小説「味噌汁の味」(25)

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「何がです」オヤジの気持ちはわかる気がしたが、あえてオレは聞いてみた。
「これ以上言わすな、たわけ」この辺は、やっぱりオヤジらしいリアクションだ。
「何言っとるの、あんた。自分で謝っといて、たわけもないもんだわ」絶妙なオフクロの突っ込みである。
「……こっちで仕事する気はないんか」いつになく、しおらしいオヤジである。
「そうですねえ。まだ東京でやり残したこともありますし」
「そうか」オヤジはゆっくりと、おちょこに酒を注いでいる。「そりゃいかんな」
「そうだ」聡美が思いついたように、声を上げる。「お母様にお聞きしたいことがあったんですわ」
「何だね、何でも言ってちょうだい」
「あの、お味噌汁のつくり方、教えていただいてもいいですか」
「おみおつけかね。ええよ」オフクロは嬉しそうに答える。「赤だしので、ええんかね」
「ええ、それがいいんです。あ、それとお味噌のソース。あれも教えていただけます?」
「みそかつとかにかけるやつかね。ええよ、ええよ」
 聡美とおふくろは、そそくさと台所へ向かっていった。
 残されたのは、オレとオヤジである。会話が途切れる。聡美が気を使って、二人きりにしてくれたのは、何となくわかる。だけど長い空白の時間はどうにも埋め難く、二人きりになるとどこかぎこちない空気が流れ始めてしまう。
「もう、長くはないわ」オヤジが自分の人生のことを言っているのは、オレにもわかる。
「弱気なこと、言わないで下さいよ。お父さんらしくもない」
「わしももう七十を過ぎた。自分のことは、自分が一番ようわかる」オヤジはどこか、遠くを見つめているようである。
「お願いしますよ、もう少し長生きしてて下さい。また僕ら、家族で来ますから」
「そうだな」オヤジはまた、おちょこの酒をくいっ、とひと息に飲み干して、言う。「聡美さん、大切にしてやらないかんぞ」
 一瞬、オレは言葉を失った。オヤジが聡美のことを自分から口にしたことと、そしてオレよりもオヤジ歴が長い、オヤジからの一言の重みに、驚きを隠せなかったからである。(26に続く)

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