【雑感】世代を超えて、客観的な視点が持てたらいいのに。

ゆでたまごのすけです。

「今の子どもたちは、物心がついた頃にはスマホがあったんだよなあ」などと世代論をぶち上げることが自分にもあったりしますが、そんな自分たちは「君たちの子ども時代には、物心ついた頃からファミコンがあったんだよなあ」と言われる世代でもありまして。こうしたやり取りを、単に「そうだよねえ、だから今の子どもたちは云々かんぬん」という建設的な着地点のない世代論として終わらせるのではなく、今の子どもたちには子どもの頃からスマホがあり、私たちが子どもの頃にはファミコンがあった、という事実や現象をきちんと捉えることが大事ではないか、と思うのです。

なんでそんなことを考えたかというと、姉の家で互いの家族同士が集まり、RPGに興じていた時のことをふと思い出したからでありまして。確か姉か、姉の子どもかがプレイしており、こちらの攻撃をすべて跳ね返すというラスボスになす術がない、という状況だったかと。そこで私が提案したのが、魔法攻撃を跳ね返す魔法というのを味方にかけて、さらに攻撃系の魔法を味方にかけて跳ね返して、ラスボスに攻撃系の魔法をぶつける、という方法でした。するとまさに私が提案した方法がハマり、ラスボスを倒すことができた、と。そこで姉がのたまったのが、

味方に攻撃系の魔法をかけるなんて発想は、私らの世代ではで出てこない。

的なコメントでした。それを聞いて、私の頭の中にはたくさんのクエスチョンマークが駆け巡ったのですが、その場では「そうかなあ」と流したように記憶しています。

そこで駆け巡ったクエスチョンマークを紐解いていくと、「それって世代論にするべきものなのかな」という疑問だったのではないかと思います。「味方を攻撃するなんて心情的にあり得ない」という考え方は、理解できます。しかしながら、そういう考え方ができるできないが世代間で違いがあるかどうかはよくわからない。なんなら味方を助けるための方法を考えた結果、取った戦略なわけだから、私としては「味方を攻撃」していたわけでもない。強いて言うなら、現状を客観的に捉えてどうすべきかを、自分の心情や感情といったものに左右されることなく、ぶれずに考えることができるかできないか、が世代間で違いがあるのかもしれない、といったところではないかと思うのです。

自分が信じているものであるとか、こうでなくてはならないと考えるものとか、そういうものは持っていていいと思います。しかしながら、それが世の中的にどう捉えられるものなのか、受け入れられるものなのか、を考える客観的な視点も併せ持つべきではないかとも思います。そうすれば、今、世の中で起きている事象に対して、自分としてはこう考える、というものを持ちながら、その事象を客観的に捉えることができ、それにどう対処していけばいいか、という戦略も考えられるようになるのではないか、と思います。


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