小説「味噌汁の味」(29)

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 一夜が明けた。
 朝、目が覚めると、横に寝ていたはずの聡美の姿はなかった。台所から、まな板をとん、とん、と鳴らす音が聞こえてくる。東京の自宅にいる時でも、同じように聞こえてきたような気はする。だけど何となく、いつもと違う音に聞こえてくるのは、寝起きした場所が違うから、という理由だけではないように思えた。
 顔を洗いに、洗面所へ向かう。実家のつくりは、洗面所に向かおうとしたら必ず台所を通ることになる。
「あら、おはよう」みし、みし、というオレの足音に気づいたようで、聡美はオレに声をかけてくる。
「ああ、おはよう」台所を振り返ると、聡美とオフクロが仲良さそうに、朝食の準備をしている。台所の横にある勝手口では、猫も一緒に朝食を取っていた。
「あれ、まだその猫いたの」オレが実家にいた頃も、確か同じ光景を見ていた記憶があった。
「そんなわけないがね。とっくの昔に死んだわ、あの猫ちゃんは」オフクロは相変わらず、朝から声がデカイ。「そうだわね、確かにいつも、どこかの猫が必ず家に入ってきとるわね」
「野良猫かな」
「たぶんそうだで。この猫で何匹目かね。名前もつけとらんのだけど」
 オフクロはいつも、家に入ってくる猫を、「猫、猫」と呼んでいた。確かオレが見ていた猫も、そうだったと思う。家に来る猫たちは、いつになっても、たとえその猫が違う猫になったとしても、「猫、猫」と呼ばれ続けるのだろう。
「おはよう」「おはよう」浩輔と恵美子も、起きてきた。「なんかいいにおい」
「今日はね、朝のお味噌汁、赤だしよ」聡美は得意そうに、子どもたちに笑いかける。「お父さんがいつも食べたがってた、赤だしのお味噌汁。昨夜つくってみて、お父様にもお母様にもお墨付きをいただいたのよ」
「へえ、そうなんだ」浩輔が珍しそうにお椀を覗き込み、その勢いで味噌汁をすすり出した。「あ、うめえ」
「いじきたないぞ、おまえ」オレは浩輔の後ろ頭を、いつものようにひっぱたく。「顔を洗ってからにしろ」
「いてえなあ、わかったよもう」
「そうだ、庭の井戸水で、顔洗うとええわ」
「え、井戸なんて、あるんですか」恵美子は小さい子どものように、嬉しそうな表情で振り返る。
「田舎だでねえ。でも東京にはあれへんでしょ、井戸なんて」
 浩輔と恵美子は、われ先にと庭へ駆け出していった。田舎の生活も、悪くないかもしれない。そんな気持ちが、ふと、オレの頭の中に浮かんできた。(30へ続く)

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