【雑感】橋下讃歌。
ゆでたまごのすけでございます。 大阪市長の橋下さん、どんどん突っ走りますね。 ひと世代もふた世代も上の世代に憧れを感じていた、 くそ生意気なガキだった頃の私だったら、 やれ人権無視だ、ルール違反だ、ファシズムだ、 などと速攻で反発を感じていたかと思いますが、 40を過ぎて、おっさんになったんでしょうかね、 反発よりも、橋下さんの手法の裏にあるものは何だ、 と臆測をいろいろと巡らしながら、 その一挙手一投足を眺めておる次第でございます。 まあぶっちゃけ、かつてファシズムが世の中を席巻した時と、 動きはまるで同じようなものだろうなと思っております。 閉塞感のある空気の中で、何か起爆剤はないか、 と思いながら、自分たちで動こうとはせず、 誰かなんかやってくれ、と大衆が思っているところに、 その大衆が期待しているものをやってくれる人が現れた、 ということでしかないような気がして仕方ないのでございます。 つまり今の空気感というのは、 公務員とか組合とか、 ある種守られている存在だったり、 守る立場の組織だったり、という存在が、 まるで既得権益を守ろうとしているように見えてしまい、 守られていない位置にいる、と思っている人たち (=働き口がない、食いぶちが確保できない、など) が反発を感じている、だから橋下さんを支持する、 という構造になっているように感じるのでございます。 それでいて、経営者とか、雇用する側からすると、 めんどくさいルールを押しつけてくる官公庁だったり、 権利ばっかり主張しやがってちっとも働きゃしない、 と感じてしまう組合だったり、といった存在を、 こてんぱんにやっつけてくれそうな橋下さんは、 支持するに値する政治家である、と思っているのでしょう。 言ってみれば、雇用側と被雇用側(場合によっては「非」雇用側も含む) の双方から、公務員や組合という存在を「敵」であるかのように見立て、 うまく支持を取りつけているのが橋下さんではないか、と思うのでございます。 そして、そんな支持をうまく取りつけられるのはなぜか、 というとそれはおそらく、メディアを橋下さん自身がよく知り、 なおかつそのメディアにいる人たちやその周辺の人たちを、 上手に取り込んで味方につけているからではないか、