【雑感】今年を振り返って。

ゆでたまごのすけでございます。

今年の一文字は「変」だそうですね。

確かに、いろいろ変わったなと思います。
私の身辺も、いろいろ変わりました。
母が5月に亡くなりましたし、
仕事の中身も変わってきていますし。

今年を振り返って思うのは、
自由をコントロールできなくなってきた
時代に突入したということです。

人間、自由を欲してそれを得ると、
その自由でなかった時代のことを忘れ、
その自由を持て余すようになる、という。

私が通っていた高校を、
今の世の中に重ね合わせてしまうのです。

東京都立北高等学校という、今はもうない学校なのですが。
歴史をひもとくと、東大生も結構出していた進学校で。
小渕恵三元首相も、卒業生に名を連ねているのです。

学生運動の盛んだった時代に、
先輩の東大生に混じって、運動に参加していた人もいたようで。
その結果、北高には校則を撤廃しようという動きになり、
たとえば制服は定めてあるけど着用するのが好ましい、
的な表現のものに全て改訂されたという歴史があるようなのです。

ところが。

私が通っていた時代には、すでに野放図でした。
何だか知らないけど、学校の廊下を自転車で走るヤツがいてみたり。
何だか知らないけど、男子トイレの便器を全部下に落として壊すヤツがいたり。
何だか知らないけど、自転車置き場が風で将棋倒しになっていて、
自分の自転車が下敷きになってるからと人の自転車を持ち上げて、
放り投げているヤツがいたり。
何だか知らないけど、私が自分の机に吊るしていた折り畳み傘が、
別の教室での授業が終わって戻ってみると、開いて置いてあったり。

意味がわからないことばかり、やるヤツがたくさんいました。
そういうヤツに「何で」と問いただしてみると、

なんかわかんないけど、面白そうだったから。

そんな程度の理由しか、意味がなかったりするのです。

で、なんでそんなことするんだろう、と思っていたのですが、
結局、彼らは自由を与えられているわけで、校則で縛られることもなく、
先生から強制されるようなこともなく、学生生活を過ごしていたわけです。
そうすると、強制されることによって生まれる反発も生まれず、
ただ自分に内在するエネルギーというのは発散される場所がなく、
その発散する先として、そういう意味のわからない行動があったのだ、
という結論に私なりには到達したわけです。

なんか、今の日本の状態と、似ていませんか。

意味のわからない殺人事件が起きてみたり。
与えられた自由を、持て余すがゆえに、そういう行動に出る。
結局、自らを律することの大切さ、
というものを教えられてこなかったがゆえに、
そうなってしまうのではないかと思うのです。

だからといって、私は強制するものが必要だ、
というつもりはまったくありません。
どちらかというと、みんな、もっと大人になりましょう、
という気持ちでいるような次第でございます。

おそらく、来年は、規制とか、強制とか、
そういうものが広くはびこってくる時代に
突入するのではないか、と思われます。

そうなった時、誰かのせいにするのではなく、
自ら行動を起こして、それは違う、という勇気を持っていることが、
これからの時代、大切なのではないか、と思わずにはいられません。

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