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【雑感】コロナで、痩せた。

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ゆでたまごのすけです。 すっかり更新がご無沙汰になりました。その間、コロナがありました。いや、まだあります、ですかね。おかげですっかり暇になりました。そのわりには更新が滞ってるのはどういうことやねん、というツッコみ、大歓迎です。はい、求人関連の仕事は暇になったんですが、それでは食っていけないということで、いろんな仕事の可能性を模索し続けていたため、自身のブログの更新どころの騒ぎではなかった、ということであります。 で、今回のタイトルですが、コロナで痩せたんです。いや、コロナのせいで痩せたわけではないですし、なんなら罹患したわけでもありません。コロナのおかげでわりと時間ができたし、じゃあ何するの、と考えた時に、ダイエットって真剣にやってみたらどうなるのかしら、と思ったのが一つのきっかけになった、ということです。 誰もが知っていると言っても過言ではない、コミットするCM、あるじゃないですか。そこに頼れば、痩せられるんだな、というのはきっと誰しもが思うところでしょうけど、人づてに聞いたところによると、利用者に向けて食事制限と適度な筋トレをメニュー通りにやらせるよう管理するから、そうなる、ということらしいじゃないですか。そのために数十万円を支払うんだったら、自分で管理すればその分コストダウンになるじゃないの、と思って、やってみたというのもあります。 実績で言うと、この記事を書いている2020年9月24日時点で、104.0kg。約1カ月前の8月25日時点では110.0kgだったので、6.0kg減です。ちなみにさらにその半月前には115kgくらいあったので、1カ月半で11kg減です。この間、何をしたかというと、意識的に間食はなくしたことと、一回の食事の量を減らしたこと、よく噛むこと、だけです。まあ、体重比で言えば、普通の人からすると4、5kg減くらいの計算になるのでしょうが、それだけで11kgも痩せるのかと思えば、やってみる価値はあるでしょうし、私自身としては、これを継続したらあとどれくらい痩せるのかを見てみたい、という好奇心にあふれています。 こうやって痩せてみて思うのは、「やれば、できる」ということと、甘えないようにするといいことある、ということです。これからも、やりすぎない範囲で、自分に厳しく生きていこうと決意を新たにしているところです。 よければこちらもご覧下さい。こち

【雑感】改めてTwitterが、面白い。

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ゆでたまごのすけです。 前回の記事からかれこれ幾年月。だいぶ、使いこなせるようになってきました。 「使いこなす」とは、どういうことか。結局は、Twitterを自身のブランディングに活用できるか、ということだと思っています。 では、どうすればブランディングできるのか。チェックするべき項目は、「プロフィールのクリック数」だということです。 「プロフィールのクリック数」が何を示すか、でいうと、わかりやすく言えば「お前、誰やねん」と、自分に興味を持った人の数、です。私はフリーランスで25年超、コピーライターをやってきた人間ですから、私が何者かを知っていただける方が増える、というのはセルフブランディングに他ならないわけです。 では、「プロフィールのクリック数」を伸ばすためには、どうすればいいか。一つは、いろいろツイートしてみる、ということですね。そのツイートが、どれだけエンゲージメント数を伸ばしたか。ここでいうエンゲージメント数というのは、「プロフィールのクリック数」はもちろんのこと、「いいね」の数や「返信」の数、「詳細のクリック数」などになります。つまり、自分のツイートがどれだけのインプレッション(リアクションと言った方がわかりやすいと思います)を生み出したか、を図るKPI(指標、と言った方がわかりやすいですね)になる、ということです。そして、自身のツイートで、どれだけ「プロフィールのクリック数」が稼げたか、それぞれのツイートの内容を精査した上で、自分自身で評価をするわけです。 二つは、他人のツイートに乗っかってみたら、「プロフィールのクリック数」がどれだけ伸びたか、を確認するということ。「人のふんどしで相撲を取る」というやつですね。他人のツイートに乗っかってみると、Twitter界隈で影響力のある人は誰なのか、を計測することができます。前述のインプレッションがどれだけ多いか、その中でエンゲージメント数はどれだけの割合で伸びるか、をチェックする。そうすると、影響力のある方のツイートに乗っかった方がいいということもわかりますし、なんならそういう方のツイートばかりに乗っかればいい、ということにもなる、と。 しかしながら、ここで私は、良識というものを持つべきだと思うわけです。他人のツイートに乗っかって、セルフブランディングを確立できたのだとすれば、

【雑感】Twitterが、今さらながら面白い。

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ゆでたまごのすけです。 タイトル通り、今さらながら、です。 というのも、人づてに紹介された若者(30歳前半)が、学生団体の支援もしており、そこが主催するTwitterセミナーというのに参加してみたのです。するとその講師役が、なんと20歳の現役大学生。15歳からTwitterをやっていて、紆余曲折あって、太く長く楽しむにはこういうやり方がいいよ、というのを伝授してくれたのです。 なるほど、じゃあ、やってみよう。 そう思って、これまでいわゆる「鍵垢」にしていたTwitterのアカウントを公開にして、採用系ライターと銘打って、今、まさに思っていることを呟いてみよう、という運用方法に変更したわけです。 すると、まずはフォロワーが増えました。 最初のうちはフォロワーになってくれた方は全て、フォローをお返ししていました。ところがその中には、Twitterで稼げると何らかのセミナーで聞いたのであろう、とりあえずアカウントつくってらしいこと呟いてみよう、という印象のフォロワーの方もおられ。私はこうしたアカウントの方を勝手に「輩(やから)」と心の中で呼んでおりますが、そういう方のアカウントはフォローしないようにしました。 すると、今度はフォロワーが減りました。 よく見ると、そういう「輩」な人たちがフォローを外してきているんですね。 何だか、実社会とそう変わらんな、という印象を受けました。結局、軸のない人は、ちょっとこの人、絡んどくと良さそう、と思えば集まってくるし、そうでもないわ、と思えばすぐに去る。 じゃあどうすればいいか、と思った時に、私は「軸のある人になろう」と思いました。 Twitterだからと飾ることなく、平常心。それはまるで、ダイビングをやっている時に大事にしないといけないことと相通じるものがある、と思いました。 とりあえずTwitter運用、いろいろ試してみたいと思います。まあ、それがマネタイズできるようにしたい、といやらしいことももちろん考えてはいますが(笑)、接点を持った人が価値を感じられるようなマネタイズの仕方を模索してみたいと思っています。 あ、こっちもどうぞご覧下さい。 求人広告の「裏ワザ」! 何と2年ぶりに更新を再開しました。 Tweet シェア

【雑感】宮古島をレンタルポケットWi-Fiで楽しもう!

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ゆでたまごのすけです。 すっかり更新がご無沙汰になってしまいました。2019年になって初めての投稿がこれ、というのは自分でもびっくりです。この間、いろいろあったわけですが、そのあたりはまた別の投稿ででも触れるとして。 今回は、2016年あたりからハマっている宮古島のことを取り上げてみようと思います。 ハマったきっかけは、スキューバダイビングです。冒頭の写真は、まさに宮古島の海の中。写真で見ても十分きれいですが、これを肉眼で目の当たりにした時の感動は、言葉では言い表せないくらいです。最初はなかなか潜ることができずに悪戦苦闘していましたが、こんな光景を自由に見られるようになりたい、という思いが強く、今では「アドバンス」と呼ばれるライセンスまで取得しました。 宮古島の海の青さは、比類ないものと言われます。与那覇前浜ビーチが「東洋一青く美しい海浜」と言われているようですが、確かに美しいし、海の中の透明度は本当にハンパない。「透明度●度」というと、●メートル先まで視界があるという状況を指すようですが、時に応じて透明度が50度を超えることもある。海の中でそこまで視界が広い状態で居られるのは、他にはなかなかないようです。 あまりなじみのない方からすると、宮古島も沖縄本島も一括りにしてしまいがちかと思います。私も宮古島にハマってからしばらく、沖縄県内の本島や他の島には行ったことがなかったのですが、仕事で初めて本島に降り立った時に率直に思ったのは、 本島って、都会なのね! ということでした。本島には高速道路もあれば、モノレールもある。島を一巡りするには結構な時間もかかる。宮古島にはそんなものはないし、一巡りしようと思えば車で一日もあればできてしまう。誤解を恐れずに言えば、宮古島は「田舎」なのだなあ、と感じました。いや、これは良くも悪くも、という意味で申し上げていると受け取っていただきたいと思います。 ニュースなどでも取り上げられていますが、2019年10月現在の宮古島は「バブル」の真っ最中です。観光客の数が数年前と比べて何倍も増え、中国や台湾などからのクルーズ船も頻繁に訪れ、同年3月には下地島空港も開港しました。土地の値段は急騰し、賃貸物件はほとんど埋まって新たな物件がほぼ出てこず、出てきても東京23区並みの賃料水準と言われています。

【雑感】逃げずに向き合う、ということは。

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ゆでたまごのすけです。 自動車メーカー大手と日本の報道機関、面白いですね。 バブル期の日本を未だに引きずっている自動車メーカー大手の経営陣が考えていることと、日本の報道機関が考えていることは、結局変わらないことの方が幸せなんだ、と浸透させようという意図が見え見えで面白い。かの外国人経営者の方が言っていることはとても全うで、不正はないという主張は、法的にはおそらくその通り、ということかと思われます。なんならバブル期に戻ったら、業績が下降線をたどるのは明白なことかと思いますが、どうでしょう。 これからの日本が成長していくために必要なことは、過去の遺産を守ろうとすることではなく、守ろうとした際に起こるであろう業績の下降を踏まえた上で、じゃあどうすれば下降せずに済むのかを真剣に考えることではないか、と思うのであります。 今、書いたことをわかりやすく説明するとすれば、明日以降の記事をご覧いただくことで、解決できると思いますので、継続的に私のブログをチェックいただきたく存じます。 Tweet シェア

【雑感】ハプニング、アドリブ、そして素人。

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ゆでたまごのすけです。 すっかり更新がご無沙汰になってしまいました。前回更新から、約半年。気がつけば、夏。猛暑。命の危険があるほどの暑さとテレビのニュースで連呼されていますが、危険なのは暑さだけじゃないよなあ、といろいろな世の中の事象に思いを馳せる今日この頃。みなさんはいかがお過ごしでしょうか。 NHKのBSプレミアムでやっていた「欽ちゃんのアドリブで笑(ショー)」、見逃したし録画もし忘れた、とショックを受けている次第です。昨年(2017年)やっていたものはたまたま番宣で知って録画してありますし、「アドリブで笑(ショー)」をやるきっかけになったと思われるコント55号の何十周年だかの記念番組も観ました。そこで改めて知ったのは、萩本欽一さんという方がなぜ素人いじりを得意としていたかというと、ハプニングこそが面白いと知っていたからなんだなあ、ということ。今、お笑い芸人と呼ばれる方々が結構しっかりとした台本をつくってネタにしているのとは真逆のスタンス、ということになるのでしょう。だから「アドリブで笑(ショー)」に出演される芸人の方々が舞台裏で戦々恐々とされているのも、わからなくはないです。 そんなことを考えていたら、昔やっていた劇団のことを思い出しました。最初の公演をやったのはかれこれ25〜6年前の話になりますが、メンバーを集めるのに今や懐かしき雑誌の「ぴあ」や「フロムエー」などの無料掲載できるスペースに募集告知を載せておりました。だから当然ながら、集まってくるのは役者の経験なんてないという素人さんがほとんどで。そうすると高度な演技なんて求めたとしてもできるわけがないのですが、当時の劇団で演出をやっていた私の相方は、そんな素人さんたちをお客さんたちに観せられるようにするのが非常に上手な人間で。できないならできないなりに、できることで観せるに値するものに仕立てる、というのは今から考えるとすごい能力だなあ、と改めて思ったりして。これって、前述の欽ちゃんのハプニングやアドリブを活かしたり、素人いじりをしたり、というものに通じるものがあるなあ、と。 転じて、求人広告の話です。求人広告の制作を仕事にしていると、いつも「素人」でいられる感じが心地よかったりします。というのは、求人広告を出したいという企業さんのもとへ取材に訪れると、ほとんどのケースで新しい企業さんや仕

【雑感】2018年のお正月は、少しいつもと違いました。

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ゆでたまごのすけです。 2018年が明けました。おめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願いします。 例年、この季節は繁忙期に入るもので、だいたい年内に納まらなかった仕事を抱えて年を明けるわけですが、今年は例年以上に忙しく、抱えた仕事も多かったので、お正月感が一層薄い感じの元日となっております。まあそれでも、大晦日は「笑ってはいけない」を軸にしながら、桑田さんが登場する時だけ「紅白」を見て、「孤独のグルメ」が始まったらほぼチャンネルは固定、という感じで過ごしましたけれども。 そんな中、元日早々に一番上の姉から電話があり。義理の兄の実弟である深水三章さんが亡くなった、という知らせがありました。それより前、目を覚ましてからFacebookをチェックしていたら、三章さんが創立メンバーとして立ち上げた劇団・Mr.SlimCompanyのメンバーだった方が、三章さんがメインボーカルを務める曲に動画をつけてアップされており。そこに寄せられたコメントに「追悼」的なものがいくつもあったので、「まさか?」と思っていたところへの姉の電話だったもので、何とも衝撃的、かつ脱力感と無力感を感じるお正月になっている次第です。12月30日に永眠され、享年70歳だったとのこと。心よりご冥福をお祈りします。 三章さんとは、あまり直接の接点はありませんでした。しかしながら、その兄である龍作さんが主宰となったSlimのステージには中学時代に初めて触れ、衝撃を受けました。歌って踊って、叫んで、汗をかいて、狭いステージを縦横無尽に飛び回る作品を観て、こんな舞台もありなのか、と思ったのを、未だに鮮明に覚えています。その後、旧知の友人と劇団をつくり、座付脚本家として作品を執筆し、そうした活動から距離を置いた今でも「本業は脚本家」と思っているという私の根っこには、三章さんが興したSlimの存在が今もこびりつくように残っています。そんな私のルーツを、三章さんの訃報という悲しい知らせによってではありますが、改めて意識させられるお正月になったということは、何かを示唆しているように思えてなりません。 2018年、今年はこれまでと少し違った1年にしたいと思う次第です。 そんな決意をした私のもう一つのブログも、どうぞご覧下さい。 求人広告の「裏ワザ!」 求人広告でいろんな人たちと会うの