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若いのに古いタイプの営業マン・Mくん

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ゆでたまごのすけでございます。 久しぶりに、感謝のキモチを表してみようかと思います。 Mくんは、私が食いぶちとしてやっている、 求人広告の制作で知り合った営業マンの男の子です。 男の子、というのは失礼な気もします。 何しろ一児の父ですからして。 彼と出会った頃は、まだ彼も23歳ぐらいでした。 でも、結婚して子供もいる、と聞かされまして。 おお、そうなのか、もういっちょまえじゃないか。 早いうちから家庭・家族というものを持ったからなのか、 若いのにしっかりしている、という印象がありました。 仕事をしてみると、ますますMくんには驚かされました。 だいたいの営業マンは、私がつくった広告が突飛だったりすると、 びびってしまうことが多かったのです。 お客さんに怒られるから直してくれとか、 これじゃプレゼンできないとか、 そんなことを言う営業マンが大多数でした。 こちらにだって、意図があってそういう突飛なことをしているのに、 そんなこちらの意図を聞きもしない。よくあることでした。 ところがMくんは、そうじゃない。 彼は、一緒になっておもしろがってくれました。 そして、お客さんにもその意図をしっかりプレゼンしてくれました。 ちゃんと、その広告をお客さんに通してもくれました。 時に応じて、効果があまり出ないということもありました。 求人広告というのは、出して、応募者がどれぐらいいたか、 というのがすぐにはっきりしてしまうものだったりします。 そうした時に、多くの営業マンはつくり手である私を責めたり、 制作担当を変えるなどということも平気でしたりします。 でも、Mくんはそうではありませんでした。 彼は、私のつくった広告を、自分の責任でいいと思い、 お客さんに通して、掲載したということを、 きちんと受け止めた上で、私のせいにすることは一切ありませんでした。 ほんとに、最近はこういう筋の通った営業マンが、 少なくなったなあ、という気がしてなりません。 昨日、そんなMくんと、Mくんがお取り引きをしていたお客さんの 人事担当の方と、未明まで飲んだくれておりました。 そういう関係は、Mくんのような気質の営業マンでなければ、 おそらくできないんだろうなあ、などと思いつつ。 それでも、Mくんのような営業マンなら、 いつまでも付き合っていられるんだろうなあ、 そんな仲間でいてくれることに感謝しなくて...

私に「気づき」を与えてくれた・魔法使いサリーちゃん

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ゆでたまごのすけでございます。 人間、カッコつけるのをやめると、 とたんに見えてくるものが ございます。 私にとって、そんなきっかけを 与えてくれたのが、 魔法使いサリーちゃんで ございました。 今から15年ほども前でございましょうか。 確か1992年の秋に行った、個性派組という当時やっていた劇団での舞台でのことでした。 タイトルを「MONEY」という作品でございました。 バブル末期の、まだその余韻が残って浮かれ続けている時代でございました。 ジュリアナ東京、なんて懐かしいですが、 そんなディスコ(当時はまだクラブではなかったかと)に日夜現れる、 ボディコン(!)・ワンレンのおねーちゃんを主人公にした作品でございまして。 金の力で男をはべらす、実は田舎者、という設定だったのでございます。 そんな彼女に、天の声が響いてくるわけでございます。 そんなことやっとると、バチがあたるぞー。 その声に、当てられるものなら当ててみなさいよー!なんておねーちゃんは 毒づくのでございます。 そうすると、おねーちゃんは魔法をかけられて小さくなってゴキブリの世界に 行ってしまうという、なんともシュールな展開なのでございます。 その、場面転換のためだけに登場するのが、私扮する魔法使いサリーちゃん だったわけでございます。 なんでサリーちゃん?とは聞かないで下さいませ。 ただ、場面転換のために出てくるなら意味不明でいいじゃん、 ぐらいの感覚だったかと思われます。 その展開の設定は、私が考えたのではなく、劇団主宰だったA氏でございました。 以前、このブログでもご紹介した、中学からの同級生でございます。 この脚本を私が書き、A氏が演出を手がけている中で、 突然、彼が思いついたように言ってきたのでございます。 ゆでたまごのすけ、サリーちゃんになってよ。 私は正直、なんで?と思いました。 その場面転換のために、俺がサリーちゃんとして登場する理由って何?と。 いいからさ、やってよ。絶対おもしろいから。 そうか、絶対おもしろいのか。じゃあやってみるか。 私も単純なヤツでございます。 そこから、私は役づくりを始めたんでございます。 当時、コンビニにブリーチ剤などを置いているような 時代ではございませんでした。 なので、私は美容室に行き、 パツキンにして下さい。それと、おばさんパーマをかけて下さい。 ってな...

政治家の夢へ一歩を踏み出した友人・T氏

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ゆでたまごのすけでございます。 統一地方選、終わりましたね。 全体的な総括はまだのようですが、 いずれにしても世の中の人たちの 現状に対する不満が当選者の 支持母体として出てきたり、 あるいは投票率の低さとして 出てきたり、 というような様相であることは、 間違いないようでございます。 長崎市長銃殺事件のような、痛ましい事件が起きるなどやり切れない気持ちになるような 出来事もあった今回の統一地方選でございますが、 私としては嬉しいニュースが飛び込んでまいりました。 前回の区議会選挙では惜しくも涙を飲んだ友人・T氏が、トップ当選を果たしたのです。 大学時代の某大手新聞社でのアルバイトで知り合って以来のつきあいですが、 その当時から、政治には興味があるからとこのアルバイトを選んだという話も 聞いていたりしたので、この当選のニュースには何とも感慨深いものがございました。 身近な人で、議員になる人が出てくるなんて思いもしていなかったので、 何となく、ミーハーな気持ちで喜んでいる次第でございます。 彼は大学時代から、学校の枠を超えたサークルのリーダー的存在を担っていたり、 そのサークルで同人誌のような冊子をつくってみんなに配布してみたり、 そんな活動をその頃からやっていたのを、改めて鮮明に思い出します。 何と言うか、政治に関わろうとする人たちって、 どこか自分の利益だとか、得になることだとか、そういうことを念頭に置きながら、 計算高い気持ちでなる人が多いもんだ、なんて斜に構えてモノを見る私は かねてから思っていたものでございますが、 彼のこれまでのやってきたことや生き方などを見るにつけ、 そういうスタンスではなく、とにかく人のために何か役に立ちたい、 という思いでがんばってきたのではないのかな、なんて思ったりしております。 もしかすると、いろいろと事件を起こすような政治家の方も、 最初に当選した時はそんな思いでがんばってこられたのかもしれませんが、 いつの頃からか、何か道を外していってしまうようになるのかもしれません。 T氏には、いつまでも今の気持ちを持って、行政、政治に臨んでもらいたい。 そう願って、やみません。 同世代で、というか同い年で、しかもとても身近な存在として、 そういう表舞台で活躍するチャンスを彼が手にしてくれたことで、 私も何だか、勇気をもらえたような気がしま...

今どき珍しい熱血営業マン・Kさん

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ゆでたまごのすけでございます。 今年も4月になって新入社員が たくさん入ってきた、という 会社も多いことと思います。 今年の新入社員は 「デイトレーダー型」なんて 言い方もされているようですが、 まあいずれにしても、 みんな新しい生活に期待と不安を 感じながら過ごしているので ございましょう。 まわりに新入社員がいるのなら、 温かく接してあげましょう、 といつも新人にきつい言い方で 怒鳴ることが一年に一回はある 私としては、自分にも 言い聞かせている次第でございます。 そんな新入社員の面倒を見ることになったのが、今どき珍しい熱血営業マンのKさん。 彼女は在日の方でございます。 だからと言って、私は別にそういうことを気にすることはありませんし、 やれ、右だの左だの、そういうカテゴリーに属するつもりもございません。 ただひたすらに、人間として、彼女と向き合ってつき合っていると、 何と言うか、熱いなあ、暑苦しいぐらいに熱いなあ、と感じることがございます。 いや、決して悪い意味ではなくて、ですが。 彼女とは、あるお取り引きの大きな会社さんの仕事をさせてもらったことがございます。 これまで、私は求人広告をつくる仕事をさせていただく中で、 私自身が突っ走って、営業担当の人間に「まあまあまあ」となだめられたことは ずいぶんとありました。まだここに紹介していない営業マンの中で、 いろいろと世話になった人たちには思い当たる節がいろいろあるかと思います。 そんな私が、初めて「まあまあまあ」となだめる側に回ったのが、 この熱血営業マン・Kさんだったのでございます。 私は「お客様のために」という言葉を安易に使うのが好きではございません。 営利目的で広告を売っているのに、ただただ「お客様のために」というだけで 仕事をしているヤツなんているか、と思うからでございます。 ただ、支払っていただくお金の分、いやそれ以上のものを感じてもらえるように、 全力を尽くすことは、決して忘れていないつもりではございます。 しかし熱血営業マン・Kさんは、そういう気持ちを私以上にお持ちなのです。 採用活動に積極的な会社というのは、年間で数千万、数億円というお金を 投じて、採用広報を行っているのでございます。 それだけの金額を、自分に任せてもらっている。 そうである以上、その責任を全うしなくてはいけない。 そういう意...

あまりにも偉大すぎるロック・バンド、ビートルズ

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ゆでたまごのすけでございます。 かつて、何かの音楽番組で、 和田アキ子さんが「みんなは 自分のルーツはビートルズとか、 ローリングストーンズとか 言うのかもしれないけど、 でも私にとっては何と言っても、 オーティス・レディングです」 としゃべっていたのを、 やけに印象的に覚えております。 そこで名前の挙がった オーティス・レディングとは何者!? と思ったものでございます。 とはいえ、世の多くのミュージシャンは、少なからずビートルズに 影響を受けたのではないか、と思わずにはいられないのでございます。 しかしながら、私の世代というのは、ビートルズはリアルタイムでは 確実になかったのも、間違いないのでございます。 1970年。私の地球上の姿である多賀大祐が生まれたのは、 まさにこの、ビートルズが解散し、三島由紀夫が自決し、 ジャニス・ジョップリンとジミ・ヘンドリックスが亡くなった年、 なのでございます。 前にも書きましたが、私の家にはなぜかドーナツ盤と呼ばれる レコードなるものが山のようにあったのでございます。 そんな中の一枚に、ビートルズのレコードが一枚だけありました。 それは、「ヘイ・ジュード」でございました。 裏面は、「レボリューション」でございました。 ヒット曲ではありましたが、はて、なぜこのちょっと本筋から ずれた曲をビートルズ原体験として聞いてしまったのか、 と今さらながらに思うのでございます。 そのレコードを聞いたのは、幼稚園の年中か年長さんぐらいの年でした。 詞の内容なんて、わかるはずもございません。 「ジュード」というのが、ジョン・レノンの息子・ジュリアンを 指している、というのを知ったのは、ジュリアンがメジャーデビューを 果たして小林克也さんのやっていた「ベストヒットUSA」で ジュリアンの曲がランクインした時に知ったぐらいでございましたから。 ところが、そんな「ヘイ・ジュード」と「レボリューション」を聞いた 私は、なぜだか母親と姉に ビートルズの他の曲が聞きたい。 と言ったのでございます。 ビートルズの曲がいい、と言ってもいろいろあるけど何がいいの? みたいなことを聞かれた覚えがありまして、 それに私は、 メンバーの四人がジャケットに写ってるヤツ。 と答えたのでございます。 みんな、四人とも写ってるんだけどなあ。 と、母親と姉が困惑していたものでした...

時代より早すぎた男・父、多賀三好(その2)

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ゆでたまごのすけでございます。 時代よりも早すぎた人、 というのはいると思います。 亡くなってから評価された、 というアーティストというのは、 和洋を問わず多いのでは、と。 そんな偉大な方々と並べて 称するのはおこがましいですが、 私の父親・三好も そんな側面のある人でした。 確か、私が小学五年生ぐらいの頃だったと思います。 当時、父親は一体何の仕事をしている人なのか よくわかりませんでしたが、 いずれにしても転職をしたということは何となくわかりました。 それはなぜかというと、社宅と言われていたマンションを、 引っ越さなくてはいけなくなった、ということだったからです。 ということは、その社宅を持っている会社を辞めたのだろう、と。 それで、次に働き始めた会社というのが、 どうも環境関連の設備を売る会社のようだったのです。 今ならきっと、もっと注目をされた会社だったのかもしれません。 当時は1980年初頭。まだバブルもやってきていない、 高度経済成長の余韻が残っているような時代です。 環境問題の「か」の字も世の中で騒がれていない頃ですから。 そんな会社で、父親から聞かされたのは、 この液体を、どぶ川の水に垂らすと一瞬にして真水になり、 汚泥が沈殿するんだ。すごいだろ。 という話でした。 確かにすごいなあ、と思ったものです。 続けて、父親は言いました。 この液体を使った水をきれいにする設備を、 全国の浄水場に導入したらどうなると思う。 みんな、きれいな水をふだんから飲めることになるんだぞ。 おお、それはすごい、と。 でも、当時はまだ水道水が飲めやしない、 なんてこともありませんでした。 当然ながら、ミネラルウォーターなんて飲料水が、 世の中で売られていることもありませんでした。 どうやら父親は、その不思議な液体を使って、 水を濾過する設備を自治体に売り込もうとしていたようなのです。 今から考えれば、そんなもん、簡単に売れるわけないやん、 と突っ込んでいたのかもしれません。 一般企業ならともかく、自治体なんてそんな簡単に動かない。 そのもくろみは、やっぱりうまくいかなかったようで、 その後は父親もまた別の仕事に移った、という記憶があります。 でも、その後、父親が病に倒れて体が不自由になった頃、 テレビのニュース番組でその液体のことが紹介されているのを見ました。 ああ、もしか...

負けるな、と言ってくれている気がする・中島みゆき

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ゆでたまごのすけでございます。 春の選抜高校野球、終わりましたね。 桜の花も今週末にはほぼ散りそう、 という感じで、春が終わりに向かって いるのだなあ、と「もののあはれ」な 雰囲気に浸っている今日この頃 でございます。 春の選抜高校野球の入場行進曲は、夏の全国国高野球選手権と違って 毎年変わるわけでございますが、今年はTOKIOの「宙船(そらふね)」 でございました。作詞作曲が中島みゆき、 ということでずいぶん話題にもなったかと思います。 私、中学生ぐらいの頃から、中島みゆきの大ファンなんでございます。 大ファンというのは、ほんとにほんとに大ファンでございまして、 これまでのアルバムは全て、といっていいぐらいに私の書斎の CDラックにところ狭しと収まっているのでございます。 小学生ぐらいの頃には、「悪女」「あの娘」「悲しみ笑い」など、 ベストテンなんかのランキングに顔を出すヒット曲は知っておりました。 逆に言うとそれぐらいしか知らず、アルバムに収録されている曲などは、 ほとんどと言っていいほど聞いたことがございませんでした。 中学三年の受験期に、私は思い切り志望校を滑って、へこんでおりました。 そんな時、当時は東京に住む私と両親とは別に、 愛知県で教員をやって一人暮らしをしておりました11歳違いの姉から、 「元気を出せ」ということでカセットテープが送られてきたのです。 その中には、前に取り上げましたレッド・ツェッペリンも入っておりましたが、 同時に中島みゆきの曲も別のテープにセレクトしてくれておりました。 そんな中で私の心に刺さったのが、 「予感」というアルバムに入っている楽曲たちでした。 このアルバムは、私にとって中島みゆき史上最高峰、 と勝手に位置づけておる次第でございます。 別れを告げられた女の切ない心情を淡々と歌い上げる「この世に二人だけ」。 闘いに破れた人たちをある意味で励ましている「誰のせいでもない雨が」。 そして、そんな人たちの味方だよ私は、と宣言してくれる「ファイト!」。 受験を失敗した直後の私は、 涙なしにか聞けなかった楽曲ばかりでございます。 以来、私は中島みゆきさんのアルバムが発売されたらすぐに購入するし、 「夜会」なる演劇仕立てのライブにも何度も足を運びましたし、 著書はまるでバイブルのように読ませていただいたりしておりました。 年を経るごと...

私の創作活動に大きな影響を与えた巨匠・小津安二郎

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ゆでたまごのすけでございます。 この初夏には、北野武さんと 松本人志さんが監督になって 撮った映画が公開されるようです。 松本さんの「 大日本人 」も、 何だか「松本さんらしい映画」と 出演者の方々がコメントされて いるようで楽しみですし、 北野武さんの「 監督、ばんざい。 」も何だか、 久しぶりのたけしさんのコメディー映画で、 昭和の人たちには何だか懐かしい要素が いろいろと取り混ぜられているような感じが、 予告編を見る限りはしていました。 そんなたけしさんの映画の要素の中に、 どうやら私の大好きな小津安二郎のテイストも、 取り込まれているようでございます。 小津安二郎監督。言わずと知れた、黒澤明監督と双璧を担うと言われる、 昭和初期から30年代に君臨された巨匠でございます。 今、このブログで連載させてもらっております、 私の拙作「味噌汁の味」も、まあタイトルをご覧いただければわかるように、 小津監督をリスペクトしているゆえにつけたものだったりします。 いろいろな映画を見ましたが、小津監督の映画は私にとっては大きな衝撃でした。 何が大きな衝撃だったかというと、「日常」でございます。 淡々と、ストーリーが展開していくあのリズム感。 棒読みとも言ってしまえるような抑揚を押さえたセリフと演技の数々。 演技は派手に、どかんと、熱く、と思っていた私にとって小津映画との出会いは、 これまでの考え方を全部ひっくり返されたような感じでした。 日常を、描かれるわけであります。 でも、小津監督がテーマとしてきたのは「もののあはれ」でございます。 無常感。人はいつかは死ぬ。変わらないものなどない。 このコントラスト。たまらなく心にしみるのでございます。 しかし小津監督も、世の中の評価というものに反発したい気持ちは 十分おありだったようでございます。 家族もので、コミカルな作品を撮られる、という印象が 勝手に歩いていってしまって、 豆腐屋はがんもどきしかつくれないことはないんだ、 とんかつだってつくれるんだ、とばかりにつくった作品 「東京暮色」はずいぶんと酷評されたと言います。 私もこの作品は見ましたが、確かに小津さんの作品の中では異質で、 まったく救いのない終わり方をしてしまうのでございます。 言うなれば、「ダンサー・イン・ザ・ダーク」のような。 ミスチルの「深海」のような。たとえがお...

自分たちで考えることを教えてくれた恩師・T先生

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ゆでたまごのすけでございます。 NHKの「 プロフェッショナル 仕事の流儀 」なる 番組をついつい見てしまいます。 今日、取り上げられていたのは、 ごく普通の中学校の先生でした。 足立区の中学校教師・鹿嶋真弓先生。 エンカウンターなる教育手法が クローズアップされておりましたが、 教育は手法ではないな、ということを 鹿嶋先生の姿から感じました。 たぶん、同じ手法を別の先生が単純に取り入れたとしても、 学級崩壊を起こしていたクラスが同じように立ち直る、 ということはないんだろうなあ、などと思いながら見ておりました。 ふと、自分の中学時代のことを思い出しておりました。 2年生の時の担任・T先生が、一番印象深く記憶に残っております。 T先生がおっしゃっていた話で、よく覚えている話があります。 こんなこと言ったら不謹慎かもしれないけどさ、 横断歩道を必ず渡らなきゃいけないってことはないと思うわけよ。 だって横断歩道の信号が青だからって、 車が突っ込んでこないとは限らないでしょう。 信号が青で、しっかりまわりを見て、車が突っ込んでくることはないな、 と確認した上で渡らないと、信号無視で突っ込んできた車は避けられない。 車が突っ込んでこないことが確認できれば、 横断歩道がないところだって渡れるわけだよ。 そんなことを、普通にホームルームかなんかの時間に語られたことを はっきりと覚えています。今、そんなことを先生が言ったとしたら、 無粋な親が何だか不謹慎だ、とかクレームをつけてきそうでございますが。 でも、このT先生がおっしゃっていたことは、 要するに自分の目で見て、ちゃんと判断しなさいよ、 ということではないかと思うのでございます。 そういう力を身につけることが、 世の中を生きていくには大事な力になるんだぞ、と。 私は、こういうことを普通におっしゃってくれたT先生が好きでした。 担任していただいた時のクラスが、体育祭で優勝を遂げた時も、 他の先生に黙ってろよ、と言いながらアイスクリームを おごってくれたのが、未だに忘れられずにおります。 きっと、どこか私の中に、みんなが正しいと言っていることが、 果たしてほんとに正しいのかどうか、というのをちゃんと見極めよう、 という意識が働くのは、そんなT先生の言葉が心に残っているのだと 今更ながらに思うのでございます。 思春期の、私の心に響...

二回目の登場ですがやっぱり大好き・桑田佳祐

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ゆでたまごのすけでございます。 前にも書かせていただきましたが、 またまた書かせていただこうと 思ってしまった次第でございます。 桑田佳祐さん。やはり大好き。 今年はソロ活動がメインになるので ございましょうか。 先日はアメリカンエクスプレスの CM曲が話題になりましたが、 今度はフジテレビの月9の主題歌だそうでございます。 詳細はぜひ、 こちら をご覧下さいませ。 いやあ、やっぱり押さえるところは押さえられる方なのでございます。 ご存知の方も多いでしょうが、サザンの桑田さんとソロの桑田さんは 「陰」と「陽」の関係にあるのでございます。 サザンの桑田さんは、とことんまでサザンであることに、 人々が期待していることへ応えようとしている桑田さん。 ソロの桑田さんは、そうしたサザンとは一線を画したところで、 やりたいことをやりたいようにやっている桑田さん。 最近は、インタビューとかにもあるようでございますが、 そのあたりの境界線が曖昧になってきたところもあり、 というよりそこらへんの折り合いがついてきたのかなあ、 なんて勝手に一リスナーである私などは邪推をしておりますが、 いずれにしても、陽気な部分を前面に出すのがサザンなら、 ダークな部分を前面に出すのがソロ、という棲み分けができて おるような印象を受けるのでございます。 きっと、そうやってバランスを取っていくことが、 創作活動には有効に働くのではないのかなあ、 などとこれまた一リスナーの私は勝手に感じておるのでございます。 今年は確か、桑田さんは当年とって50歳の大台に乗るはずでございます。 それでもまだ、ロックンロールヒーローとして君臨されている。 しかもまた、ソロ活動という形で私たちファンの前に しっかりとその姿をご披露なされる。やはりスゴい方でございます。 そして、永遠の、私のヒーローなのでございます。 いつまでも、元気で、旺盛な創作活動をされていてほしいと思います。 そんな桑田さんに、伝えたい。 またまたステキな楽曲に、心から「ありがとう」と。 人気blogランキングへ  ← ワンクリックお願いします。  ← こちらもぜひ。

血はつながっていると再認識した親父・多賀三好

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ゆでたまごのすけでございます。 高校野球、盛り上がっとります。 今日で準決勝の4校が出そろって、 いよいよ佳境を迎える頃。 その中に、大垣日大高校という 学校が残っておりますが、 岐阜県代表でございます。 おそらく岐阜県代表で、 岐阜市内の高校以外から 代表として甲子園に出場するのは、 本当に久しぶりのことではないか、 などと思っておる次第です。 ちなみにこの大垣という町、私の地球上での姿である「多賀大祐」の 父親の出身地なのでございます。 名を、「三好(みよし)」と申しました。 厳密には、大垣市内ではなく、近くの不破郡垂井町、 という町に出身なのでございますが、 実はこの実家、町医者を営んでおられるのでございます。 父親をテーマにしたものを書こうとすると、 ものすごく長いストーリーになってしまいそうなのですが、 父・三好はまあとにかく、破天荒な人生を歩んだ方なのでございます。 本来なら実家の医院を継ぐはずだったのに、 そのレールに乗るのはイヤだ、と言わんばかりに 誰も呼んでもいないのに中国に出征したとか、 若い頃からちょっと他の人とは違ったことばかりする 人だったようでございます。 まあ、何となく、そんなところは、 私に受け継がれているような気も十二分にいたしますが。 私が中学時代から演劇にハマってみたり、 高校時代にバンドをやってみたりしているのを見て、 私の11歳上の姉は、どうやら父親の影を見ていたようでございます。 何しろ、父親もそういう道を志していたことがあるらしいので。 その姉が、その思いを私に口にしたことがございました。 私が、求人広告大手某社のお仕事を始めることになった時でございます。 あんた、ほんとにオヤジさんの子供だねえ。 なぜに改まってそんなことを言うのか、と聞いてみましたところ、 私も知らなかったのでございますが、 父親もどうやら若かりし頃、広告代理店の仕事をしていたのだとか。 その後、ラジオ局の仕事もしていたとか、そんな話を聞かされました。 ガキの頃は、どこか父親に反発する気持ちを持っていたものでございます。 でも、そういう話を聞かされたりすると、どうにも認めざるを得ない、 という気持ちになってくるのでございます。父の血を引いている、と。 今、36歳になり、父という存在へ、素直に感謝する気持ちに なれてきたような気がします。そんな父・三好に...

私を北陸で引っ張り回したデキる営業マン・W君

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ゆでたまごのすけでございます。 能登半島地震から、もう一週間。 金沢・富山あたりにわりと 知り合いがいたりするもので、 とても心配して携帯電話を かけてみたものの、 なかなかつながらない、という 状態だったのが記憶の新しゅう ございます。 一昨年あたりまで、やたらと北陸方面に出張しておりました。 そちらの方面の仕事を、やたらにやらせていただいたから、 でございます。 北陸方面から、私に仕事を振ってくれていた、 これまたよくデキる営業マンがおりました。 名前を、W君とおっしゃいます。 彼と出会ったのは、先日のブログで紹介しました、 オランダが大好きなS氏を通じて知り合ったのがきっかけでした。 そもそもS氏は、大宮へ赴任する直前に北陸の方で勤務をされており、 その当時にかわいがっていた営業マンだったのでございます。 W君と仕事をしていた頃には、 だいたい月の半ばぐらいに電話がかかってくるのが常でございました。 「ゆでたまごのすけ先生、来週は空いてますぅ?」 「先生」とつけ、甘えた口調でお願いの電話をしてくるのでございます。 W君も要領を得たもので、私がそんなに何度も北陸まで足を運べない、 ということもわかっておられるので、だいたい一日に三件とか、 四件とか取材予定をまとめて入れてくれるのでございます。 取材先と取材先の間の移動は、だいたいW君の営業車での移動になります。 雪の多い北陸に住まわれている方ですから、雪道の運転はお手のもの。 どんなに吹雪いていようが、何しようが、車での移動なのでございます。 一度などは、富山から岐阜の高山まで車で移動する、 という暴挙のような移動にチャレンジし、移動の道中には普通に 白川郷の茅葺きの住宅なぞを、観光でもないのに眺めながらの 旅になった、ということもございました。 ある日の取材のことでございます。 その日は朝から取材ということで、 私は前乗りで金沢に泊まっておりました。 あ、前乗りというのは、前の日から現地に入っている、 ということでございます。 取材先は、加賀温泉駅の近く。金沢からは特急で15分ぐらい、 でしたでしょうか。 やはりその日も、W君の営業車での移動という 予定になっておりました。 しかし、朝起きてみると、一面の雪景色。 それも、まだ降り続いている状態でございました。 これぐらいの雪は、金沢だったらそんなに珍しいこと...

イケメン営業は、イケてる営業に成長した・A君

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ゆでたまごのすけでございます。 東北楽天ゴールデンイーグルスの 田中将大投手はプロの洗礼を 受けたようでございます。 やはり相手チームの選手たちも、 「高卒ルーキーにやられてたまるか」 と思うのでございましょう。 悔し涙を流していたというところが、 田中くんのスゴいところかなあ、 と思わずにはいられませんでした。 そんな「洗礼」を若い人に浴びせたことが、私にも何度となくございます。 かつて、よくここにも書いております求人広告大手某社で営業をやっていた A君も、まさにそんな一人だなあ、と思っております。 A君と出会ったのは、今からかれこれ6年ぐらい前でしょうか。 埼玉は大宮の拠点で制作ディレクターをやっていた頃の話です。 4月の人事異動に伴って、千葉の方でぶいぶい言わせてた営業が こっちにやってくるらしい、というウワサを耳にしておりました。 そのぶいぶい言わせてた営業、というのがA君でございました。 見た目、イケメンなのでございます。 そういうぶいぶいかよ、と思ったりもしたのでございますが、 営業としてのセンスというか嗅覚というか、 そういったものもこいつは優れているなあ、 というのがA君と仕事をして感じた印象でした。 ただ、当時のA君に足りない、と私が感じていたものが一つありました。 それは「感謝の気持ち」でございました。 彼は、確かに売れる営業でした。 でも、自分が売れている、と思い込んでいる節がありました。 彼が無茶なスケジュールでお客さんからもらってきた仕事を、 彼は制作担当の人に 「せっかく持ってきたんだから、やって当たり前でしょ」 というような態度で接してきました。 「A、お前、何様だと思ってんねん」 関西人でもないのに、思わず私は関西弁で彼に怒鳴りました。 仕事を持ってきた、お前は偉い。 だがその仕事を形にするのは、お前にはできない。 最後まできちんと形にして、お客さんは満足する。喜んでくれる。 そこまで全部一人でできもしないのに、 そんな態度で人にモノを頼んでたら、 誰がお前のために仕事をしてくれると思うんだ。 そんなようなことを、私は興奮気味にまくしたてた覚えがあります。 私のデスクの横に、A君は体育すわりをしながら、 私の偉そうな説教に耳を傾けておりました。 そんな日から、3年ぐらいが経過した頃でしょうか。 彼は埼玉から、首都圏の営業担当として、 ...

私の仕事に向かう意識を変えてくれた恩師・S氏

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ゆでたまごのすけでございます。 サッカーU-22日本代表、快勝でございます。 自分でやったことは皆無だし、 それほど詳しいわけでもありませんが、 サッカー中継というのは、 やっているとつい見入ってしまいます。 それが日本代表とかになると、 なおさらほかのことが手につかなく なってしまうのは、私だけではない、 と思ってしまいます。 COCUという選手がいるということを知ったのは、 私がいつもお仕事をさせていただいております、 求人広告大手某社で出会ったS氏がきっかけでございます。 フィリップ・コクー。 オランダ代表のスーパー・ユーティリティー・プレイヤー でございます。 S氏はオランダという国がいたくお好きで、 長期休暇の際にはほとんど毎回、オランダに行かれていた、 と記憶しております。 さて、今回の話題は別にサッカーではございませんで、 このS氏への感謝の気持ちを表そう、という趣旨でございます。 S氏とは、私が埼玉は大宮の拠点を中心に仕事をさせていただいていた時に出会いました。 その頃、すでに私は大宮で3、4年あまり、仕事をしていた次第でございます。 前述の求人広告大手某社は、毎年、大きく組織変更をされる会社でございます。 その年の4月も、大きな組織変更があり、S氏が大宮の拠点にいらした、 といういきさつでございました。 S氏は、本当は自分で広告をつくりたい、という気持ちが本当は強い方でございました。 でも、その時、大宮に赴任されて、与えられた職務は、マネジメントでございました。 大宮の制作拠点を、しっかりとしたものにしなさい。 大ざっぱに言えば、そういうことでございます。 決して、当時の大宮の制作拠点がダメダメだった、というわけではございません。 言うなれば、底上げをしよう。そういうことでございます。 S氏がスゴかったのは、与えられた職務を自分なりに楽しんでいたことでございます。 私なぞは、ただひたすらに文章を書いたり、広告をディレクションしたり、 あるいは芝居の本を書いたり、ということにしか力を注ぐことのできない、 バカの一つ覚えと言って過言ではない、 いい言い方をすれば職人気質の人間でございます。 S氏は、その制作拠点にいたメンバーの一人ひとりをしっかりと見つめ、 この人はここがすごい、でもここは弱い部分だよね、 というところをきちんと把握し、私たちに伝えてく...

スーダラ伝説は本当に伝説となった・植木等

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ゆでたまごのすけでございます。 近頃は、私が小さい頃に テレビの世界で活躍されていた ような方々が、 次々とお亡くなりになるのが いたく寂しい限りでございます。 本日、植木等さんがお亡くなりになられました。 先日、青島幸男さんのことをブログに書いた矢先だったので、 何とも言えず寂しい限りでございます。 私の世代は、クレージーキャッツのリアルタイム世代ではございません。 むしろ、ドリフ全盛世代と言えるでしょう。志村、後ろ後ろ!と、 テレビに向かって叫んでいたような世代でございます。 しかし、やはりテレビ創成期の笑いとエンターテインメントを 支えていたのは、クレージーキャッツだったと思うわけでございます。 植木さんと私が出会ったのは、ドーナツ盤でした。 あえて、ドーナツ盤と記させていただきます。 今や、レコードとはDJが回すお皿のこと、という感じでしょうが、 私の小さい頃はスピーカーと一体になった小さなプレーヤーに、 45回転のシングルレコードを乗せて聞くのが主流だったわけでして。 なぜか私の自宅には、いっぱいドーナツ盤があったのでございます。 母親が当時からするとハイカラ(!)な人だったようで、 流行歌と呼ばれるようなレコードは ずいぶんと集めておったようでございます。 そんな中に、ジャケットのないドーナツ盤がいくつもありました。 そのほとんどが、ザ・ピーナッツのシングル盤でありました。 レコードの溝が、ほとんどなくなってしまっているような状態で、 今から考えれば母親や姉がすり切れるまで聴いていたのかな、 という気がしております。 そして、その中に一枚、際立ったものがありました。 ドーナツ盤は普通、黒いプラスチックを素材にしておりましたが、 その一枚は、なぜか赤く、透明な素材でできておりました。 当時、小学館の子供向け雑誌についていたような、 ぺらっぺらのソノラマシートと呼ばれるようなドーナツ盤と 雰囲気が似ていたのがとても印象的でした。 その赤いドーナツ盤の一枚から流れてきたのが、 植木等とクレージーキャッツ「スーダラ節」でございました。 スーイスーイスーダララッタ スラスラスイスイスーイ♪ 何ともお気楽で、なんとくだらない歌詞でしょう。 子供ながらに、その曲調のばかばかしさを感じていたと思います。 でも、そのメロディーラインと歌詞は、未だに忘れずにいます。 それほ...

ある時は営業マン、ある時はスーパーアスリート、F氏

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ゆでたまごのすけでございます。 アメリカンフットボール、略してアメフト。 少し、流行ってるんでしょうか。 アイシールド21 なんてアニメも やっていたりしますが、 これって流行の一端を担っているのでしょうか。 私の知っているアメフトチームに、 オービックシーガルズ というチームがあります。 2006年〜2007年シーズンはあまり芳しい成績を残せなかったようですが、 2006年1月に行われたライスボウルだったと思いますが、 法政大学との日本一決定戦に勝利を収めたのがとても印象的でした。 というのも、実は私、よく知っている方が選手として出場されていたのです。 F氏、という方がその選手です。ふだんから、仕事をよく一緒にしていました。 それも、MVPの大活躍。テレビで見ながら、ふだん一緒に仕事している方が フィールドを縦横無尽に飛び回り、アメフトをやっている人に聞いてみたら、 あのプレイは身体能力が相当高くないとできない。 と言うぐちゃぐちゃっ、と集団で混戦になっているところを飛び越えて、 タッチダウンするというプレイを目の当たりにし、 かっけーーーーー! と思わずテレビに向かって叫んでしまったことを未だに鮮明に覚えております。 そのF氏、何がすごいって、ほんとにふだんは普通に営業マンをしてるのでございます。 2005〜2006年のシーズンも、Xリーグの優勝決定戦がその日の夜にある、 という日の昼間、ごく当たり前のように ただいまー。 と鞄を片手に営業から帰ってこられたのでございます。 えっ、今日、優勝決定戦ですよね? 思わず、心の中で突っ込んでいた次第でございます。 何と言うか、普通に働きながらも、一線の選手として活躍しておられる。 いやはや、感服してしまいます。その精神力、見習わなくては、と。 そんな勇気を与えてくれるスーパーRB(ランニングバック)F氏に、伝えたい。 心から、「ありがとう」と。 人気blogランキングへ  ← ワンクリックお願いします。  ← こちらもぜひ。

ぎっくり腰をその日に直すスーパー整体師・指圧センターTの先生

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ゆでたまごのすけでございます。 石川・富山の方で被害が大きくなっている 地震があったようでございますが、 私、一昨年あたりにはやたらにそちらの方へ 足を運んでおりましたゆえに、 そちらにおられる方の安否が気がかりです。 北陸方面の仕事を始めた頃というのは、 今からかれこれ5、6年ぐらい前でしょうか。 当時、私は仕事の拠点を埼玉は大宮に置いておりました。 その頃、突如としてみまわれた病がございました。 「ぎっくり腰」でございます。 なった方はわかると思いますが、 ぎっくり腰というのは、何の予兆もなく突然やってきます。 私の場合は、何とはなしに床に落ちたものを拾おう、 とした瞬間にやってきました。 ぐきっ。 ほんとに、そういう感じなんでございます。 そして、これが何をしても痛い状態になってしまう。 立ち上がろうとしても、座ろうとしても、 いちいちぐきっ、と痛みが走る、という。 初めてぎっくり腰になったのは、忘れもしない金曜の夜でした。 自宅に帰り、横になろうとしても、痛い。 体を起こしても、痛い。にっちもさっちもいきません。 土曜の朝、起きてさっそく、自宅そばの最寄り駅付近にある、 整体の先生のところへ行きました。 決して、それまで通っていたとか、そういうわけではありません。 ただ、仕事の行き帰りに「ああ、整体があるんだ」と、 目にしていただけのことでございます。 それを覚えておりましたので、何はともあれ行ってみようと。 そのTという整体院に、飛び込みでまいりました。 先生が、これがまたコワモテなのでございます。 私のでかい容姿を見て、一言。 でかいなあ。疲れるんだよ、そんなでかい体だと。 と、毒を吐きまくり。ふだんだったら、このやろう、とか 思うところなのですが、何しろこちらは腰が痛い。 とにかく何とかしてほしい一心で、 そんなこと言わずに、お願いしますよ。 と懇願したわけでございます。 先生、私を横にして、腰をほぐしながら、 全身をマッサージしてくれるわけでございます。 足を膝から曲げて、太ももの外側にふくらはぎが行くようにして、 ごきっ。 体を横にして、上になっている方の肩を背中側に、 腰を腹の方に向けてせーの、で押すようにして、 ばきっ。 こう書くと、何だかすっごい痛そうな感じがいたしますが、 これ、音にはほんと、びっくりするんですが、 痛いことはちっともないん...

プロの中のプロという姿を伝えてくれる、世界の王貞治

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ゆでたまごのすけでございます。 プロ野球、パ・リーグが 開幕いたしました。 高校野球が途中から中止に なってしまったようで、 すっかりプロ野球中継に ハマっておる次第です。 20代の若い方々は 野球なんて、と思うでしょうが、 私たち30代後半から40代、 さらにその上となると、 スポーツ観戦と言えば野球なのでございます。 私は名古屋の出身なのですが、母親はなぜか巨人ファンでございました。 父親は中日ファンだったのでございますが、 何しろうちの父親は家にほとんどいない人でございましたので、 私はすっかり母親の影響を受け、巨人ファンだったのでございます。 私が野球中継を好んで見るようになった頃の巨人というのは、 エースが堀内、四番は世界の王貞治、三番は安打製造機・張本、 五番はいぶし銀の柳田、という感じのチームでございました。 王さんの世界記録・756号ホームランの瞬間も、 テレビで中継を見ておりました。 相手投手は忘れもしない、ヤクルトスワローズの鈴木康ニ朗さんでした。 だから私の中では、野球は巨人、巨人といえば王選手なのでございます。 そんな王さん、ご存知の通り、 今ではソフトバンクホークスの監督でございます。 そして昨年はシーズン途中から、体調を崩されておりました。 でも今、ホークス対バファローズの試合でお元気に采配をふるっておられます。 何はともあれ、よかったよかった。そう思わずにはいられません。 昨年のシーズン前、ワールド・ベースボール・クラシックでも、 王さんは日本代表の監督も務められておりました。 予選リーグでは、日本は厳しい戦いを強いられ、 これはダメか、と思ったものでございます。 ところが、ぎりぎりのところで予選通過を成し遂げ、 そして決勝では世界最強と言われるキューバを破って世界一になった。 何と言うか、この展開はすごかった。感動的でございました。 プロとは、演出があるわけではないけれども、 見せる、魅せることをするものなのだ。 そう教えてもらったような気がする決勝戦でございました。 クリエイティブとか、エンターテインメントとか、 そんなことを意識しながらふだんの仕事や生活を送っておりますが、 自分にはできないことをやっているプロの方々の姿を見ると、 何より「自分もがんばらなくては」という気持ちにさせてもらえます。 そして、そんな姿をテレビの画面から...

無責任きわまりない天才作家・青島幸男

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ゆでたまごのすけでございます。 近頃は世の中が無責任になりすぎて、 無責任なことを言うことが はばかれるようになってしまっているのが、 なんだかきゅうくつにさせているように 思えてなりません。 つい先日、お亡くなりになりました青島幸男さん。 以前、このブログでも紹介した旧知の友人・A氏も 「青島幸男と赤塚不二夫は天才だ」と絶賛しておりました。 文藝春秋刊「わかっちゃいるけど… シャボン玉の頃」を 読んでみて、まさにその通り、と思わされてしまいました。 ご存知の方も多いとは思いますが、 青島さんは植木等とクレージーキャッツやザ・ピーナッツが 出演しておりました「シャボン玉ホリデー」という 怪物番組を手がけておられた方でございます。 もともと作家だったわけでございまして、 裏方さんだったはずなのですが、 気がつけば出たがりの性分が高じて、 「青島だァ!」なんて流行語まで生み出しちゃったという。 都知事選挙が告示になりましたが、石原さんの前の都知事、 ということでご記憶のお若い方も多いんでしょうが、 私の中ではひたすら「意地悪ばあさん」なのでございます。 クレージーキャッツの曲に、たくさんの歌詞を残されております。 シャボン玉ホリデーなどの台本も、たくさんお書きになられました。 前述の「わかっちゃ〜」では、台本なんて書いては捨ててきた、 などという記述がありましたが、なんのなんの。 そう書いている本の中にはたくさんの当時の台本が紹介されている。 これがまあ、青島さん流の「無責任」というヤツでございまして、 現在の企業や政治を司っている方々のやってるのにやってない、 とはぐらかすような態度と比較しても品の良さが違うわけでございます。 青島さんは、台本や歌詞のアイデアを考える時に、 だいたいにおいてお弟子さん(景山民夫さんなど有名な方も多数)と 一緒に酒を飲みながら、あるいはムダ話とも取れるような会話を交わしながら、 考えておられたのだそうです。 そういう時の方が、面白いことを思いつくのだ、と。 私のまわりにも求人広告をつくるクリエイターたちがおりますが、 彼らももっと気楽に、面白いことを考えてみたらいいのに、 なんて思っちゃったりもします。 もともとすごい、と考えていた方でございましたが、 改めて、すごい方だったのだなあ、と思わずにはいられませんでした。 そんな青島さんに、...

無から有をつくりだす変幻自在のデザイナー・U氏

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ゆでたまごのすけでございます。 私もクリエイターと呼ばれるような 仕事をしているわけでございますが、 何しろ無から有をつくりだすというのは、 それ相応のパワーが必要だったり するわけでございます。 その辺を、最近はなかなか理解していただけないことが 多い気がしてならないのですが…。 とまあ、愚痴っぽいことはこれぐらいにしておいて。 ふだん、私が求人広告の制作に携わる中で、 一番お世話になっているのがデザイナーさんでございます。 私も時に応じて 紙媒体やWEB媒体を問わずデザインすることもありますが、 あくまで本業ではないわけでございまして、 できないこともたくさんある次第なのです。 そんな中、「え、そんなことできちゃうの?」ということを ちょちょいの、ちょい、とやってのけてしまう デザイナーさんがおられます。 その方こそが、大阪を拠点にがんばっていらっしゃる U氏でございます。 いつぞや、カラー2ページものの広告を制作している時に、 どうしても床の間のビジュアルがメインでほしい、 ということになったのであります。 どこかで撮影している時間はないし、どうしよう、と。 そんな時、U氏にご相談をさせていただいたのでございます。 「Uさん、床の間のビジュアルがほしいんですが、できます?」 「え、や、やりますよ」 たった一言でありました。 私はてっきり、何かの素材集から床の間を探してきて、 それを加工するのだとばかり思っておったのです。 ところが、上がってきたものを見て、びっくり。 なんと、イラストレーターとフォトショップで、 まったく無のところから床の間をつくられておったのです。 これには私、度肝を抜かれました。 そんな無茶なことを、無茶とわかっていながら、 それでもやってしまう。もう、感服してしまいます。 現在でも、私のつくる広告には欠かせない方として、 いろいろとスケジュール的にも、内容的にも、 難しいことをお願いしてしまっておりまして、 日頃から反省しきりなわけでございます。 そんな変幻自在のU氏に、伝えたい。 心から「ありがとう」と。 人気blogランキングへ  ← ワンクリックお願いします。  ← こちらもぜひ。