【私の音楽ライブラリー/第九回】DEEP PURPLE/Who Do We Think We Are?


ゆでたまごのすけでございます。
すっかり更新がご無沙汰になって
しまいましたが、
そろそろDEEP PURPLEネタが
尽きつつあるなあ、などと
思いつつ、引き続き紹介して
しまうわけなんでございます。

邦題「紫の肖像」でございます。
よくご存知の方は、この辺りが出てくると「ああ、確かにネタ切れかもねー」などと
思われるのではないか、とびくびくしつつ、でも紹介してしまうのでございます。

1. Woman from Tokyo
2. Mary Long
3. Super Trouper
4. Smooth Dancer
5. Rat Bat Blue
6. Place in Line
7. Our Lady

前段から紹介している、「黄金期」と言われる第二期のラストアルバムでございます。
有名なのは、一曲目でございましょう。
70年代初頭に、海外の曲で「トッケェイオーーー」などと
日本の都市を歌われることは、それだけでちょっとオドロキだったのではないか、と。
リアルタイムに生きていない私としては、あくまで想像の域の話でございますが。

いずれにしても、ギターのRitchieとボーカルのGillanの不仲が表れているアルバム、
と言っていいんだと思われます。他の方のレビューにも書いてありますし、
昔読んだシンコーミュージック刊のDEEP PURPLEを紹介した本でも
そんな紹介のされ方をしていたのではないか、という記憶がございます。

ただ、そういう先入観を持たずに聞いてみると、
たとえば2曲目や4曲目あたりのグルーブ感は、あら、結構いいじゃん、と
思えたりするのでございますが、
とはいえ、やはり第二期の初期の頃と比べると明らかにテンションは低い、
という気がしてしまうのでございます。

レコード会社との契約の関係で、アルバムをつくらないといけない、
という使命感のもとに制作されたもの、という話も聞いたことがあります。
プロというのは、そういう意味でも大変なのだなあ、と思ってしまいます。
つくりたくなくたって、つくらないといけない。
そんなモチベーションの中で、いいものをつくろうとすること自体が、
やはりなかなか難しいことなのだろうと思ってしまいます。

私にとっては、何と言うか、ある種の反面教師的存在な作品と言える気がします。
サザンオールスターズもそうでございますが、
長いこと同じ看板で作品をつくっていく、というのはラクな気もしますが、
しかし聴衆が期待しているものに応えていかないといけない、
という使命感を持ちながら、それでいて自分たちがやりたいことをやる、
などというのは至難の技なんだ、ということをこの一枚から教えられるわけですが、
それはつまり、やりたいことがやりたーい、などと言いながら、
やりたくないことはやらないでいる自分なんて彼らの足下にも及ばない、
と自分を戒めるわけでございます。

そんな意味で、心から「ありがとう」と伝えたい一枚でございます。

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