小説「味噌汁の味」(27)

26へ続く)

「その、好きだった人って、今はどうされているんですか」正直、オレは好奇心いっぱいでオヤジに聞いてみた。
「もう、亡くなったわ」オヤジはひとつ、ため息をついて縁側の方に目を移す。「わしが結婚を決めた翌年に、肺を患ってな」
「え、そんな早くに亡くなられたんですか」
「ああ。もう昔のことだから、よう覚えとらんわ」笑いながら言うオヤジの目が、少し寂しげに見えたのは気のせいではあるまい。
「その方のことは、オフクロは知ってるんですか」
「知っとるよ、そりゃあ。夫婦の間には、隠し事なんてしない主義だでね」今度はいたずらっぽく笑いながら、オヤジはオレの方に向き直る。「あんたはどうだね。大丈夫かね」
「だ、大丈夫ですよ」急に振られたオレは、どぎまぎしながら答えてしまう。別に何も後ろめたいことはないのに。「隠し事なんて、ないですよ」
「ほんならええわ」オヤジはオレに徳利を差し出しながら言う。「どうだ、飲むか」
「はい、ありがとうございます」オレは少し緊張しながら、オヤジの酌を受けてみる。「今になってみれば結婚してよかった、っておっしゃいましたよね」
「ああ、言ったな」
「今になる前は、そうでもなかったんですか」
「おまえも変わっとらんな」今度は苦笑いを見せるオヤジ。「会社で嫌われ者になっとらんか、ん?」
「なってないですよ」確かにオレの物言いは、どこか人の揚げ足を取るようなところがある。それは子どもの頃から変わっていない。
「たくさんの子どもたちに恵まれて、しかも今じゃ孫までいて、幸せな結婚だったと言えなかったらバチが当たるて」
 オヤジもやっぱり、年を取ったのだろうか。子どもがいて幸せだった、なんて今まで聞いたことは一度もない。教員としてひたすらに働いて、戦争を経て価値観が大きく変わった時代を過ごして、校長まで登りつめたオヤジである。教え子のことになると必死だが、自分の子どものことなんて気にもかけていないように感じた記憶がある。
「お待たせしましたー」聡美が大事そうにお盆を抱えて入ってきた。「お味噌汁、できましたよ」(28へ続く)

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