私の「神」であり、永遠の憧れであるレッド・ツェッペリン



ゆでたまごのすけでございます。
ライブに行くと、泣くことが多い私は、
昔から涙腺が弱いようでございます。

最近では3年ほど前になりますか、サザンのライブが横浜国際競技場で夏に行われたのは。
懐かしい80年代頃のアルバムに入っていたような曲をサザンのみなさんが演奏して下さったところ、
私が小学生時代を過ごした名古屋に住んでいた家の中の情景や、
今は亡き父親を筆頭に家族のことが思い出され、何だかうるうるしちゃったのでございます。

うるうるどころですまなかったライブが、実はありました。
ジミー・ペイジ&ロバート・プラントのユニットが来日公演をした時のことでございます。

私は現在、36歳でございます(地球上で多賀大祐の姿をしている時のことでございますが)。
世代的には、レッド・ツェッペリンはリアルタイムでは決してないのでございますが、
姉が11歳離れていたこともあり、自然とツェッペリンのアルバムはひと通り聞いておりました。
そして、そんな影響もあってか、高校時代にバンドを組んだ時には、
なぜかツェッペリンやディープ・パープル、ローリング・ストーンズなどをコピーしておりました。
歌詞を、自力で訳したりしたこともございました。
「笛吹きって、何だ?」などと、天国への階段を訳しながら思ったものでございます。
当時、好きだった女の子をライブに呼んで、自分のバンドを見せた時、
得意げに演奏したのもツェッペリンやパープルでございました。

ツェッペリンの曲には、孤高の響きを感じたものでございます。
パープルは、ノーテンキ極まりない歌詞と曲調が、演奏するものを楽しくさせてくれました。
ツェッペリンには、何か彼らが伝えたかったメッセージを感じながら
演奏させてもらったように思います。
正直、私の中では「神」のような存在でございました。

ドラムのジョン・ボーナムが亡くなられたのが、私が小学生の頃だったと思います。
姉が当時購入していた「音楽専科」なる雑誌を見て、彼の死を知った記憶がございます。
その当時は、よくわからなかったのですが、今となっては、
彼がいなくてはツェッペリンは成り立たないのだ、ということがよくわかります。
だから、ツェッペリンは、生で見ることはできないのだ。そう思っていたのでした。

ところが、ジミー・ペイジとロバート・プラントがユニットを組むという。
しかも、来日公演をやるという。もう、速攻で予約をしました。
生で、二人が、同じステージに立つところが見られる。
中学時代、ライブエイドで彼らがジョン・ボーナムの息子のジェイソン・ボーナムと、
フィル・コリンズをドラムに従えて再結成した生放送の映像を見て、
夜の11時頃に狂喜乱舞をした時の記憶がよみがえってきました。
あの二人が、ライブで見られる。もう、それだけで涙ものでした。

日本武道館でした。
場内の照明が、ぱっと暗くなる。
いよいよ、始まる。

一曲目。レイン・ソング。

じゃらじゃらじょーーーん。

わかる方にはわかるでしょう。この曲の前奏です。
ジミーが、ギターを、奏でている。

どわーーーーーーーーー。

号泣とは、このことです。
止めどなく流れる涙。この感動、何と表現したらいいか、未だにわかりません。
それだけ、彼らのことが、好きだったのです。私は。

未だに調子に乗ると、カラオケでツェッペリンの曲を歌ったりして、
20代の若い人たちにぽかーんとされても、突っ走る私。バカです。はい。

そんな感動を与えてくれ、未だに私の「神」として君臨される、レッド・ツェッペリンの四人に伝えたい。
心から、「ありがとう」と。

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