことを言うことが はばかれるようになってしまっているのが、 なんだかきゅうくつにさせているように 思えてなりません。 つい先日、お亡くなりになりました青島幸男さん。 以前、このブログでも紹介した旧知の友人・A氏も 「青島幸男と赤塚不二夫は天才だ」と絶賛しておりました。 文藝春秋刊「わかっちゃいるけど… シャボン玉の頃」を 読んでみて、まさにその通り、と思わされてしまいました。 ご存知の方も多いとは思いますが、 青島さんは植木等とクレージーキャッツやザ・ピーナッツが 出演しておりました「シャボン玉ホリデー」という 怪物番組を手がけておられた方でございます。 もともと作家だったわけでございまして、 裏方さんだったはずなのですが、 気がつけば出たがりの性分が高じて、 「青島だァ!」なんて流行語まで生み出しちゃったという。 都知事選挙が告示になりましたが、石原さんの前の都知事、 ということでご記憶のお若い方も多いんでしょうが、 私の中ではひたすら「意地悪ばあさん」なのでございます。 クレージーキャッツの曲に、たくさんの歌詞を残されております。 シャボン玉ホリデーなどの台本も、たくさんお書きになられました。 前述の「わかっちゃ〜」では、台本なんて書いては捨ててきた、 などという記述がありましたが、なんのなんの。 そう書いている本の中にはたくさんの当時の台本が紹介されている。 これがまあ、青島さん流の「無責任」というヤツでございまして、 現在の企業や政治を司っている方々のやってるのにやってない、 とはぐらかすような態度と比較しても品の良さが違うわけでございます。 青島さんは、台本や歌詞のアイデアを考える時に、 だいたいにおいてお弟子さん(景山民夫さんなど有名な方も多数)と 一緒に酒を飲みながら、あるいはムダ話とも取れるような会話を交わしながら、 考えておられたのだそうです。 そういう時の方が、面白いことを思いつくのだ、と。 私のまわりにも求人広告をつくるクリエイターたちがおりますが、 彼らももっと気楽に、面白いことを考えてみたらいいのに、 なんて思っちゃったりもします。 もともとすごい、と考えていた方でございましたが、 改めて、すごい方だったのだなあ、と思わずにはいられませんでした。 そんな青島さんに、

無から有をつくりだす変幻自在のデザイナー・U氏

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ゆでたまごのすけでございます。 私もクリエイターと呼ばれるような 仕事をしているわけでございますが、 何しろ無から有をつくりだすというのは、 それ相応のパワーが必要だったり するわけでございます。 その辺を、最近はなかなか理解していただけないことが 多い気がしてならないのですが…。 とまあ、愚痴っぽいことはこれぐらいにしておいて。 ふだん、私が求人広告の制作に携わる中で、 一番お世話になっているのがデザイナーさんでございます。 私も時に応じて 紙媒体やWEB媒体を問わずデザインすることもありますが、 あくまで本業ではないわけでございまして、 できないこともたくさんある次第なのです。 そんな中、「え、そんなことできちゃうの?」ということを ちょちょいの、ちょい、とやってのけてしまう デザイナーさんがおられます。 その方こそが、大阪を拠点にがんばっていらっしゃる U氏でございます。 いつぞや、カラー2ページものの広告を制作している時に、 どうしても床の間のビジュアルがメインでほしい、 ということになったのであります。 どこかで撮影している時間はないし、どうしよう、と。 そんな時、U氏にご相談をさせていただいたのでございます。 「Uさん、床の間のビジュアルがほしいんですが、できます?」 「え、や、やりますよ」 たった一言でありました。 私はてっきり、何かの素材集から床の間を探してきて、 それを加工するのだとばかり思っておったのです。 ところが、上がってきたものを見て、びっくり。 なんと、イラストレーターとフォトショップで、 まったく無のところから床の間をつくられておったのです。 これには私、度肝を抜かれました。 そんな無茶なことを、無茶とわかっていながら、 それでもやってしまう。もう、感服してしまいます。 現在でも、私のつくる広告には欠かせない方として、 いろいろとスケジュール的にも、内容的にも、 難しいことをお願いしてしまっておりまして、 日頃から反省しきりなわけでございます。 そんな変幻自在のU氏に、伝えたい。 心から「ありがとう」と。 人気blogランキングへ  ← ワンクリックお願いします。  ← こちらもぜひ。

私のことを諭してくれた俳優・N氏

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ゆでたまごのすけでございます。 ここのところ毎週、 週末には飲んだくれておる次第でございます。 金曜日には必ずと言っていいほど若いのを引き連れ、 朝方近くまで飲むという、 70年代の人かおまえは、と突っ込みが聞こえてきそうな 自堕落な生活を続けております。 飲んだ席で忘れられないのは、N氏のことでございます このN氏、昨日のブログで書きましたF氏の劇団「M.C.」にいらした方でございます。 ええい、言ってしまえ。 この劇団、ミスター・スリム・カンパニーでございます。 ここにいらしたN氏、私が中学生の頃に感銘を受けたステージでは、 主役クラスを張っている方でございました。 最近では(最近でもないですが)、 妻夫木聡さんが主演された「ブラックジャックによろしく」のスペシャル版で、 薬師丸ひろ子さんのご主人役をやっていらっしゃいました。 そこまで言えば、わかる方はわかるのではないかと思いますが。 そのN氏に、私はミスター・スリム・カンパニーに出演させていただいた時、 初顔合わせの飲み会でお会いすることができたのです。 もう、舞い上がってしまいました。何せ、中学時代の憧れの人ですから。 これからその劇団の舞台に出演するというのに、 すっかりファンの心理状態になってしまいまして、 私はN氏に「すいません、昔から好きでした、サインして下さい」と、 自分の手帳を差し出したものです。 N氏は快く、サインに応じて下さいました。 その瞬間は、一ファンと一芸能人、という感じでした。 その後、私はその初顔合わせの飲み会の二次会に参加しました。 N氏も、そこには参加されておりました。 私は、N氏の横に座らせてもらい、これまたすっかり舞い上がっておりました。 N氏は、その時点でだいぶ酔っぱらっておられたようでした。 「ゆでたまごのすけ、おまえ、この劇団の名前、何て言うか知ってるか」 「はい、ミスター・スリム・カンパニーですよね」 「そうだよ。ミスター・スリムだよ。スリム。おまえ、何だよ」 「はい?」 「デブだろ、デブ」 もう、ぐうの音も出ませんでした。事実でございましたから。 そこから延々、夜中の三時ぐらいまで、N氏からのお説教タイムでございました。 飲んでいた場所が、中野の方だったのですが、 四谷の駅まで聞こえるぐらいの声で自己紹介しろ、といわれ、 大声で自己紹介をしたのも覚えております。

芝居をナメちゃいけない、と教えてくれたF氏

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ゆでたまごのすけでございます。 何日かぶりの更新になってしまいました。 やれミクシィだの何だのと巡回していたら、 気がついたら時間が過ぎていた、 なんてことを繰り返したあげくに更新する時間がなくなってしまったというていたらく。。 ほんと、反省することばかりの毎日でございます。 反省といえば、芝居で思い切り反省させられたことがあります。 私の義理の兄、F氏の劇団に客演で参加させていただいた時のことです。 その劇団はM.C.と言いまして、70年代には一世を風靡した劇団でございます。 私は中学生の頃、演劇部におりましたもので、 私のすぐ上の姉(ちなみに私の上には2人の姉がおります)が その劇団の舞台に連れて行ってくれたのです。 まあ、その時のカルチャーショックたるや、もう。 普通に演劇していた中学生の私は、舞台で生バンドをバックに、 役者の人たちがみんな歌って踊って叫んで走り回るステージに 度肝を抜かれたわけでございます。 こんなステージ、やりてー。 その時、そう思ったものでした。 そして大学時代。 憧れのその劇団に参加させてもらうことになりまして。 しかし、そう甘くはなかったのであります。 体が、ついていかない。。 私は学生時代、スポーツというスポーツを 何らやったことのない人でありまして。 そんなヤツがいきなり歌って踊って叫んで走って、 なんてことができるわきゃない。 ダンスの初稽古の時なんて、まずもってステップが踏めない。 話にならないわけでございます。 途中で持病のぜんそくは出るし、ほんと、情けない限りで。 ダンスで迷惑をかけた分、芝居ではいけるぞ、 なんて自信を持ってのぞんだ芝居の方の稽古でしたが、 これまたさんざんなわけでございまして。 すごい、でかい声でしゃべってるんですよ。 でも演出のF氏は一言。 聞こえねーよ! え、なんで?と思う間もなく、続けて同じ台詞を さらにでかい声でしゃべってみる。 聞こえねーよ! え、どうして?なんで? そう思いながら、もうとにかく聞こえると言われるまで やらなきゃどうしようもないわけでして、 もう何も考えずとにかく叫びまくったわけでございます。 こんなん、芝居してないよ。 そう思いながら叫び倒してみたところ、 ようやくF氏は納得したようで。 こんなんでいいのかしら。そう思っていたものです。 でも、今になって思えば、よくわかりま

私の「神」であり、永遠の憧れであるレッド・ツェッペリン

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ゆでたまごのすけでございます。 ライブに行くと、泣くことが多い私は、 昔から涙腺が弱いようでございます。 最近では3年ほど前になりますか、サザンのライブが横浜国際競技場で夏に行われたのは。 懐かしい80年代頃のアルバムに入っていたような曲をサザンのみなさんが演奏して下さったところ、 私が小学生時代を過ごした名古屋に住んでいた家の中の情景や、 今は亡き父親を筆頭に家族のことが思い出され、何だかうるうるしちゃったのでございます。 うるうるどころですまなかったライブが、実はありました。 ジミー・ペイジ&ロバート・プラントのユニットが来日公演をした時のことでございます。 私は現在、36歳でございます(地球上で多賀大祐の姿をしている時のことでございますが)。 世代的には、レッド・ツェッペリンはリアルタイムでは決してないのでございますが、 姉が11歳離れていたこともあり、自然とツェッペリンのアルバムはひと通り聞いておりました。 そして、そんな影響もあってか、高校時代にバンドを組んだ時には、 なぜかツェッペリンやディープ・パープル、ローリング・ストーンズなどをコピーしておりました。 歌詞を、自力で訳したりしたこともございました。 「笛吹きって、何だ?」などと、天国への階段を訳しながら思ったものでございます。 当時、好きだった女の子をライブに呼んで、自分のバンドを見せた時、 得意げに演奏したのもツェッペリンやパープルでございました。 ツェッペリンの曲には、孤高の響きを感じたものでございます。 パープルは、ノーテンキ極まりない歌詞と曲調が、演奏するものを楽しくさせてくれました。 ツェッペリンには、何か彼らが伝えたかったメッセージを感じながら 演奏させてもらったように思います。 正直、私の中では「神」のような存在でございました。 ドラムのジョン・ボーナムが亡くなられたのが、私が小学生の頃だったと思います。 姉が当時購入していた「音楽専科」なる雑誌を見て、彼の死を知った記憶がございます。 その当時は、よくわからなかったのですが、今となっては、 彼がいなくてはツェッペリンは成り立たないのだ、ということがよくわかります。 だから、ツェッペリンは、生で見ることはできないのだ。そう思っていたのでした。 ところが、ジミー・ペイジとロバート・プラントがユニットを組むという。 しかも、来日公演をやると

スーパーアシスタント・T氏

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ゆでたまごのすけでございます。 フリーで仕事をしているわけですが、 普通のフリーと違って私は守られている、 とつくづく思うわけでございます。 私は主に、求人広告大手某社の媒体に出稿されるクライアント企業の広告制作を生業としているわけですが、 その某社と業務委託契約なるものを結んでおりまして、 某社のオフィスにデスクまで構えさせていただいているわけでございます。 簡単にいえば、そこに座っていればとりあえず仕事を振ってもらえる、と。 一般にフリーでやっていらっしゃる方はそんなわけにはいかないでしょうから、 私のような仕事スタイルは非常に恵まれているのだなあ、と切に感じるわけでございます。 そんな中、私の仕事を手取り足取り、サポートしてくれる人がいます。 先述の、私が雇っているというOさんとはまた違って、 これは普通に上記の某社で雇われている方でして、私とは雇用関係があるわけではございません。 なのに、いろいろと世話を焼いてくれる。こんなありがたいことはないわけであります。 その人の名は、T氏。私のデスクの隣りに座っていらっしゃいます。 某社には、私のような立場で仕事をされている方がたくさんいます。 そんな方々も含め、正社員や契約社員で広告制作をされている人たちを、 サポートするT氏のような人も、たくさんいるのであります。 そんな人たちの中でも、T氏はものすごく仕事がデキる方でございます。 私の個人的な偏見たっぷりのランキングでは、ナンバーワンです。 そんなT氏、もう20代半ばだというのに、よくお食べになられます。 でも、細いんです。体重100kg超の私としては、うらやましい限りです。 特にお菓子なんかもよくお食べになられるのですが、 それでも太らない。少しぐらい、差し上げたいぐらいです。 きっと「いりません」と普通に返されることでしょうが。。 あ、私がいろいろいつも世話をかけるもんだから、 きっとその心労で太るヒマもないんでしょうかね。 ああ、何だか、これまで以上に感謝せねば、と思う次第であります。 そんなT氏に、伝えたい。心から、「ありがとう」と。 人気blogランキングへ  ← ワンクリックお願いします。  ← こちらもぜひ。

私の意を汲んでくれるカメラマン・O氏

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ゆでたまごのすけでございます。 何だか久しぶりに、のんびりした日曜日を過ごさせていただきました。 あんまりのんびりすると、 個人事業主として働く私としては、 不安になってしまうのでございます。 そんな不安を同じように感じられる職業に、 カメラマンという仕事がございます。 今回、感謝の気持ちをお伝えしようと思うのは、 いつも私がお世話になっております、 カメラマンのO氏でございます。 先日のブログで登場していただいた、 イラストのうまいOさんとは同じ名字ですが、 まったくの別人であり、血縁関係もございません。 カメラマンのO氏は、私のことをとても大切にしてくれます。 ほんとはスタジオで、きちっとした照明をあてて、 ちゃんとしたモデルを撮影させたら天下一品の腕をお持ちなのに、 私がいつもお願いしている、その場で絵を決めて、 その場で撮影して、というつくり方をしてしまう、 求人広告のお仕事に、気を悪くもせずおつきあいいただけるのでございます。 私も、こんな絵がほしい、という要望をさせていただくわけですが、 どういう絵がほしいか、というのを、すぐにご理解いただける。 こういう「あうんの呼吸」って、そう何人も取れる人っていないと思います。 いろいろと無茶なお願いをしているにも関わらず、 私と仕事をするのが「やりやすい」なんて言っていただけて、 ほんと、いつも感謝しておる次第なのです。 そんなO氏に、そしてそのO氏のカメラの腕に、伝えたい。 心から、「ありがとう」と。 人気blogランキングへ  ← ワンクリックお願いします。  ← こちらもぜひ。

ホスピタリティあふれる長年の友人・A氏

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ゆでたまごのすけでございます。 ゆうべは、というか 今朝は5時ぐらいまで飲んでしまい、 目覚めたら昼の2時過ぎだった、 なんて自堕落な生活をしております。 そんなこんなで、今日、感謝の気持ちを伝えたいのは、 中学からの友人であり、今でも劇団の仲間であり、 ビジネスパートナーとも言える、A氏でございます。 A氏は、役者であります。 普通にNHKとか、民放とか、ドラマに出演しております。 それでいてわりと著名な番組の構成作家もやったり、 世間を賑わせた一大イベントの大手企業が参画する ブースをプロデュースしたりと、何ともマルチな人であります。 あ、ちなみに彼のブログは、お気に入りにも入れている、 イカさまradiostation.36mhz であります。 http://ikasama-radio.seesaa.net/ そんな彼と最初に知りあったのは、中学時代でした。 同じクラスになったことは一度もないんだけど、 演劇部で一緒だったことがあり。 何だか恥ずかしいですね、演劇部って(笑)。 区の連合学芸会なんてものがありまして、 区内の中学校の演劇部が一堂に会して作品を発表する、 という催しだったのですが、 あらゆる学校がマジメーな芝居をしている中で、 私とA氏は掛け合い漫才のようなやり取りを 劇中でやりましてですね。これがいたく受けまして。 何だか知らないけど、東京都の大会に行け、 ってなことになったんです。 で、東京都の大会でも同じことをやったんですが、 これがまったく受けなくて(汗)。 みーんな、まじめにエンゲキしてる人たちばっかりだったようで、 ふざけたことをやる私たちのことを、 まるで宇宙人を見るかのような空気で見ておられまして。 そんな体験を共有しているのが、A氏であります。 大学時代から、一緒に劇団を手がけてきて、 私が脚本を書き、彼が演出をするというスタイルで、 いくつもの作品を世に発表してきました。 そして未だに、一緒に芝居をしている。 まあここ二年ぐらいはまともにやってはいないんですが。 さらに彼には、私が普段生業としている求人広告制作においても、 いろいろと協力をしてくれているのであります。 とてもそんな予算じゃ普通はできないよ、 ってなことをやってもらったりしておりますからね。 彼なしでは、何もできないといっても、過言ではありません。 まさに手も足

再婚だったのね、アンジェラ・アキ。

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ゆでたまごのすけでございます。 自分もふだんはメガネをかけておりますが、 メガネをかけた女性にはどうも弱いようです。 アンジェラ・アキさんを初めて知ったのは、 クイックタイムかリアルプレイヤーか、 何かのメーリングニュースで 「ファイナルファンタジーのテーマ曲を歌う人」 というような紹介のされ方で見た時だったかと思います。 曲が試聴できるようになっていて、 聴いてみたところ、がつん、とやられたのを覚えています。 なんて澄んだ声なんだろう、と。 一目惚れとでも言うんでしょうかね。 これはCDを買って、別の曲も聴いてみたい、と思いまして。 さっそくHMVでネットショッピングをした次第です。 ご存知ない方も多いのかもしれませんが、 プロコルハルムというバンドがありまして。 彼らの名曲に「青い影〜Whiter shade of pale」という 曲があるんですが、アンジェラさんはカバーしていたんですね。 これが、泣ける。 オリジナル曲はずいぶん前に、何かのCMで流れていて、 私としてはその曲を聴くと当時の風景が思い出されてくるんです。 そんな情景と一緒に記憶されている曲であるにもかかわらず、 彼女の歌声は、同じ曲だと認識してはいるものの、 まったく別物として心にしみわたっていくんです。 なぜだろう、とずっと思っていたのですが、 今日のニュースで何だかわかったような気がします。 そうですか、離婚されていたんですね。 年齢も現在29歳ということを今日初めて知りましたが、 その若さで、何か大きなものを失うという経験をしながら、 それでいてまた結婚にチャレンジしよう、という気持ちになった。 それほどまでに、思えるお相手だったということなのでしょう。 その歌声には、寂しさと切なさと、ひたむきな思いが、 込められていることを今日知れたような気がします。 だから、私は、泣かされたのですね。 心の底を熱くさせてくれるアーティストというのは、 自分を勇気づけてくれます。好みは、人それぞれでしょうが。 そんな勇気を与えてくれる歌声のアンジェラさんに、伝えたい。 心から、「ありがとう」と。 人気blogランキングへ  ← ワンクリックお願いします。  ← こちらもぜひ。

奇想天外の天才作家・筒井康隆

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ゆでたまごのすけでございます。 最近はすっかり執筆活動がごぶさたでございます。 脚本を書くのはいいけど、 それは舞台でやって初めて意味があるわけでして、 そうするとどうしても集団創作ということになるわけで、 これがまたなかなか大変だったりするのでございます。 まあ、そんなの言い訳に過ぎませんが。 小説を書いたりしていたこともございます。 小学6年生ぐらいから、つたない文章を綴っておりました。 そんな頃から影響を受けていた作家の方が、筒井康隆さんでございました。 最初に読んだのが「乱調文学大事典」という作品でして。 国語辞典のような体裁なのですが、 そこに掲載されている言葉の解説がとにかく変だったのでございます。 何なんだ、この人は、と。頭おかしいんじゃないか、と。 そんな感想だったのですが、妙にハマってしまったんですね。 その後もいろんな作品を読んだりしたのですが、 やはりどれもこれもちょっとおかしい。それが面白いんですが。 短編で、面白いものがいくつもありました。 関節を鳴らして会話する宇宙人と地球人が商談する、「関節話法」とか。 畳に顔を突っ伏して寝ていたら、顔に畳の模様がついてしまい、 それがほんとの畳になっちゃうという話とか。 長編でも、「虚航船団」なんてホチキスとかハサミとかが 宇宙船に乗って旅しちゃうんですよ。何だそりゃ、という感じじゃありませんか。 でも、そんなおかしな発想をできるのって、天才だと思います。 なかなかそこまでおかしくなれない。だから凡人なんでしょうが、ゆでたまごのすけは。 でも、私もやっぱり、ちょっとおかしい作品を書くし、 いつまでもそういうおかしいことをおかしい、と思って書ける人でありたい、 なんて思っちゃいます。 そんな私に大きな影響を及ぼしてくれた天才作家、筒井康隆さんに感謝の気持ちを伝えたい。 心から「ありがとう」と。 人気blogランキングへ  ← ワンクリックお願いします。  ← こちらもぜひ。

我が心の師匠・桑田佳祐

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ゆでたまごのすけでございます。 カラオケ大好き。でもほとんどサザンしか歌わないのでございます。 そして桑田佳祐さんは、勝手に私の心の師匠として崇めさせていただいております。 最初の出会いは、TBSの「ザ・ベストテン」でありました。 伝説のデビュー曲「勝手にシンドバッド」が初登場第10位だった時。 「ザ・ベストテン」を知ってる方ならわかると思いますが、 アーティストが登場する際にくぐっていくる銀色の回転ドアがありましたが、 そいつをメンバー全員でぶち破って登場してきたのが、驚きでした。 あれがいつ頃の話でしょうか。70年代後半だったと思いますが。 それ以来、未だにミュージックシーンのトップを走り続けてる。 しかも、年を取っていくごとに色あせることなく、ちゃんとサザンをやっている。 そして、音は今でもロックしている。こんなにかっこいいオヤジはいない。 桑田さんのようなオヤジになりたい。私はそう思っております。 そんな桑田さんが、今度はアメリカンエクスプレスのイメージキャラクターになるそうで。 いやあ、それも何だか、感慨深いものがあります。 コカコーラのCM曲を書いたり、出演したりしていたこともあるし、 ANAのイメージキャラクターを最近ではやっていたりもしましたが、 何と言うか、アメリカンエクスプレスを使うような人たちが、 桑田さんをデビューあたりからリアルタイムで見てきた世代になってきたんだな、 と思うと時の流れを感ぜずにはいられません。はい。 ちなみにアメリカンエクスプレスのCMが こちら で見れます。 http://www.amex-mtjc.jp/ 自分が、へこんだり、イヤになったりした時に、 「いーじゃん、やりたいようにやんなよ」と元気づけてくれるような気がする。 そんな桑田さんと、桑田さんの生み出した珠玉の曲の数々に、伝えたい。 心から「ありがとう」と。 人気blogランキングへ  ← ワンクリックお願いします。  ← こちらもぜひ。

私の仕事まわりのお世話役・Oさん

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ゆでたまごのすけでございます。 ちなみに名前の切れ目は「ゆでた」と「まごのすけ」の間でございます。 間違っても「ゆでたまご」と「のすけ」の間には入れないでいただければ、と。 さて、そんな話はどうでもよくて。 今日も感謝のキモチをお伝えせねば、と思う次第です。 私、偉そうにアルバイトさんを雇っているのです。 いや、もう、ひたすらに、仕事ができないもんですから、私が。 一人ではとても処理しきれない!ということがよくあるんですね。 だもんで、お手伝いをしていただいているという。 その名は、Oさん。福岡出身の勝ち気な女性です。 ちなみに私の「お気に入りサイト」に入れてある、 「日常でほくそ笑む非日常」 というイラスト中心のブログを 運営してらっしゃる方でもあります。 振り返れば、今から10年ほども前のことになるでしょうか。 私が一緒にやっていた劇団に、新しいメンバーとしてやってこられたのは。 ずいぶんと、長いおつきあいになったものでございます。 彼女には、私がつくった求人広告の原稿に入った修正を対応してもらったり、 時には原稿そのものをつくってもらったりすることもあります。 いやはや、多彩な方でございます。 私がお昼、外で取材とかをしないで事務所にいる時は、 お昼ごはんをおごってあげるのが恒例になっておるのですが、 これがまた、私がその時間帯に事務所にいることが非常に少ない。 なかなか、ふだんお礼を申し上げることができないでいるのです。 ここでお礼というのは申し訳ないですが、 Oさん、あなたのおかげで私はいつも安心して外へ取材に出たり、 仕事をもらってきたりすることができておるのです。 そんなお世話になっているOさんに、伝えたいと思います。 心から「ありがとう」と。 人気blogランキングへ  ← ワンクリックお願いします。  ← こちらもぜひ。

はじめまして、ゆでたまごのすけです。

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はじめまして、ゆでたまごのすけ、でございます。 見た目の通り、たまごの形をしております。 ふだんは人間の姿・形をしてるのですが、実際はこんな姿でございまして、 ほんと、誰かにお世話をいただかないと身動きも取れないような次第でして。 そんな私がこのブログを開いたのには、それなりの理由がございまして。 人間の姿をしている時には私、脚本家とかコピーライターなる商売をしております。 まあ、いわゆる物書きというヤツでございます。 そんな商売をやっておりますと、何だか「クリエイター」だとか言う肩書きを背負って、 何だか偉そうな態度を取って勘違いも甚だしいことをしておるようでして。 家へ帰りまして、この、元の姿、ゆでたまごのすけの姿に戻ってみると、 ああ、また今日もかっこつけたことをやってしまったなあ。 といった具合に、反省しきりなわけでございます。 そんな私の懺悔と、こんな私にでもお世話いただく人やモノへの感謝の気持ちを、 このブログでささやかながら表そうと思った次第でございます。 どうか皆様、おつきあい下さいませ。 そしてそんな私のブログを読んでいただいて、 感謝する気持ちって大切だ。 なぞとちらり、とでも思っていただけたら幸せでございます。 人気blogランキングへ  ← ワンクリックお願いします。  ← こちらもぜひ。