小説「味噌汁の味」(23)

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「大丈夫ですか、お父様」聡美は慌てて立ち上がり、オヤジの方へ駆け寄ろうとする。
「大丈夫、大丈夫」オヤジは指に息をふぅ、ふぅと吹きかけたり、なめてみたり。「あんた、はよふきんを持ってきてちょ」
「はい、はい。だからタバコはやめなさい、って言っとるんだわ」ぶつぶつと言いながら、オフクロは台所へどすどす、と貫禄ある足取りでふきんを取りに行く。
「変わってませんね、お父さん」俺は少し、感慨深げに言ってみる。
「そんなことないて」オヤジは指の手当てにひと段落をして、縁側の外をぼんやりと眺める。「静かなもんだわ」
 オヤジの横顔を見ながら、俺はどきっ、とした。そんな言葉をオヤジから聞いたのは初めてだし、何かを思いつめるような表情も初めて見たからだ。
「あんた、名前は何と言ったかね」オヤジは浩輔の方を振り返り、言う。
「浩輔です」珍しく、緊張の面持ちの浩輔だ。
「もしかして『輔』の字は……」
「はい、オヤジ、いや、お父さんと同じ字です」
「そうかね、そうかね」嬉しそうに笑うオヤジの顔を見たのも、久しぶりだ。
「そいで、あんたは」
「私は、恵美子です」
「いくつになりゃあた」
「高校2年生です」
「そうかね、そうかね」オヤジはさらに嬉しそうな笑顔を見せる。「よかった、よかった」
 ちりん、と風鈴の音が聞こえてくる。縁側には、夏でも冬でも風鈴が吊るされてある家だった。
「今晩は、泊まっていきなさるのかね」オヤジはうつむいたまま、言う。
「ええ、泊めさせてもらって、明日は朝から勇作の家に行ってきます」
「勇作って、誰だね」
「私の小学校の、友だちです」
「ああ、おったなあ。あの、いつも中日ドラゴンズの帽子をかぶっとった」
「覚えてるんですか」
「そりゃあ覚えとるがね。日曜日に来ては、おまえも入れてマージャンしとったがね」
「えっ、そうでしたっけ」
「やだ、お父さん、そんな小さな頃からマージャンなんてやってたの」
「あ、ああ」俺は恵美子の突っ込みに、思わず恥ずかしくなってしまう。
「何も恥ずかしがることはないがね。わしは尋常の頃から、おまえのじいちゃんに花札を教わっとったからな」恵美子が会話に入ってきてくれたのが、よほど嬉しかったのだろう。オヤジの口は、ようやく滑らかになってきた。(24に続く)

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