小説「味噌汁の味」(26)

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「……そうですね」オレはそんな簡単な一言を返すので、精一杯だった。
「おまえ、覚えとるか。わしと喧嘩した時のこと」オヤジは静かな笑顔でオレを振り向いた。「おまえがここを出て行く前のことだ」
 覚えている。あれは二十歳の時だ。忘れようにも忘れられない。オレはオヤジに、手を上げた。オレと聡美の関係を、仲間にも祝福されず、オヤジにも反対されて、半狂乱になってオヤジを殴ったのだ。
「あの時、わしがどう思ったか、わかるか」
「いえ、どう思われたんです」
「好きにせえ、とな」オヤジはまた、おちょこに手酌で酒を注いで、くいっ、とひと息に飲み干した。「殴り返す気にもならんかったな。わしとおまえは違うんだ、って思ったから」
「それは、あきらめたってことですか」
「たわけ、そんなわけないだろうが」
「もうどうでもいいから、勝手にしろと」
「だったら殴り返しとるわ」
「僕はお父さんがわかってくれなかったから、頭に来ただけですよ」
「わかっとったよ」そう言いながら、オヤジはまた手酌で酒を注いでいた。「わしの時も、そうだったから」
「お父さんの時って」
「わしが結婚する時もだよ」
 そういえば、今になるまでオヤジとオフクロがどうして結婚したか、なんて聞いたこともなかった。
「わしの時代は、恋愛なんて自由にできたもんじゃなかったからな」
「オフクロとは、どうやって出会ったんですか」
「見合いだよ、見合い。親に決められた相手と見合いして、そのまま何の疑問もなく、な」今度はゆっくりと、オヤジはおちょこを口に運んで、すするように飲んだ。
「じゃあオフクロのほかに、好きな人がいたんですか」
「まあ、な」子どものように笑うオヤジを見るのも、これが初めてだった。「でも、これでよかったんだよ」
「よかったんですか」
「ああ、よかったんだよ。今から思えば、な」(27へ続く)

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