私を北陸で引っ張り回したデキる営業マン・W君



ゆでたまごのすけでございます。
能登半島地震から、もう一週間。
金沢・富山あたりにわりと
知り合いがいたりするもので、
とても心配して携帯電話を
かけてみたものの、
なかなかつながらない、という
状態だったのが記憶の新しゅう
ございます。

一昨年あたりまで、やたらと北陸方面に出張しておりました。
そちらの方面の仕事を、やたらにやらせていただいたから、
でございます。
北陸方面から、私に仕事を振ってくれていた、
これまたよくデキる営業マンがおりました。
名前を、W君とおっしゃいます。

彼と出会ったのは、先日のブログで紹介しました、
オランダが大好きなS氏を通じて知り合ったのがきっかけでした。
そもそもS氏は、大宮へ赴任する直前に北陸の方で勤務をされており、
その当時にかわいがっていた営業マンだったのでございます。

W君と仕事をしていた頃には、
だいたい月の半ばぐらいに電話がかかってくるのが常でございました。

「ゆでたまごのすけ先生、来週は空いてますぅ?」

「先生」とつけ、甘えた口調でお願いの電話をしてくるのでございます。
W君も要領を得たもので、私がそんなに何度も北陸まで足を運べない、
ということもわかっておられるので、だいたい一日に三件とか、
四件とか取材予定をまとめて入れてくれるのでございます。

取材先と取材先の間の移動は、だいたいW君の営業車での移動になります。
雪の多い北陸に住まわれている方ですから、雪道の運転はお手のもの。
どんなに吹雪いていようが、何しようが、車での移動なのでございます。
一度などは、富山から岐阜の高山まで車で移動する、
という暴挙のような移動にチャレンジし、移動の道中には普通に
白川郷の茅葺きの住宅なぞを、観光でもないのに眺めながらの
旅になった、ということもございました。

ある日の取材のことでございます。
その日は朝から取材ということで、
私は前乗りで金沢に泊まっておりました。
あ、前乗りというのは、前の日から現地に入っている、
ということでございます。
取材先は、加賀温泉駅の近く。金沢からは特急で15分ぐらい、
でしたでしょうか。
やはりその日も、W君の営業車での移動という
予定になっておりました。
しかし、朝起きてみると、一面の雪景色。
それも、まだ降り続いている状態でございました。
これぐらいの雪は、金沢だったらそんなに珍しいことじゃない、
ということでW君の車で移動をスタートしたのでございます。

ところが、ところが。
移動の途中で雪はやむどころかますます激しい降りになり。
もう吹雪いているといってもいいぐらいの勢いで降っており。
北陸自動車道という高速道路を使っての移動だったのですが、
もはや路面はアイスバーン状態になっておるほどでございました。

そんな中、それでもW君は飛ばしまくるのでございます。
アイスバーン状態なのにも関わらず、時速80kmでの走行でございます。
しかも営業車のワイパーは、もう雪がたまってしまって使い物にならず、
しまいにはある一部分だけしかワイパーが効いていない状態になり、
W君は運転席から助手席の私の方へ身を乗り出しながら、
前方確認をして運転をされておったのでございます。

私はというと、もう助手席で固まっておるしかございませんでした。
もう、彼に託すしか方法はありませんでしたので。
でも、確かにW君の運転のウデは間違いのないものでございました。
飛ばしてはいるけど、決して無理はしていない、という運転でございます。
何とか取材先にたどり着いたことは着いたのでございますが、
今度は取材対象と予定されていた方が雪で立ち往生をしている、という。
その日、私はその後の予定もあったため、
できる限りの時間までは待ったのですが、
結局もう無理だ、ということになって、後日電話取材させていただきます、
という話にまとめてその取材先を後にしたのでございます。

ところがその日は、小松空港が閉鎖になってしまうぐらいの雪だったようで。
結局、私は加賀温泉駅から陸路で首都圏の方へ向かうしか術がなくなって
しまいまして、思い切り次の予定には遅刻した、なんてオチがつきました。

そんな無茶なことをいろいろお願いされながら、
それでも私でないと、ということで頼ってこられるW君のことがかわいくて、
私は月に三、四回は羽田〜小松もしくは羽田〜富山の空港を往復して
おったのでございます。マイルもバリバリに貯まっておりました。

そんなW君も、今は求人広告大手某社を退職され、
在職時に懇意にさせてもらっていた社長さんのところへ転職されました。
食品商社で営業のマネジメントを任されているようでして、
まったくの畑違いでやっていけるのか、と思ったりもするのですが、
でも彼のバイタリティと営業力があればきっとどこでも大丈夫だろう、
という思いもあり、安心しております。

彼の実家は七尾の方だったと思います。
能登半島地震では被害が大きかった地域と聞いておりますが、
地震発生当日に彼と電話がつながり、彼の無事を聞かせてもらえたので、
ほっ、と胸をなでおろしておるところでございます。

また、何かの機会があったら、彼とは一緒に仕事がしたいなあ。
普通に、そう思ってしまう次第です。
そんな私をたよりにしてくれていたW君に、伝えたい。
心から「ありがとう」、そしてこれからもよろしく、と。

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