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小説「味噌汁の味」(20)

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( 19 へ戻る)  相変わらず、デカイ家だ。  俺の実家である。東京に住んでいると、田舎の家は本当にデカイ、とつくづく思う。無理もない。俺は六人兄弟の長男として生まれたのだから。  オヤジは教員だった。戦争にも召集されたらしいが、戦地に赴くまでもなく敗戦を迎えたという。戦争が終わってからは教員に復職し、地元の高校の校長まで務めた人物である。この家を建てたのは、確か俺が高校生ぐらいの頃だった、と思う。  記憶は、本当に曖昧だ。それに意外と両親のことを知らないんだ、と改めて感じる。特にオヤジのことは、よくわからない。  玄関には、チャイムすらない。田舎の家は、そういうもんである。 「えっ、鍵かけてないの」俺が引き戸を開けると、浩輔が驚いて言う。 「田舎ってのは、そういうもんだ」俺はちょっと得意げに言ってみる。「隣近所は顔見知りだし、違う土地の人間なんて滅多に来ないからな」 「はーい」奥の方から、声がする。俺のオフクロだ。  オフクロが姿を現す。三十年近く会っていないと、さすがにその年老いた姿が目に痛い。 「……裕輔かね」オフクロは、わなわなと震えながら俺に声をかける。「……やっとかめだなも」 「……ただいま」俺も、これ以上の言葉がない。「紹介するよ。妻の聡美、息子の浩輔、それに娘の恵美子だ」 「そうかね、そうかね」オフクロは土間に下りて、俺と家族の顔を見比べる。「こんな遠くまで、よういりゃあした」 「お世話になります」聡美は深々と頭を下げる。「ほら、あんたたちも」 「お世話になります」 「まあまあ、よくできた子たちだわ。さ、さ、上がって上がって」 「オヤジは、いるの」 「ちょっと近くまで散歩に行くって、出かけなさったわ。パチンコでないの」オフクロはいたずらっぽく笑いながら言う。「照れてりゃあすんだわ、あの人も」  オフクロは俺たちを、客間に通してくれた。懐かしい匂いのする部屋だった。兄弟でケンカをし、物を壊して怒られていたのが、この部屋だったことを思い出した。 「これ、見たってちょうだいよ」オフクロが、部屋の柱を指して言う。「この傷、裕輔の成長記録だわ。こんなに小さかったんだわね」 「へえ、オヤジもこんな小さかったんだ」浩輔と恵美子は、柱を食い入るように見て、俺の姿と見比べている。 「当たり前じゃないか」俺はやけに恥ずかしくなって、正座してしまう。「父さんにだって、子

【私の音楽ライブラリー/第六回】DEEP PURPLE/Fireball

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ゆでたまごのすけでございます。 今回紹介するのは「火の玉」 でございます。 直訳ロックの重鎮・王様も、 さすがにこの曲は コピーをされておられない ようでして。。 1. Fireball 2. No No No 3. Strange Kind of Woman 4. Anyone's Daughter 5. Mule 6. Fools 7. No One Came 黄金期と呼ばれる第二期の、 「In Rock」に続く2枚目のアルバムでございます。 このアルバムの中で、王様が直訳ロックでコピーされているのは、 3曲目だけでございます。直訳の題名は「変わった感じの女」。 王様の直訳による歌詞を聞くと、ああなんてセクシーな曲だろう、 と感動してしまうのでございます。 しかし、やはりこのアルバムの目玉は1曲目だと思うのでございます。 王様は、この1曲目はコピーされておられない。 なぜか。 私は、何となく理由がわかるのでございます。 かつて、何かの番組でDEEP PURPLEのライブ映像が 流されていた時のことでございました。 アンコールで、どうやら「Fireball」を演奏する様子なのでございます。 何だか、ローディたちが、慌ただしくステージ上を動いておりまして。 今の時代なら、楽器やセットの転換は暗転してやるものだと思いますが、 この映像では、普通にIan GillanがMCをしゃべりながら、 Ian Paiceがドラムセットの後ろに鎮座増しながら、 普通にドラムセットをいじくりまわされておったのでございます。 そして、気がつくとドラムセットは、2バスになっておりました。 2バスというのは、足で踏むバスドラムが2つあるドラムセット、 ということでございます。 つまり、両足でバスドラムをどこどこどこどこ、と踏む、と。 なるほど、「Fireball」を演奏する時は、2バスにするのか、と。 王様は、コピーをする際に2バスのドラムで再現するのが 難しいと思って、コピーをやめたのではないか、と。 勝手に私は類推しておるのでございます。 そうそう、高校時代のバンド仲間の間では、 RainbowのドラムだったCozy Powellや、 Van HalenのAlex Van Halenの真似をしようという時、 「2バスどこどこでいこうぜ」 なんて表現をしていた記憶がございます。

私に「気づき」を与えてくれた・魔法使いサリーちゃん

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ゆでたまごのすけでございます。 人間、カッコつけるのをやめると、 とたんに見えてくるものが ございます。 私にとって、そんなきっかけを 与えてくれたのが、 魔法使いサリーちゃんで ございました。 今から15年ほども前でございましょうか。 確か1992年の秋に行った、個性派組という当時やっていた劇団での舞台でのことでした。 タイトルを「MONEY」という作品でございました。 バブル末期の、まだその余韻が残って浮かれ続けている時代でございました。 ジュリアナ東京、なんて懐かしいですが、 そんなディスコ(当時はまだクラブではなかったかと)に日夜現れる、 ボディコン(!)・ワンレンのおねーちゃんを主人公にした作品でございまして。 金の力で男をはべらす、実は田舎者、という設定だったのでございます。 そんな彼女に、天の声が響いてくるわけでございます。 そんなことやっとると、バチがあたるぞー。 その声に、当てられるものなら当ててみなさいよー!なんておねーちゃんは 毒づくのでございます。 そうすると、おねーちゃんは魔法をかけられて小さくなってゴキブリの世界に 行ってしまうという、なんともシュールな展開なのでございます。 その、場面転換のためだけに登場するのが、私扮する魔法使いサリーちゃん だったわけでございます。 なんでサリーちゃん?とは聞かないで下さいませ。 ただ、場面転換のために出てくるなら意味不明でいいじゃん、 ぐらいの感覚だったかと思われます。 その展開の設定は、私が考えたのではなく、劇団主宰だったA氏でございました。 以前、このブログでもご紹介した、中学からの同級生でございます。 この脚本を私が書き、A氏が演出を手がけている中で、 突然、彼が思いついたように言ってきたのでございます。 ゆでたまごのすけ、サリーちゃんになってよ。 私は正直、なんで?と思いました。 その場面転換のために、俺がサリーちゃんとして登場する理由って何?と。 いいからさ、やってよ。絶対おもしろいから。 そうか、絶対おもしろいのか。じゃあやってみるか。 私も単純なヤツでございます。 そこから、私は役づくりを始めたんでございます。 当時、コンビニにブリーチ剤などを置いているような 時代ではございませんでした。 なので、私は美容室に行き、 パツキンにして下さい。それと、おばさんパーマをかけて下さい。 ってな

【私の音楽ライブラリー/第五回】DEEP PURPLE/Stormbringer(嵐の使者)

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ゆでたまごのすけでございます。 70年代から80年代にかけての 洋楽につけられた邦題が、 本来の意味とはずいぶんと かけ離れてるのが多い、 なんて話を以前に書きましたが、 今回紹介するアルバムは、 そのまんま!という感じの 邦題になっているのでございます。 「Stormbringer」。嵐の使者でございます。 1. Stormbringer 2. Love Don't Mean a Thing 3. Holy Man 4. Hold On 5. Lady Double Dealer 6. You Can't Do It Right 7. Highball Shooter 8. Gypsy 9. Soldier of Fortune 確かシンコーミュージック社刊の本だったと思いますが、 DEEP PURPLEを紹介した本の中で書いてあったエピソードで、 このアルバムでボーカルのDavid Coverdaleと ベースのGlenn HughesがBlackやFunkなテイストを強く打ち出して いったことで、ギターのRitchie Blackmoreが嫌気を指していった、 なんて話があったかと思います。 そんな雰囲気が垣間見えるのは、2曲目だったり4曲目だったり、 確かにそれまでのDEEP PURPLEの陽気な何も考えてないロック、 という感じが薄れてきているなあ、という感じのアルバムでございます。 とはいえ。一枚の作品として何の先入観もなく聞いてみると、 全体的にまとまっているアルバムだなあ、という印象はあるのではと。 そして、個人的に申し上げるのならば。 高校を卒業した後に、母校の文化祭ライブでむっちゃ演奏のうまい 先生(ドラムとギターとキーボード)たちと一緒に組んだバンドで、 1曲目と5曲目をコピーしたことがありまして。 これはギター、ドラム、キーボードの奏者がある程度高いレベルの 技術を持っていないときっちりとコピーできない曲なんですね。 このむちゃくちゃうまい演奏をバックに、 私はボーカルとしてDavid Coverdaleになりきったわけでございます。 ぶっちゃけ、演奏したのが90年頃の話でしたから、 この2つの曲を知っている世代が観客としていた高校生たちに いるとは思えないわけでございます。 文化祭ですから、知り合いが出ているバンドでもない限

小説「味噌汁の味」(19)

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( 18 に戻る) 「そういえばさ、俺、じいちゃんとばあちゃんに会うの、初めてだよ」浩輔が言う。「だいたい今までさ、じいちゃんとばあちゃんの話するのって、なんかタブーみたいになってたじゃん」  確かに、浩輔の言う通りだった。俺たちのことは、未だに俺の両親は認めていない。子どもたちにはずっと、俺の両親はもうすでにこの世にいない、と言い続けていた。祖父母がまだ存命だということを彼らに打ち明けたのは、浩輔が高校生、恵美子が中学生になってからの話だった。 「まあ、な」あまりにはっきりと浩輔に言われて、俺はなんだかばつが悪い。 「失礼な言い方、しないでちょうだいよ」聡美は浩輔を諭すように言う。 「そうよ、お兄ちゃんはいつも一言多いんだから」 「うるせえなあ、わかってるよ」  俺のオヤジとオフクロが住むのは、名古屋駅から名鉄線に乗り換えて、特急で15分ほどのところである。新幹線での乗車時間を合わせても、2時間に満たない。それなのに、ここまでの道のりは遠かった。  今でも、遠く感じていることには違いない。出かける前に、電話を一本入れておいた。オヤジは俺の言葉に、一言も返してはこなかった。それが何を意味しているかは、わからない。だから、行ってみるだけだ。 「なあ、オヤジ」名鉄線の特急電車の中、浩輔は俺に声をかける。「ほんとは怖いんじゃないの」 「何が」 「じいちゃんとばあちゃんに、会うの」 「……ああ、怖いよ」俺は正直に答える。「でも、大丈夫だ」 「ほんとに?」 「ああ。一人じゃないからな」  この年になって、自分の親に会うのを恐れているなんて、かっこ悪いと思う。親はいつになっても親だ。だけど、いくら両親が反対していたと言っても、聡美がいて、浩輔がいて、恵美子がいることは、もう誰も否定できない事実だ。家族がいることが、こんなに頼もしいと思ったのは、初めてかもしれない。  電車が、目的の駅に到着する。数十年ぶりに訪ねた駅の周辺は、当時の面影はほとんどない。俺は、大きく深呼吸をする。タクシーに乗って5分もすれば、俺の実家だ。( 20 へ続く) 人気blogランキングへ  ← ワンクリックお願いします。  ← こちらもぜひ。

小説「味噌汁の味」(18)

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( 17 へ続く) 「ほら、もうすぐ着くわよ。早く準備しちゃいなさい」聡美は今までの話をなかったものにするかのように、母親ぶりを発揮する。 「えー、そんなー。いいとこだったのにぃ」恵美子は本当に残念そうだ。  いつものように一人で出張している場合は、車内アナウンスが聞こえてからでもしばらくタバコをふかしていたりする。アナウンスから10分近くは、到着までに猶予があることがわかっているからだ。しかし家族連れというのは、何だかんだと準備に時間がかかる。なるほど、だから到着のかなり前にアナウンスを入れるんだな、と改めて実感する。  名古屋駅に降り立つ。本当に久しぶりだ。息子と娘にとっては、初めての名古屋じゃないだろうか。 「どうだ、名古屋だぞ」俺は子どもたちに、誇らしげに言う。 「なんかちっちぇえ駅だな」浩輔はいきなり俺の気持ちを逆なでする。 「何言ってるんだ。これでもずいぶんきれいに、大きくなったんだぞ」 「そうですよね。昔はこんなにきれいじゃなかったですもんね」聡美は懐かしそうに辺りを眺め回している。 「おまえたち、名古屋は初めてだろ」 「そうだね」恵美子も珍しそうにきょろきょろしながら答える。「初めてじゃないかな」 「何言ってるの。あんたたちが小さい頃、そうだ、浩輔がまだ幼稚園ぐらいの頃だったかな。一回来てるわよ」大きなため息をついて、聡美は続ける。「まあ物心ついてない頃だから、覚えてないだろうけどね」 「あれ、そうだったったか。一回連れてきてたかな」 「そうですよ。あなたまで忘れたんですか」  そうだった。俺の両親に家族を会わせようと思って、家族みんなで来たことがあったのだ。その時オヤジは、聡美に会いたくないと頑なに会うのを拒否したんだった。嫁入り道具の一つも持たせてこない家の娘に、会うつもりなどない、と言っていたっけ。 「お父様、お元気ですかね」 「ああ、元気だと思うよ。今度は会ってくれるんじゃないか」 「そうですね。もう二十年以上も経ってますからね」聡美の顔は、少し寂しそうだった。( 19 に続く) 人気blogランキングへ  ← ワンクリックお願いします。  ← こちらもぜひ。

【私の音楽ライブラリー/第四回】DEEP PURPLE/BURN(紫の炎)

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ゆでたまごのすけでございます。 ここまでDEEP PURPLEを続けたら、 しばらくはDEEP PURPLEでいこう、 なんて思っちゃった次第でございます。 そんなわけで、第三期の代表作「BURN」でございます。 王様の直訳だと「燃えろ」なわけですが、 邦題は「紫の炎」となっているわけでございます。 当時、70年代の洋楽の邦題って、どれもなんか変、 という感じがするのでございますが、 こちらも直訳ではないとはいえ、 アルバムのジャケットを見ると「まあ、そうか」と、 変に納得してしまうわけでございます。 第三期DEEP PURPLEというのは、 第二期からまたボーカルとベースが入れ替わり、 David Coverdale(Vo.) Ritchie Blackmore(G.) Glenn Hughes(B.&Vo.) Jon Lord(Key.) Ian Paice(Dr.) というメンバー構成になったわけでございます。 David Coverdaleは、ご存知の方も多いでしょうが、 その後Whitesnakeというバンドでブレイクしたボーカリスト。 そしてGlenn Hughesはベースとボーカルを両方こなせるということで、 DEEP PURPLEとしては初めてツインボーカル、なんてものを実現した、 というのが特筆すべきところかなあ、と思います。 1.Burn 2.Might Just Take Your Life 3.Lay Down,Stay Down 4.Sale Away 5.You Fool No One 6.What's Goin' On Here 7.Mistreated 8.'A'200 まあもちろん有名なのは1曲目でしょう。 ギターリフというか、メインフレーズはよくテレビ番組のSEとかでも 使われていますし、途中のギターソロ、キーボードソロは、 RitchieとJonの持ち味を存分に出したものと言えるでしょう。 私の個人的な思い出としては、 Burnを試しにコピーして、遊びで「俺がドラムやるー」とか言って、 やってみたら一曲で死にそうになった、ということでしょうか。 あんなにドラムソロのようなフレーズが続く曲は、 ドラム泣かせと言って過言ではないでしょう。 そして何と言っても、7曲目。 その後、CoverdaleのWh

携帯からテスト!

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昨年夏の旅行で行った福島県いわき市の旅館近くで見えた花火です。 めっちゃ近かったんですよー。

小説「味噌汁の味」(17)

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( 16 へ戻る) 「いろんなことがあったよ」俺は窓の外を眺めながら、ため息まじりに言った。「そういえば、案外歓迎されなかったよな、俺たち」  富士山は、いつの間にかもう見えなくなっていた。あたりはこれぞ田園風景、といった具合に田んぼや畑が広がっている。地方に行くとつくづく思うのだが、都心とは時間の流れ方が違っている。明らかに地方の方が、スピードがゆるやかだ。だけどそこに住む人たちにとっては、そのスピードがごく自然なものになっている。この田園風景に住まう人たちも、きっと俺とは違う時間の流れ方がしているのだろう。そう思うと、本当に不思議だ。などと回想している間、聡美も浩輔も恵美子も、じっと俺の方を見つめていたことに気がついた。 「な、なんだよ」 「……別に」浩輔は相変わらず、素っ気ないそぶりをする。 「なあんかね」恵美子は意味ありげな、含み笑いをしてみせる。 「そうでしたよね。何だか歓迎されなかったですもんね」聡美は当時を思い出しているのか、少し遠くを見るような目で語る。 「そうだ、おまえたち、勇作おじさんのこと、覚えてるか」 「覚えてるよ。よくお年玉くれたから」 「まったく浩輔ってヤツは」俺は呆れたように、ため息をつく。 「私、覚えてるよ。よく旅行とか、一緒に行ってくれてたよね」 「そうそう。まだあいつに子どもができないうちは、な」 「そういえば、そうでしたね。いつ頃からでしたっけ、勇作さんが一緒に旅行行かなくなったのって」 「もう十五年ぐらい前じゃないか。子どもできるの、遅かったからなあ」 「おじさん、もう一回会いたかったな」 「あいつがいなかったら、俺と聡美は結婚できなかったかもしれないんだぞ」  浩輔と恵美子は、俺の言葉に反応して顔を上げた。 「そうですよね。お友達の間でも、結婚に賛成してたのは勇作さんだけでしたもんね」 「えー、どうして?」不可解だ、と言わんばかりに恵美子は俺と聡美に詰め寄るように言った。  チャイムがなり、車内アナウンスが流れた。もうすぐ名古屋駅に着くようだ。( 18 へ続く) 人気blogランキングへ  ← ワンクリックお願いします。  ← こちらもぜひ。

【私の音楽ライブラリー/第三回】DEEP PURPLE/IN ROCK

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ゆでたまごのすけでございます。 私の音楽ライブラリー、 第三回目の今回は、 またまたDEEP PURPLEでございます。 DEEP PURPLEは、76年に一時解散するまでの間、 4回にわたるメンバーチェンジをしております。 <第一期> Rod Evans(Vo.) Ritchie Blackmore(G.) Nick Simper(B.) Jon Lord(Key.) Ian Paice(Dr.) この初期メンバーからボーカルとベースが変わり、 Ian Gillan(Vo.)とRoger Glover(B.)が加入。 その最初のアルバムと言われるのが、「In Rock」でございます。 いや、厳密には、ちょっと違うのでございます。 実は「In Rock」の前に、第二期のメンバーになってすぐ、 リリースされたアルバムがあったのでございます。 タイトルは「Deep Purple/The Royal Philharmonic Orchestra」。 DEEP PURPLEとクラシックのオーケストラが一緒になって 演奏したライブの模様を収録したアルバムです。 DEEP PURPLEの音楽的志向について、 イニシアチブを握っていたのは当初、 キーボードのJon Lordでした。 彼はとてもクラシック音楽に傾倒していて、 特にバッハに対する敬意の気持ちが強かったようなのです。 だから第一期のアルバム群は、何と言うか、 どこか頭で考えてつくられた、という感じの曲が多かった。 ところが、です。 オーケストラとの競演を終え、何か吹っ切れたものがあったんでしょうね。 DEEP PURPLEは、「In Rock」で考えることをやめたのです。 ノリがよくって、突っ走っちゃえばいいんだぜ、べいべー。 そんな勢いで登場したかのようなナンバーが、 一曲目の「Speed King」。王様直訳によれば「速さの王様」ですよ。 曲名がもう、振り切ってます。フルスロットルです。 歌詞の中にChack Berryの曲名を織り込んだり、 遊び心満点で、Jamってたら何だかこんなんできちゃった、的な 曲なんだろうなあ、と思ってしまいます。 それに、このジャケット。 今見ると、とてもつたない合成なのでございますが、 当時の印刷技術やフォトレタッチ技術からすれば、 結構がんばったんじゃないかしら、と思ってしまうので

小説「味噌汁の味」(16)

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( 15 へ戻る) 「実は」と俺が言い出そうとした、ほぼ同じタイミングだった。 「ほら、富士山が見えたわよ」 「わあ。ほんとだ。でっかーい」  困っていた俺をフォローしようと、恵美子と浩輔の気をそらすために聡美が言ったのだ。恥ずかしい気持ちを押さえて、子どもたちに言ってみよう。そんな決意をしたつもりだっただけに、俺はへなへな、と力が抜けていくのが自分でわかった。俺と聡美のなれそめよりも、富士山の方が珍しいらしい。そんなもんだろう。 「そういえばあの日も、富士山が見えたのよね」聡美は感慨深げに、ため息をつきながら言う。 「あの日って?」 「私と、お父さんが結婚の挨拶に、お父さんのおうちに向かった日よ」  おいおい、その話は俺がしようと思ってたんだぞ。俺はそう思いながら、萎えた気持ちを元に戻せないまま、ふて腐れたようにそっぽを向く。やっぱり素直じゃない。 「私の両親、そう、あんたたちのおじいさんとおばあさんは、私たちの結婚に大反対だったのよ」 「え、なんで」 「そうねえ、おじいさんとおばあさんは、古い人だったから」 「古い人?」 「そう。男はしっかり働いて、家族を養うもの。女はご主人と、それに家庭を支えて家にいればいい。そんな考え方だったから」 「なるほどねえ」とは、浩輔。 「そんなのないよ。ジンケンシンガイだよ」とは、恵美子。 「そうよねえ、今じゃ考えられないけど、でも当時はまだそんな考えの方が当たり前だったのよ」 「お父さんは、しっかり働いてなかったの」恵美子は俺の方をちらっ、とうかがってから聡美に聞く。 「そういうことじゃなくてね。お父さんも私も、学生だったから」 「へえ、学生結婚だ。すげー。やるじゃん、オヤジ」 「うるさいんだよ、おまえは」ませたことをぬかす息子の頭を、俺はひっぱたく。 「いてえなあ、ポンポン叩くなよぉ」 「まあまあ」聡美は、浩輔をなだめながら言う。「まあ、確かに当時としては、珍しいというか、新しかったかもしれないわねえ」  俺は、当時のことを思い出す。同棲時代、なんて言葉がちまたで流行していた頃だ。俺と聡美もご多分に漏れず、そんな生活を楽しんでいたと思う。だけど何だか、まわりの連中みたいに、金がなくて、フォークギターを弾きながら、自分たちの貧しい生活に酔っているような雰囲気はなかった。ごく普通に、二人で一緒の部屋で暮らすことが、楽しくて仕方なか

【私の音楽ライブラリー/第二回】LED ZEPPELIN/Untitled(IV)

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ゆでたまごのすけでございます。 私の音楽ライブラリー、二回目は やはりLED ZEPPELINでございます。 私は70年生まれでございますが、 さらにひと世代上の方からすれば、 「ZEPとPURPLEの両方好きって、 どうなのよ!?」と言われるのは 十分理解した上でございますが、 この二つのバンドは私にとっては どっちがどっち、というレベルでは 語れないのでございます。 中でも、やはり最初に取り上げるべきはUntitled(IV)でございましょう。 LED ZEPPELIN/Untitled(IV) 1. Black dog 2. Rock 'n' roll 3. Battle of Evermore 4. Stairway to Heaven 5. Misty mountain hop 6. Four sticks 7. Going to California 8. When the levee breaks ちなみにLED ZEPPELINは、メンバーチェンジは一切なく、 Robert Plant(Vo.) Jimmy Page(G.) John Paul Jones(B.) John Bonham(Dr.) の4人で、ドラムのボンゾ(John Bonhamの愛称)が急死するまで、 ずっとこの4人で活動をしていたバンドでございます。 いや、何しろこの4人でこれだけの音を出してたというのは、 やはりスゴかったんだなあ、なんて思ったりしてしまいます。 まあ今のように打ち込み全盛の時代では、大したことないのかもしれませんが。 これまた、最初に聞いたのは小学生の頃でした。 たぶん、小学五年生の頃だったかと思います。 DEEP PURPLEは、姉から勧められて聞いた記憶がありますが、 ZEPPELINは特に勧められたわけでもなく、 姉と一緒に住んでいた当時に、姉が普通に聞いているのを 一緒に聞いていたような感じだったと思われます。 ただ、その時の印象に残っているのは、 何だか「うゎんうゎん、うゎんうゎん言ってる曲だなあ」というもの。 今から考えると、それは「Whole Lotta Love」だったんですねえ。 その後、中学入学と同時に姉は愛知県に残り、 私は両親とともに東京に出てくる、ということになりまして。 確か高校受験を前にした中学三年の時だったと思い

小説「味噌汁の味」(15)

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( 14 へ戻る) 「どーでもいいじゃん、そんなこと」浩輔は相変わらずつれない返事をする。 「どーでもよくないわよ。だってお父さんとお母さんが結婚しなかったら、私たち生まれてないんだよ」恵美子の表情は、真剣だ。 「当たり前じゃん、そんなの」浩輔は手元のカードから目を上げずに言う。 「当たり前だから、知りたいんじゃない」恵美子は聡美の方を振り返って続ける。「お母さん、どうなの、実際のところ」 「さあねえ」聡美は含み笑いをしながら俺を振り返る。「お父さんに聞いてみたら」  何で俺に振るんだよ。俺はうらめしそうな目で、聡美を見る。 「どうなの、お父さん」恵美子の表情は、やはり屈託がない。  正直な話、当時のことを思い出すと恥ずかしくなる。大学時代、俺は学生運動にかぶれていた。同じ大学に通う後輩の聡美を見て、一目惚れしたのだ。聡美はごく普通の学生生活を送っていて、いやむしろ「お嬢さん」と呼ばれてもいいような生活を送っていた。家は都内にあって両親と住み、父親は大手企業の部長クラス、母親は学習院卒の才女。テニスサークルに所属して、とても俺なんかじゃ釣り合わない女だった。  名古屋の賃貸アパートに住む両親に無理をさせて、東京の大学に進学した俺は、明らかに聡美のような家庭環境に育った連中に卑屈な感情を向けていた。「ブルジョワなんて」と叫んでいたわけだが、惚れてしまったものは仕方ない。学生運動の仲間で、親友だと思っていた男に俺の恋を打ち明けたら、怒声とともに「裏切り者」とののしられた。そんな俺をかばってくれたのが、同じ大学に進んだ勇作だったのだ。 「お父さん、黙ってないで教えてよ」  恵美子の言葉に、我に返る。ちょっとの間、感傷にひたっていたようだ。 「そんなの聞いてどうするんだ」そう言いながら、俺は恵美子の目が見れないでいる。 「だって知りたいんだもん」恵美子はぷーっ、とほほをふくらませる。 「お母さんが、お父さんに惚れたんだ。それでいいだろ」 「よく言いますよ、ほんとに」聡美は呆れた様子で、俺を見る。  俺の方がぞっこんだった、なんて恥ずかしくて言えるか。そんな言葉が喉まで出かかった。大きなため息をついて、窓の外を見る。外には富士山が見えてきた。そう、あの日と変わらぬ姿で、富士山はそこにいた。  正直に話してみるか。俺はなぜか、肩の荷が下りたような気がしていた。( 16 へ続く)

【私の音楽ライブラリー/第一回】LIVE IN JAPAN/DEEP PURPLE

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ゆでたまごのすけでございます。 突然でございますが、 私の音楽ライブラリーを 紹介させていただくことにしました。 音楽は、生活に欠かせないもの。 特に私は、音楽を聞きながら 仕事をすることが非常に多く、 そんな私の仕事をサポートしてくれる 珠玉の楽曲たちへの感謝の気持ちを こめて、ここに記したいと思います。 一回目の今回は、DEEP PURPLEの「LIVE IN JAPAN」でございます。 言わずと知れた、ハードロックの雄の名作と言われる一枚でございます。 1.Highway Star 2.Child In Time 3.Smoke On The Water 4.The Mule 5.Strange Kind Of Woman 6.Lazy 7.Space Trackin' DEEP PURPLEは現在も活動を続けるイギリスのバンドでございますが、 60年代後半から70年代後半までの間に何度かのメンバーチェンジを しながら活動し、一度は解散。 80年代後半に「黄金期」と呼ばれた時期のメンバーが集まって再結成し、 これまた何度かのメンバーチェンジを繰り返して現在に至る、 という老舗バンドでございます。 ちなみに黄金期のメンバーは、 Ian Gillan(Vo.) Ritchie Blackmore(G.) Roger Glover(B.) Jon Lord(Key.) Ian Paice(Dr.) の5人。何も見ずに、綴りを間違えずに打てました。 私がいかにこのバンドが好きだったか、 というのがご理解いただけるでしょう。 この「LIVE IN JAPAN」は、もちろん黄金期のメンバーによる、 日本での公演の模様を収録したライブアルバムでございます。 日本武道館と大阪の厚生年金会館が会場だったようですが、 そんなことより何より、 その演奏のスゴさに圧倒されたものでございます。 初めて聞いたのは、小学四年生の時でした。 姉が当時大学生で、生協で買ってきたLP盤から流れておりました。 衝撃だったのは、一曲目の「Highway Star」でした。 何だか、聞いたこともないような、うねりにうねる演奏。 ギターっつーのは、こんな音が出るんだ、と。 こんなに早くキーボードが弾ける人がいるんかいな、と。 なんちゅーたっかい声で叫ぶ人なんだ、この歌手は、と。 何だかわからない

政治家の夢へ一歩を踏み出した友人・T氏

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ゆでたまごのすけでございます。 統一地方選、終わりましたね。 全体的な総括はまだのようですが、 いずれにしても世の中の人たちの 現状に対する不満が当選者の 支持母体として出てきたり、 あるいは投票率の低さとして 出てきたり、 というような様相であることは、 間違いないようでございます。 長崎市長銃殺事件のような、痛ましい事件が起きるなどやり切れない気持ちになるような 出来事もあった今回の統一地方選でございますが、 私としては嬉しいニュースが飛び込んでまいりました。 前回の区議会選挙では惜しくも涙を飲んだ友人・T氏が、トップ当選を果たしたのです。 大学時代の某大手新聞社でのアルバイトで知り合って以来のつきあいですが、 その当時から、政治には興味があるからとこのアルバイトを選んだという話も 聞いていたりしたので、この当選のニュースには何とも感慨深いものがございました。 身近な人で、議員になる人が出てくるなんて思いもしていなかったので、 何となく、ミーハーな気持ちで喜んでいる次第でございます。 彼は大学時代から、学校の枠を超えたサークルのリーダー的存在を担っていたり、 そのサークルで同人誌のような冊子をつくってみんなに配布してみたり、 そんな活動をその頃からやっていたのを、改めて鮮明に思い出します。 何と言うか、政治に関わろうとする人たちって、 どこか自分の利益だとか、得になることだとか、そういうことを念頭に置きながら、 計算高い気持ちでなる人が多いもんだ、なんて斜に構えてモノを見る私は かねてから思っていたものでございますが、 彼のこれまでのやってきたことや生き方などを見るにつけ、 そういうスタンスではなく、とにかく人のために何か役に立ちたい、 という思いでがんばってきたのではないのかな、なんて思ったりしております。 もしかすると、いろいろと事件を起こすような政治家の方も、 最初に当選した時はそんな思いでがんばってこられたのかもしれませんが、 いつの頃からか、何か道を外していってしまうようになるのかもしれません。 T氏には、いつまでも今の気持ちを持って、行政、政治に臨んでもらいたい。 そう願って、やみません。 同世代で、というか同い年で、しかもとても身近な存在として、 そういう表舞台で活躍するチャンスを彼が手にしてくれたことで、 私も何だか、勇気をもらえたような気がしま

【介護日記】(3)調査員さん、きたる

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ゆでたまごのすけでございます。 先週の金曜日、介護保険の受給資格を認定する 調査員さんがいらっしゃいました。 当日、母親の調子はどちらかというと悪い方に振れている状態で、 調査員さんもその状態を基準にいろいろと調査項目に チェックを入れられておりました。 多少なりとも、必要な介護の度合いを高めに設定してくれるのかなあ、 なんて心の中で思ったりしたものでございます。 介護の度合いには「要介護」と「要支援」なるものがございます。 平たく言えば「要支援」より「要介護」の方が、 受けられる介護サービスの幅が広くなる、ということでしょうか。 それと「要支援」と「要介護」だと、 相談する窓口が違ってくるのだそうでございます。 「要介護」だと、民間を含めた居宅介護支援事業者になり、 「要支援」だと、地域包括支援センターという、 自治体がそれぞれに開いている窓口になるのだとか。 ついでに言うと、「要支援」になった場合は施設サービスは受けられない。 いわゆる老人ホームと言われるような施設に入る、 ということはできないのだそうでございます。 調査員さんもおっしゃっていたのは、 うちの場合は少しレアケースなのだ、と。 母親は一応、住民票上は独居になるのだけれども、 同じ建物の一階に母親、ニ・三階に姉家族が住んでいて、 私も車で15分ほどのところに住んでいる、と。 そういう条件の場合、多少なりとも軽い判定になるのでは、と。 さらに、調査員さんがその判定委員会のような場所には 参加することはなく、委員会を構成する委員さんが、 調査員さんの調査資料と、医者の意見書をもとに判断するのだ、と。 うーん。どのレベルの判定をされたとしても、 何だかその判定の方法って、微妙に納得感がないと感じるのは、 私だけでございましょうか。 まあ、いずれにしても、もっと状態が悪く、 見てくれる親族もいないご老人の方もいらっしゃると考えれば、 私の母親は恵まれているとも言えるわけではありますが、 しかしそれは基準を下に置けばキリがないわけでありまして。 今朝テレビでやっていた生活保護の問題もそうですが、 弱い立場の人たちから普通の生活をする権利を奪うような方向って、 どんなもんだろう、と思ってしまいます。 人気blogランキングへ  ← ワンクリックお願いします。  ← こちらもぜひ。

小説「味噌汁の味」(14)

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( 13 へ戻る)  いよいよ出発である。俺たち家族を乗せた新幹線は、一路ノンストップで名古屋へ向かう。名古屋駅まで、約一時間半。俺は昨日までの疲れを少しでも癒そうと、寝に入ろうとする。 「お父さん、寝ちゃうの?」恵美子のブーイングが聞こえてくる。 「そうですよ。トランプでもやろうと思ったのに」聡美も同調する。 「しょうがないんじゃん、オヤジ、疲れてるんだろうから」浩輔の、フォローとも軽蔑とも聞こえるコメントが耳に痛い。 「わかったよ。やりましょう、トランプ」そこまで言われちゃ、俺も黙って寝ているわけにもいくまい。 「別にいいよ、無理しなくても」やはり浩輔は、軽蔑しているようだ。 「何だ、無理なんてしてないぞ」大人げないが、俺も意地になっている。 「何にする。七並べ?」一番うきうきしているのが、聡美である。 「七並べなんて、できるわけないだろう。どこに並べるんだよ」もっともな突っ込みを入れたのは、俺である。 「そんな言い方しなくてもいいじゃないですか」こちらも大人げなく、すねる聡美である。 「じゃあババ抜きしよう、ババ抜き」恵美子はいたって無邪気である。 「ババ抜きなら、母ちゃん抜きってことか」浩輔はどうしてここまで口が悪いのか。誰に似たんだ、と思って自分をふと振り返ってしまう。 「私はまだ、ババじゃありませんよ」聡美が半分本気で怒っているのは、俺にはわかる。 「おまえ、お母さんにババはないだろう」威厳を保とうとするのがありありとわかってしまう、俺の説得力のないフォロー。 「オヤジだって、そう思ってんじゃないの」ほんとに可愛げのない息子に育ったもんだ、浩輔のヤツは。 「何言ってるんだ」俺は浩輔の頭を、思わずひっぱたく。 「いてーじゃねえかよ」カードを配る手を止めて、浩輔は俺に立ち向かってくる。 「やめなさいよ、新幹線の中で」兄よりも大人っぽい、恵美子である。「そんなこと、思ってるはずないじゃん。ねえ?」 「あ、ああ。そりゃそうだ」何故だかちょっと恥ずかしくなってしまった、俺である。 「何照れてんだよ、年考えろよ」やっぱり浩輔の口の悪さは、俺に似たんだろう。 「ちょっと聞いてみたいことがあるんだけど」配られたカードを口元にあてて、恵美子は俺と聡美をのぞきこむ。「お父さんとお母さんって、どうして結婚したの」  ぐっ。俺は言葉に詰まってしまう。そんな俺を見て聡美が吹き出す

小説「味噌汁の味」(13)

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( 12 へ戻る)  どうにか、東京駅に無事到着した。  勇作のご遺族にお届けする、みやげ物も買った。東京名物「雷おこし」。最近は「ひよ子」が定番らしいが、われわれの世代にはなじまない。やはり東京みやげと言えば、「雷おこし」だろう。もらってうれしいのだろうか、食べておいしいのだろうか、という疑問はいつも感じているのだが、持っていけばとりあえず喜ばれる。だったら迷うことはあるまい。  慌てていたわりには、ずいぶんと余裕を持って駅に着いた。乗車するはずの新幹線は、まだホームにすら入ってきていないぐらいだった。普段だったらこんなに余裕を持って新幹線に乗ることはないのだが、それは単身出張をしたりする場合だからである。今回は何と言っても、家族旅行。団体行動をする以上は、少しぐらい余裕を持っておいた方がいい。何しろ家族旅行は何年かぶり、妻の聡美に至っては旅行そのものが十数年ぶりである。旅に慣れていないという緊張感は、新幹線に乗り慣れている俺の平常心すら奪っていた。  新幹線の待合室で、家族四人が電車の到着を待つ。現在、午前八時。電車は午前九時出発である。まだ一時間もある。朝食を取ってきたというのに、聡美と恵美子は駅の売店で買ってきた珍しいお菓子をほおばっている。浩輔は浩輔で、駅弁が珍しいらしく、ますのすしをかきこんでいる。しかしこんなにゆっくりと家族との時間を取るのは、何年ぶりだろう。そんな家族の姿に、ほっとする。  改めて待合室を眺めてみると、昔に比べてずいぶんと洗練されたような気がする。電車の到着状況を知らせるモニター画面はもちろんだが、何しろ煙たくない。待合室自体が禁煙になっているのだ。これならゆっくり待とうという気にもなる。 「まもなく16番線に、九時ちょうど発、ひかり○○○号、新大阪行電車が到着します……」 いよいよ、私たちが乗る電車が到着するらしい。指定席だから別に焦ることはないのだが、家族はみんないろいろと広げていたものをあたふたと片付けはじめ、ホームに上がる準備を始める。まわりを眺めてみると、土曜日だというのに意外とスーツ姿のサラリーマンが多い。ビジネスユースで新幹線を使う人たちの方が、観光目的の人たちよりも多い気がする。ご苦労様である。普段、自分が出張で新幹線に乗車する時、明らかに観光だろうというじいさんばあさんの一団が自由席を占拠して、自分は立ったまま新大阪

今どき珍しい熱血営業マン・Kさん

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ゆでたまごのすけでございます。 今年も4月になって新入社員が たくさん入ってきた、という 会社も多いことと思います。 今年の新入社員は 「デイトレーダー型」なんて 言い方もされているようですが、 まあいずれにしても、 みんな新しい生活に期待と不安を 感じながら過ごしているので ございましょう。 まわりに新入社員がいるのなら、 温かく接してあげましょう、 といつも新人にきつい言い方で 怒鳴ることが一年に一回はある 私としては、自分にも 言い聞かせている次第でございます。 そんな新入社員の面倒を見ることになったのが、今どき珍しい熱血営業マンのKさん。 彼女は在日の方でございます。 だからと言って、私は別にそういうことを気にすることはありませんし、 やれ、右だの左だの、そういうカテゴリーに属するつもりもございません。 ただひたすらに、人間として、彼女と向き合ってつき合っていると、 何と言うか、熱いなあ、暑苦しいぐらいに熱いなあ、と感じることがございます。 いや、決して悪い意味ではなくて、ですが。 彼女とは、あるお取り引きの大きな会社さんの仕事をさせてもらったことがございます。 これまで、私は求人広告をつくる仕事をさせていただく中で、 私自身が突っ走って、営業担当の人間に「まあまあまあ」となだめられたことは ずいぶんとありました。まだここに紹介していない営業マンの中で、 いろいろと世話になった人たちには思い当たる節がいろいろあるかと思います。 そんな私が、初めて「まあまあまあ」となだめる側に回ったのが、 この熱血営業マン・Kさんだったのでございます。 私は「お客様のために」という言葉を安易に使うのが好きではございません。 営利目的で広告を売っているのに、ただただ「お客様のために」というだけで 仕事をしているヤツなんているか、と思うからでございます。 ただ、支払っていただくお金の分、いやそれ以上のものを感じてもらえるように、 全力を尽くすことは、決して忘れていないつもりではございます。 しかし熱血営業マン・Kさんは、そういう気持ちを私以上にお持ちなのです。 採用活動に積極的な会社というのは、年間で数千万、数億円というお金を 投じて、採用広報を行っているのでございます。 それだけの金額を、自分に任せてもらっている。 そうである以上、その責任を全うしなくてはいけない。 そういう意

小説「味噌汁の味」(12)

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( 11 へ戻る)  結局、最後に起きたのは、俺だった。 「お父さん、もうそろそろ起きないと遅れちゃうよ」  明るい声で起こしに来たのは、恵美子だった。眠い目をこすりながら食卓に下りてみると、聡美も浩輔も黙々と朝食を食べている。 「遅いじゃないの、あなた。早く片付けちゃってちょうだいな」聡美はテレビのニュースを眺めながら、箸を口に運んでいる。 「何だよ、大丈夫か、って言っておきながら、自分が一番大丈夫じゃないじゃんか」顔を洗ってきたからなのか、浩輔の顔はつやつやしている。  何だ、みんな俺より気合い入ってるじゃないか。  朝食を終え、家族みんながそれぞれに、出かける準備を始める。聡美は朝から化粧に余念がない。恵美子もいつもよりブローを念入りにかけている。俺と浩輔は、寝間着から着替える以外にこれといってすることもなく、母娘の準備が終わるのを待っている。  家族四人全員が、一体何が入っているんだ、と突っ込みを入れたくなるぐらいにでっかい鞄を持って、玄関で右往左往する。自分の靴を探していると、鞄が誰かにあたってお互いに文句を言ってみたりして。数年前は、一年に一回は見た風景だ。俺はそんな家族を見て、何だかほっとする。  いよいよ出発、という段階になって、必ず誰かが忘れ物を思い出すのも、いつもの光景だ。 「あ、携帯忘れた」恵美子が慌てて玄関の鍵を開けて、自分の部屋へ駆け上がる。 「おいおい、もう忘れ物、ないだろうな」俺はみんなに確認する。  全員がうなづいたので、さあ行こう、と俺が門を出ようとした時だった。 「あっ」聡美が大きな声を上げる。 「何だ、どうした」俺はまたか、と思いながら振り返る。 「ガスの元栓、閉めたかな」 「大丈夫じゃないのか。確認したんだろ」 「うん、だけどもう一回、見てくる」  男からしてみれば、確認してきたんだったら大丈夫だろ、思うようなことでも、女は気にしたりする。こればっかりは、いつまでたっても理解できない、とつくづく思う。 「よし、もう大丈夫だな。さあ、行くぞ」俺は威勢よく掛け声をする。 「ああっ」再び、聡美の叫び声がする。 「何だ今度は」 「新幹線の切符、戸棚に入れっぱなしできちゃった」  そっちの方が大事だろ、と力が抜ける。先の思いやられる家族旅行になりそうだ。( 13 に続く) 人気blogランキングへ  ← ワンクリックお願いします。  ←

小説「味噌汁の味」(11)

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( 10 へ戻る)  二週間なんて、あっという間だ。  直前の一週間は、自分でも驚くぐらいに段取りよく働いた。土日に仕事を持ち込まないように、とがんばっていたら、ほんとに金曜日までで大方の仕事にメドがついた。やってみればできるもんである。つまり普段は、怠けているということだ。  同僚や部下、それに上司にも正直に話をしたら、快く承諾してくれた。俺に気を使ってくれているのか、いつもなら俺が解決していくような案件も、部下や同僚が「任せておいて」と言ってくれた。まわりがこんなにも温かく感じたのは、入社以来初めてかもしれない。  聡美は聡美で、気の早いことに木曜あたりから旅の準備を始めていた。 「どう、これは似合うかしら」  少し早めに帰ってきた金曜日には、明日早朝から出発だから早く寝ればいいのに、俺を観客にファッションショーを始めた。こんなにニコニコと嬉しそうに、自分の服を選ぶ聡美の姿を見ていると、ほのかに新婚の頃のことを思い出して、ちょっと恥ずかしかった。  水曜には仕事の合間をぬって、恵美子の試合を観戦しに行った。恵美子は、腕にキャプテンマークをつけていた。チームの仲間に激しい檄を飛ばしている姿を見て、娘の成長を改めて実感する。恥ずかしながら、少し涙ぐんでしまった。相手は強豪チーム。「勝てるわけがない」と恵美子は言っていたが、なかなかどうして、フルセットにまでもつれこむ接戦になっていた。しかしこの試合で勝ってしまうと、次の試合が土曜になるという。ここまできたら、勝ってほしいと思う気持ちと、もし勝ってしまったら、土日の家族旅行はパーになる、という思いとが交錯して、複雑な心境だった。結果としては、最終セットを取られて敗退。チームの仲間と涙する恵美子を見ながら、ちょっとでも「負けたらいいのに」と思った自分が恥ずかしくなる。 「別にいいよ、それとこれとは別だから。これで家族旅行、楽しめるね」その夜の食卓で、正直な気持ちを話した俺を、恵美子はフォローしてくれた。娘の方が大人じゃないか。またまた俺は、恥ずかしくなってしまった。  金曜の夜、一向に帰る気配のなかったのが、浩輔である。大学のサークル仲間との飲み会だと言っていたが、土曜のことを念を押す俺に「大丈夫、早く帰るから」とも言っていた。聡美も恵美子も寝静まってから、それでも浩輔のことが気がかりで俺は寝られずにいた。午前0時を回っ

【介護日記】(2)母親の調子の波

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ゆでたまごのすけでございます。 母親の体の調子の波に、むむぅ、と首を傾げてうなってしまう 今日この頃でございます。 4月12日の木曜日、母の病院についていきました。 3年ほど前に開胸手術を行いました。 大動脈瘤の除去と人口血管を入れる処置を行ったわけでございますが、 この時ぐらいから左目が見えづらくなっており、 結局視力は失ってしまった、という状態まで放置していたのでございます。 それというのも、母親の父親、つまり私のおじいさんにあたる方ですが、 おじいさんが50歳代の頃に白内障の手術を行い、 どうやらその手術が失敗に終わって完全に失明した、 ということがありまして。 母親はそれを目の当たりにしていたものですから、 自分が目を手術する、ということにものすごく抵抗を 感じておったのでございます。 私は何度か、眼科にかかるように勧めたりはしたのですが、 本人の意思は非常に固かったのと、手術後の体力回復が非常に遅く、 とても医者に通えるような状態ではなかった、 というのがございます。 その視力を失った左目が、何の拍子か眼球を傷ってしまったようで、 ずっと目がごろごろする、目やにがとまらない、 みたいな症状が出てしまって、現在の病院に通うことになった、 という次第でございます。 病院に連れて行った木曜日。母親はずいぶんと調子が良さそうでした。 ふだん、毎週土曜日に母親と外食する機会を設けておるのですが、 その前の週の土曜日は、逆に相当、調子が悪そうに感じられたのです。 歩いている目の前に壁が迫っていても、 気づかぬようにそのまま歩こうとしてみたり、 家の玄関を入ろうとして、段差に足をつまづかせてころんでしまったり、 トイレに歩いて行こうとして、気を失ったように倒れてしまったり。 こりゃほんとに、すぐにでも介護施設に入れないと危ないのでは、 と焦るぐらいなほどの状態になってしまっていたのでした。 ところがこの木曜日には、私の介助を得ながらではありますが、 まっすぐに歩けるし、転ぶような様子もないし、 むしろしっかりしていたりしました。 この調子の波ってのは、一体何が原因なんだろうと、 首を傾げずにはいられません。 今日、土曜日も一緒に食事へと向かったのですが、 わりとしっかりとしていました。ただ、帰りがけになって、 ちょっとしゃべりがおぼつかないような印象を受けたりしたので、

小説「味噌汁の味」(10)

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( 9 に戻る) 「おい、決まったぞ。再来週の土日だ。再来週の土日に、名古屋に行くぞ」俺は狂喜乱舞するように階段を下り、食卓へ向かって叫んだ。「恵美子も大丈夫だそうだ。おまえたちも、大丈夫だよな?」  聡美と浩輔は、俺の興奮をよそに黙々と夕食に向かっている。 「浩輔、おまえ大丈夫か、再来週の土日。大学、休みだろ?」 「……大丈夫だよ」 「聡美、おまえは?」 「私はいつだって大丈夫ですよ」 「よし、決まった」俺は勢いよく食卓の席につき、聡美製のみそソースを思い切りとんかつにぶっかけた。「前祝いだ。今日は食うぞ」 「まずいんじゃなかったでしたっけ」聡美はふん、と鼻を鳴らしながら俺に言う。 「そんなことあるもんか。うまいよ。うん、うまい」  お世辞には違いない。だけどいつもよりは、うまく感じていたのは明らかだった。  翌日、俺は勇作の家に電話をかけてみた。奥さんに、再来週の土日で訪ねていくことを告げておきたかったからだ。 「そうですか、わざわざすいませんねえ。きっと勇作も、喜びますわ」  気丈にふるまっているんだな、ということは電話の声からも伝わってきた。つらかろう。勇作の奥さんは、彼が東京に来てから知り合った人だ。彼が名古屋に戻ることになって、見知らぬ土地で生活するのは決して楽じゃなかったはずだ。俺にはその気持ちが、よくわかる。 「どうですか、そちらの生活は」 「はい、最初はいろいろ大変でしたけど、もう慣れましたね」 「お味噌汁の味なんて、全然違うでしょ」 「そうですね、名古屋は赤だしですからね。それにあの、ソースみたいにするの、あるじゃないですか」 「はいはい、ありますね」 「あの作り方、なかなか難しくてね。お義母さんに教えていただきましたよ」  そう、この謙虚な姿勢。いいねえ。聡美に聞かせてやりたい。 「でも、結局音を上げてしまったんですよね。あれはやっぱり、名古屋の人がつくるのにはかなわないですよ」 「あ、そうですか。そんなもんですかねえ」  やはり、聡美を責めることはできないのかもしれない。俺はちょっとがっくりした。( 11 に続く) 人気blogランキングへ  ← ワンクリックお願いします。  ← こちらもぜひ。

小説「味噌汁の味」(9)

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( 8 へ戻る)  恵美子はわずかに浮かべていた微笑みを消し、またもやそっぽを向いてしまった。 「いや、違うんだ。それはだな」俺は再びカーテンをちらっ、と開けて窓の外をうかがってみる。するとそこには、あられもない大学生と茶髪がくんずほぐれつ、を展開している。ばかやろう、カーテン閉めてするぐらいのデリカシーはないのか、と俺は舌打ちをする。 「……知ってるよ」恵美子は顔をそむけながら、絞り出すような声で言った。「……全部、見えるから」  そうか、全部見てるのか。待てよ、ということは、くんずほぐれつ、も恵美子は見ている、ということだよな。なんと教育に悪いことなんだ。そんなもっともらしい、親としての意見が頭に浮かんでくる自分が情けなかった。  冷静に考えてみれば、恵美子は高校生である。それぐらいの知識、身についていたってちっともおかしいことはない。しかも最近の高校生は、自分たちの時代なんかよりはるかにませている。それに女の子の方が、そっち方面の知識に長けているのはいつの時代も変わらないはずだ。 「……なあ、恵美子。いつだったら一緒に名古屋に行けるかな」 「……」 「恵美子にも、予定があるだろ。来週は練習、休めないんだよな。その次の週はどうなんだ」 「……たぶん、大丈夫。再来週の水曜日が試合だから、それが終われば」 「そうか、試合なのか。……じゃあ、応援に行かなきゃな」 「いいよ、来なくても。恥ずかしいから」 「そう言うなよ。これまで、ずっと行けなかったんだから」  言ってから、何だか気恥ずかしい感じがしてきた。子供の試合を見に行く。これまでの無関心さを考えれば、恵美子の方が俺の言葉に白々しさを感じただろう。 「恥ずかしいよな。俺も何だか、恥ずかしくなってきたよ」  照れて恵美子の方を直視できずに、また俺はカーテンを開けて窓の外に目を移したが、さすがに向かいの部屋のカーテンは閉ざされていた。  急にどすっ、と肩が重くなった。恵美子がのしかかってきていたのだった。 「……名古屋行くの、再来週の土日でいいのかな」  なぜか俺の目からは、涙がこぼれていた。( 10 へ続く) 人気blogランキングへ  ← ワンクリックお願いします。  ← こちらもぜひ。

【介護日記】(1)介護サービスを申請してきました

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ゆでたまごのすけでございます。 これまでこのブログでは、お世話になった人・モノへの感謝の気持ちを綴るのと、 私の小説作品を掲載してきましたが、 新たなカテゴリーとして、【介護日記】なるものを記そうかと思います。 というのも、私の母親が2006年12月で78歳になったのでございますが、 年が明けてからこの春にかけ、ずいぶんと弱ってしまった次第でして。 もともといろんな病をその強靭な精神力で克服されてきた人なのですが、 このところ私が支えながら歩くのさえ、まっすぐに歩けないぐらいに なってしまっており、これはそろそろ介護サービスが必要ではないか、 という状態になってきたのでございます。 そこで、介護サービスを受けるまでと、受けてからの話の顛末を、 日記形式にしてお伝えしていくと、もしかすると同じような状況に 置かれている方にとって参考になるのかもしれない、 ということで、書いてみようと思い立った次第でございます。 前置きが長くなりました。 本日は、役所へ介護サービスを受けるための申請に行ってまいりました。 事前に、母親がここのところかかっている眼科の先生から、 「意見書」なるものをいただいておりましたので、 それを持って馳せ参じたわけでございます。 介護が必要、と思われる方がサービスを受けるまでには、 いくつかの段階がございます。 まずはかかりつけの医師が書く、この「意見書」なるものを いただかなくてはなりません。 ちなみにこの「意見書」の書式はどうやら決まっておるようで、 その書類をもらいにまずは役所へ行かなくてはなりません。 さらに「書いてほしい」と病院に依頼してからできあがるまでに、 だいたい1週間はかかるのでございます。 そしてその意見書を病院からいただいて、 役所に提出する際には、意見書とは別に「依頼書」という書類を つけて提出せねばならない、とのことでした。 書類をいただく時には、そんな書類をもらった覚えはありませんでした。 まあそれぐらいなら、その場で書けば済むものでしたので、 とりあえずは役所の窓口で必要事項を記入して、提出いたしました。 本日は、そこまで。 提出後、1週間から10日ぐらいで、今度は状況調査をしてくださる 方からの連絡が入る、とのことでした。 介護サービスを受ける予定の人がどんな状態にあるのか、 を調べるというわけです。 その連絡をいただ

あまりにも偉大すぎるロック・バンド、ビートルズ

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ゆでたまごのすけでございます。 かつて、何かの音楽番組で、 和田アキ子さんが「みんなは 自分のルーツはビートルズとか、 ローリングストーンズとか 言うのかもしれないけど、 でも私にとっては何と言っても、 オーティス・レディングです」 としゃべっていたのを、 やけに印象的に覚えております。 そこで名前の挙がった オーティス・レディングとは何者!? と思ったものでございます。 とはいえ、世の多くのミュージシャンは、少なからずビートルズに 影響を受けたのではないか、と思わずにはいられないのでございます。 しかしながら、私の世代というのは、ビートルズはリアルタイムでは 確実になかったのも、間違いないのでございます。 1970年。私の地球上の姿である多賀大祐が生まれたのは、 まさにこの、ビートルズが解散し、三島由紀夫が自決し、 ジャニス・ジョップリンとジミ・ヘンドリックスが亡くなった年、 なのでございます。 前にも書きましたが、私の家にはなぜかドーナツ盤と呼ばれる レコードなるものが山のようにあったのでございます。 そんな中の一枚に、ビートルズのレコードが一枚だけありました。 それは、「ヘイ・ジュード」でございました。 裏面は、「レボリューション」でございました。 ヒット曲ではありましたが、はて、なぜこのちょっと本筋から ずれた曲をビートルズ原体験として聞いてしまったのか、 と今さらながらに思うのでございます。 そのレコードを聞いたのは、幼稚園の年中か年長さんぐらいの年でした。 詞の内容なんて、わかるはずもございません。 「ジュード」というのが、ジョン・レノンの息子・ジュリアンを 指している、というのを知ったのは、ジュリアンがメジャーデビューを 果たして小林克也さんのやっていた「ベストヒットUSA」で ジュリアンの曲がランクインした時に知ったぐらいでございましたから。 ところが、そんな「ヘイ・ジュード」と「レボリューション」を聞いた 私は、なぜだか母親と姉に ビートルズの他の曲が聞きたい。 と言ったのでございます。 ビートルズの曲がいい、と言ってもいろいろあるけど何がいいの? みたいなことを聞かれた覚えがありまして、 それに私は、 メンバーの四人がジャケットに写ってるヤツ。 と答えたのでございます。 みんな、四人とも写ってるんだけどなあ。 と、母親と姉が困惑していたものでした

小説「味噌汁の味」(8)

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( 7 へ戻る) 「どこ見てんのよ!」  穴が開くほどじっくり見ていたことに、俺は自分自身気づいていなかった。恵美子は恥じらいながらも、俺を軽蔑の眼差しで見つめていた。さらに形勢は悪くなる一方だ。 「いや、すまん。別にいやらしい気持ちで見てたわけじゃないんだ」 「うそ」 「うそなもんか。自分の娘をそんな目で見る親がどこにいる」  恵美子はふんっ、というようにそっぽを向いてしまう。コミュニケーションは、どうしてこんなにも難しいのだろう。そりゃあ部下もついてこないはずだ。いかんいかん、また仕事のことを考えている。今は家族の問題だろ、しっかりしろ、俺。 「あのな、父さんはただ謝りに来ただけなんだ」  長い沈黙。息苦しい。 「すまなかったな。でも明日、着ていくものがないってことはないだろ」  反応なし。恵美子はそっぽを向いたままだ。 「……もしかして、あのアパートの大学生のこと、好きなのか」俺はカーテンを少し開けて、向かいのアパートを覗いてみる。  恵美子はやはり、部屋のベッドに体操座りで背中をもたせかけたままだ。 「父さんな、おまえがどんな男を好きになっても、構わないと思ってる。だけど一つだけ、約束してほしいんだ」 「何」 「つきあった彼のことは、ちゃんと俺に紹介してほしい。それだけは約束してくれ」  恵美子はやっと、俺にわずかな微笑みをかけてきてくれた。ふう。少し安心してもう一度、窓の外を眺めてみると、向かいの部屋には茶髪に真っ黒な肌の女が入ってきて、俺の目もはばからずに大学生と深い深い接吻を交わしていた。 「向かいの学生は、やめておいた方がいいと思うぞ」おいおい、言ってることが違うだろ。頭の中の俺は、俺自身に突っ込みを入れていた。( 9 へ続く) 人気blogランキングへ  ← ワンクリックお願いします。  ← こちらもぜひ。

小説「味噌汁の味」(7)

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( 6 へ戻る)  二階の、恵美子の部屋の前に立つ。こういう場合は、やはりノックをするべきなのだろう。しかし自分の娘の部屋に入るのに、そんなに気を使わなくてはいけないものなのか。ずけずけとドアを開けて入っていけばいいじゃないか、父親ならば。いやいや、父親とは言っても、娘は年頃の女の子だ。男親に見られたくないところだって、あるに違いない。何を言っているんだ、家族じゃないか。隠し事などするべきじゃないだろう。ちょっと待て、そんなことを言えた義理の父親なのか、俺は。 「そこにいるの、お父さんでしょ。入ってこないでよ」  部屋の中から、恵美子の声がする。いろんな考えが頭の中をぐるぐるしている間に、先に釘を刺されてしまった。 「い、いや、あの、恵美子。話したいことがあるんだけど」おいおい、ずいぶんと気弱じゃないか。父親の威厳を示したらどうだ。 「放っといてよ」  娘がそう言ってるんだから、放っておいてあげたらどうだ。いやいや、ここで放っておいたら、もう次のチャンスはないと思った方がいい。何を言ってるんだ、今までさんざん放っておいたくせに。違う、だからこれからは、放っておいたらいけないんだ。  まるで俺の頭の中はジキルとハイド状態だった。 「あのな、今、話したいことがあるんだ」俺は、意を決した。「中、入らせてもらうぞ」  入ってこないで、と言われるかと俺は思っていた。しかし恵美子からの拒否を示すリアクションは、なかった。正直、ほっとした。  恵美子は、ソースで汚れた制服のまま、ベッドにうつぶせになって横たわっていた。 「おい、制服、脱いだらどうだ」 「やだよ、お父さんいるから」 「わかったよ、向こう向いてるから、さっさと着替えなさい」  ベッドに背を向けると、窓から外が見渡せる。改めて外を眺めてみると、隣りのアパートの一室が、丸見えになっていることに気づく。真正面の部屋には、今帰ってきたばかりの大学生らしき男の姿が目に入ってきた。 「なんだ、隣りのアパート、丸見えだな」 「ちょっと!」着替え途中の恵美子が、慌てた様子でカーテンをぱっ、と閉めに来た。「のぞかないでよ」  恵美子の行動に呆気にとられると同時に、恵美子の胸が思いのほか大きく膨らんでいることに、俺はあんぐりと口を開いてしまっていた。( 8 へ続く) 人気blogランキングへ  ← ワンクリックお願いします。  ← こち

時代より早すぎた男・父、多賀三好(その2)

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ゆでたまごのすけでございます。 時代よりも早すぎた人、 というのはいると思います。 亡くなってから評価された、 というアーティストというのは、 和洋を問わず多いのでは、と。 そんな偉大な方々と並べて 称するのはおこがましいですが、 私の父親・三好も そんな側面のある人でした。 確か、私が小学五年生ぐらいの頃だったと思います。 当時、父親は一体何の仕事をしている人なのか よくわかりませんでしたが、 いずれにしても転職をしたということは何となくわかりました。 それはなぜかというと、社宅と言われていたマンションを、 引っ越さなくてはいけなくなった、ということだったからです。 ということは、その社宅を持っている会社を辞めたのだろう、と。 それで、次に働き始めた会社というのが、 どうも環境関連の設備を売る会社のようだったのです。 今ならきっと、もっと注目をされた会社だったのかもしれません。 当時は1980年初頭。まだバブルもやってきていない、 高度経済成長の余韻が残っているような時代です。 環境問題の「か」の字も世の中で騒がれていない頃ですから。 そんな会社で、父親から聞かされたのは、 この液体を、どぶ川の水に垂らすと一瞬にして真水になり、 汚泥が沈殿するんだ。すごいだろ。 という話でした。 確かにすごいなあ、と思ったものです。 続けて、父親は言いました。 この液体を使った水をきれいにする設備を、 全国の浄水場に導入したらどうなると思う。 みんな、きれいな水をふだんから飲めることになるんだぞ。 おお、それはすごい、と。 でも、当時はまだ水道水が飲めやしない、 なんてこともありませんでした。 当然ながら、ミネラルウォーターなんて飲料水が、 世の中で売られていることもありませんでした。 どうやら父親は、その不思議な液体を使って、 水を濾過する設備を自治体に売り込もうとしていたようなのです。 今から考えれば、そんなもん、簡単に売れるわけないやん、 と突っ込んでいたのかもしれません。 一般企業ならともかく、自治体なんてそんな簡単に動かない。 そのもくろみは、やっぱりうまくいかなかったようで、 その後は父親もまた別の仕事に移った、という記憶があります。 でも、その後、父親が病に倒れて体が不自由になった頃、 テレビのニュース番組でその液体のことが紹介されているのを見ました。 ああ、もしか

小説「味噌汁の味」(6)

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( 5 へ戻る) 「あ」俺は、うめき声とも叫び声ともつかぬ音を発する。予測のつかない事態に直面すると、人間というものは何一つ行動ができなくなる。まるで走る車の前に飛び出してしまって、身動きの取れなくなってしまった猫のようなものだ。  恵美子はきっと声を上げて、怒ってくるだろう。そんな俺の予測とは裏腹に、恵美子は声を上げずに肩を揺らせながらめそめそと泣き出してしまった。 「す、すまん」俺はテーブルの上を見渡しながら言った。「おい、ふきんはないか、ふきんは」 「ちょっと、どうしたのよ」聡美は椅子から落ちて泣いている恵美子のもとへ駆け寄ってくる。「あらあら、ソースで真っ黒」 「何だなんだ」騒ぎを聞きつけ、好奇の声を上げて浩輔が階段をどたどた、と降りてくる。「何だよ恵美子、オヤジに泣かされたのか」 「ひ、人聞きの悪いこと言うな」必死に威厳を保とうとする俺の声は上ずっている。「不可抗力だ」 「ちょっとあなた、恵美子に謝って下さいよ」 「お、俺は謝ったぞ。なあ、恵美子」  恵美子はショックだったのか、肩を揺らしながら泣くことを止めない。 「謝れよ、オヤジ」ここぞとばかりに、という意図がはっきりとした嫌味な口調で浩輔が言う。「いつもオヤジ、言ってたじゃんか、悪い時は素直に謝れって」 「だから謝ったと言ってるだろう」俺もだんだん意地になってきた。「だいたいソースがこぼれたぐらいで、そんなに泣くことはないだろう。制服だって、替えがあるだろうが」 「あ」恵美子の服をふきんで拭いていた聡美が、短く声を上げてしりもちをついた。恵美子が聡美を突き飛ばし、ソースに汚れた服のまま二階へ走って駆け上がってしまったからだ。 「ちょっと恵美子、汚れた服、着替えてちょうだいよ」聡美は体を起こし、二階へ向かって叫んでみる。「聞いてるのかしら、あの子」 「母ちゃん、腹減った。先に食べてもいいかな」大きなため息をつき、騒ぎにすっかり関心をなくしたかのように、浩輔がテーブルに向かって座って箸を取る。 「ああ、食べてちょうだい。片付かないから」聡美もまた、ため息をつく。「お父さんがいると、どうしてこうなっちゃうんだろうねえ」  俺がいると、こうなる。俺がいないと、こうならない。  確かにそうだった。たまに俺が早く帰ってみると、聡美と喧嘩をしてみたり、子供たちを叱ってみたり。それも大したことでもないのに、騒ぎを大き

負けるな、と言ってくれている気がする・中島みゆき

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ゆでたまごのすけでございます。 春の選抜高校野球、終わりましたね。 桜の花も今週末にはほぼ散りそう、 という感じで、春が終わりに向かって いるのだなあ、と「もののあはれ」な 雰囲気に浸っている今日この頃 でございます。 春の選抜高校野球の入場行進曲は、夏の全国国高野球選手権と違って 毎年変わるわけでございますが、今年はTOKIOの「宙船(そらふね)」 でございました。作詞作曲が中島みゆき、 ということでずいぶん話題にもなったかと思います。 私、中学生ぐらいの頃から、中島みゆきの大ファンなんでございます。 大ファンというのは、ほんとにほんとに大ファンでございまして、 これまでのアルバムは全て、といっていいぐらいに私の書斎の CDラックにところ狭しと収まっているのでございます。 小学生ぐらいの頃には、「悪女」「あの娘」「悲しみ笑い」など、 ベストテンなんかのランキングに顔を出すヒット曲は知っておりました。 逆に言うとそれぐらいしか知らず、アルバムに収録されている曲などは、 ほとんどと言っていいほど聞いたことがございませんでした。 中学三年の受験期に、私は思い切り志望校を滑って、へこんでおりました。 そんな時、当時は東京に住む私と両親とは別に、 愛知県で教員をやって一人暮らしをしておりました11歳違いの姉から、 「元気を出せ」ということでカセットテープが送られてきたのです。 その中には、前に取り上げましたレッド・ツェッペリンも入っておりましたが、 同時に中島みゆきの曲も別のテープにセレクトしてくれておりました。 そんな中で私の心に刺さったのが、 「予感」というアルバムに入っている楽曲たちでした。 このアルバムは、私にとって中島みゆき史上最高峰、 と勝手に位置づけておる次第でございます。 別れを告げられた女の切ない心情を淡々と歌い上げる「この世に二人だけ」。 闘いに破れた人たちをある意味で励ましている「誰のせいでもない雨が」。 そして、そんな人たちの味方だよ私は、と宣言してくれる「ファイト!」。 受験を失敗した直後の私は、 涙なしにか聞けなかった楽曲ばかりでございます。 以来、私は中島みゆきさんのアルバムが発売されたらすぐに購入するし、 「夜会」なる演劇仕立てのライブにも何度も足を運びましたし、 著書はまるでバイブルのように読ませていただいたりしておりました。 年を経るごと

小説「味噌汁の味」(5)

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( 4 へ戻る) 「ちょっとお父さん、何言ってるの。やめてよ、そんなの恥ずかしいから」恵美子は真剣な顔で、俺を止める。 「だって先輩たちが来ると、休めないんだろ」 「そういう問題じゃないでしょ、もう」 「父さんの言うことが聞けないってのか」 「どうしてそういうことになるのよ」 「お父さん、いい加減にして下さい」聡美が呆れたように言う。「そんなに無理に行こうとしなくたっていいじゃないですか」 「いや、これは大事な問題だぞ。俺だけの問題じゃない。家族の問題だ」 「よく言うよ。どう考えたって、お父さんだけの問題じゃない」 「何を言ってるんだ。よく考えてもみろ、家族で旅行するなんて、これから何度もできることじゃないだろう」 「だからって別に来週じゃなくたって」 「もう、早く食べてちょうだいよ。いつまでたっても、片付かないじゃないの」恵美子の言葉をさえぎって、聡美は現実的なことを言う。「ちょっと、浩輔呼んでくるわよ」 「おお、呼んでこい、呼んでこい。みんなで話し合おうじゃないか」俺はもう、すでに興奮状態である。 「話し合いも何も」大きなため息をつきながら、恵美子はとんかつにソースをかけようとする。 「待て待て待て」俺は慌てて恵美子の手からソースの瓶を取り上げる。「こんなソースで食べるんじゃない」 「何よ、もう」恵美子は俺からソースを奪い返そうとする。「ほんとに、いい加減にしてよ」 「今日のとんかつは、家族みんなで、味噌かつにして食べるんだ」 「そんなの、誰が決めたのよ」 「俺が決めた」 「いつ」 「たった今だ。今日の晩ごはんは、味噌かつだ。名古屋への家族旅行への序曲だ」もう俺は平静ではいられなくなっていた。「こんなソースは、邪道だ。しかもブルドッグソースなんて、名古屋の人間はソースと言えばコーミソースなんだ」 「何よ、それ」 「知らんのか。名古屋の有名なソースメーカーだ」 「知らないわよ、そんなの」 「ああ、情けない。名古屋人の娘に生まれながら、コーミソースも知らないなんて」 「私は名古屋で生まれたわけじゃないし」恵美子はさらに力をこめて、俺からソース瓶を取り返そうとしてきた。「ちょっと、早く返してよ」 「返さない」 「返して」 「意地でも返さん」 「返して」  どばーっ。ソース瓶についたソースに滑ったのか、俺は突然手を放してしまい、力任せに引っ張っていた恵美子は座っていた椅

私の創作活動に大きな影響を与えた巨匠・小津安二郎

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ゆでたまごのすけでございます。 この初夏には、北野武さんと 松本人志さんが監督になって 撮った映画が公開されるようです。 松本さんの「 大日本人 」も、 何だか「松本さんらしい映画」と 出演者の方々がコメントされて いるようで楽しみですし、 北野武さんの「 監督、ばんざい。 」も何だか、 久しぶりのたけしさんのコメディー映画で、 昭和の人たちには何だか懐かしい要素が いろいろと取り混ぜられているような感じが、 予告編を見る限りはしていました。 そんなたけしさんの映画の要素の中に、 どうやら私の大好きな小津安二郎のテイストも、 取り込まれているようでございます。 小津安二郎監督。言わずと知れた、黒澤明監督と双璧を担うと言われる、 昭和初期から30年代に君臨された巨匠でございます。 今、このブログで連載させてもらっております、 私の拙作「味噌汁の味」も、まあタイトルをご覧いただければわかるように、 小津監督をリスペクトしているゆえにつけたものだったりします。 いろいろな映画を見ましたが、小津監督の映画は私にとっては大きな衝撃でした。 何が大きな衝撃だったかというと、「日常」でございます。 淡々と、ストーリーが展開していくあのリズム感。 棒読みとも言ってしまえるような抑揚を押さえたセリフと演技の数々。 演技は派手に、どかんと、熱く、と思っていた私にとって小津映画との出会いは、 これまでの考え方を全部ひっくり返されたような感じでした。 日常を、描かれるわけであります。 でも、小津監督がテーマとしてきたのは「もののあはれ」でございます。 無常感。人はいつかは死ぬ。変わらないものなどない。 このコントラスト。たまらなく心にしみるのでございます。 しかし小津監督も、世の中の評価というものに反発したい気持ちは 十分おありだったようでございます。 家族もので、コミカルな作品を撮られる、という印象が 勝手に歩いていってしまって、 豆腐屋はがんもどきしかつくれないことはないんだ、 とんかつだってつくれるんだ、とばかりにつくった作品 「東京暮色」はずいぶんと酷評されたと言います。 私もこの作品は見ましたが、確かに小津さんの作品の中では異質で、 まったく救いのない終わり方をしてしまうのでございます。 言うなれば、「ダンサー・イン・ザ・ダーク」のような。 ミスチルの「深海」のような。たとえがお

自分たちで考えることを教えてくれた恩師・T先生

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ゆでたまごのすけでございます。 NHKの「 プロフェッショナル 仕事の流儀 」なる 番組をついつい見てしまいます。 今日、取り上げられていたのは、 ごく普通の中学校の先生でした。 足立区の中学校教師・鹿嶋真弓先生。 エンカウンターなる教育手法が クローズアップされておりましたが、 教育は手法ではないな、ということを 鹿嶋先生の姿から感じました。 たぶん、同じ手法を別の先生が単純に取り入れたとしても、 学級崩壊を起こしていたクラスが同じように立ち直る、 ということはないんだろうなあ、などと思いながら見ておりました。 ふと、自分の中学時代のことを思い出しておりました。 2年生の時の担任・T先生が、一番印象深く記憶に残っております。 T先生がおっしゃっていた話で、よく覚えている話があります。 こんなこと言ったら不謹慎かもしれないけどさ、 横断歩道を必ず渡らなきゃいけないってことはないと思うわけよ。 だって横断歩道の信号が青だからって、 車が突っ込んでこないとは限らないでしょう。 信号が青で、しっかりまわりを見て、車が突っ込んでくることはないな、 と確認した上で渡らないと、信号無視で突っ込んできた車は避けられない。 車が突っ込んでこないことが確認できれば、 横断歩道がないところだって渡れるわけだよ。 そんなことを、普通にホームルームかなんかの時間に語られたことを はっきりと覚えています。今、そんなことを先生が言ったとしたら、 無粋な親が何だか不謹慎だ、とかクレームをつけてきそうでございますが。 でも、このT先生がおっしゃっていたことは、 要するに自分の目で見て、ちゃんと判断しなさいよ、 ということではないかと思うのでございます。 そういう力を身につけることが、 世の中を生きていくには大事な力になるんだぞ、と。 私は、こういうことを普通におっしゃってくれたT先生が好きでした。 担任していただいた時のクラスが、体育祭で優勝を遂げた時も、 他の先生に黙ってろよ、と言いながらアイスクリームを おごってくれたのが、未だに忘れられずにおります。 きっと、どこか私の中に、みんなが正しいと言っていることが、 果たしてほんとに正しいのかどうか、というのをちゃんと見極めよう、 という意識が働くのは、そんなT先生の言葉が心に残っているのだと 今更ながらに思うのでございます。 思春期の、私の心に響

小説「味噌汁の味」(4)

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( 3 へ戻る) 「来週の週末はどうだ」俺は嬉々として恵美子に言った。 「来週? 来週は部活の練習があるんだけどなあ」恵美子の無邪気そうな顔が、わずかにゆがむ。 「お父さんは知らないのよ、もうすぐ全国大会だって」 「え、全国大会?」俺は慌てて聡美に聞き返す。 「恵美子の学校、予選で優勝したのよ。もちろん、恵美子の活躍で」 「そうだったのか」俺は恵美子を振り返る。「どうして教えてくれなかったんだ」 「どうしてって、別に」恵美子は俺と目を合わせようとしない。「だって教えようにも、お父さん家にいないし」  俺は頭を抱えた。俺はこんなにも、家族のことを置き去りにしていたのか。 「しょうがないでしょ、お父さんはお仕事で忙しいんだから」 「聞き飽きたわよ、そのセリフ」 「お父さんがいなかったら、私たち食べていけないのよ」 「それも何度も聞いた」 「そうね、確かにそうよね」聡美は一人うなずきながら、食卓に夕食の献立をたんたんと並べながら言う。「私も言い飽きたわ」  抱えていた頭を上げてみると、食卓には揚げたてのとんかつが並んでいた。 「何だ、これ」俺は思わず聡美に聞いてみる。 「何って、とんかつよ」聡美は冷蔵庫から取り出した、瓶を持ってテーブルに向かってくる。「これで我慢してちょうだい」  瓶の中には、例の聡美製名古屋みそソースが入っている。違うんだ。これじゃないんだ、と思ってはみるものの、言葉にできない俺がいる。 「えー、またこれ? これ、おいしくないじゃない」 「だってお父さん、食べたいっていうんだからしょうがないでしょ」起伏がない声で、聡美は言う。「あんたは普通のソースで食べればいいじゃないの」 「……おいしいんだよ」俺の声は、腹から絞り出したかのように低かった。「ほんとはもっと、おいしいんだよ」  俺の言葉に、聡美はぴくっと反応する。そりゃそうだろう。自分の料理にケチをつけられれば、誰だって怒るに決まっている。でも俺は、言わずにはいられなかった。 「ほんとは赤だしみそにみりんと砂糖をたーっぷり混ぜて、時間をかけて煮込むんだ。そうすると、甘くてコクのあるみそソースになるんだ」 「ふーん、そうなんだ」気のない返事をしながら、恵美子は携帯のメールをチェックしている。「あ、来週の練習、先輩たちも来るんだ。ますます休めないや」  その瞬間、俺は決意した。何としても、どんな障害があっ

小説「味噌汁の味」(3)

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( 2 へ戻る) 「だったら私がつくりますよ」アイロンの電源を切って、聡美はうっとうしそうに立ち上がる。 「いや、いいよ」 「いいって、食べたいんでしょ」 「いや、それでもいいよ」 「どうしてです」 「ううん」何と答えたらいいのか、俺は言葉に詰まる。「だから、家族みんなで、名古屋に行って、食べたいんだ」 「そんなこと言われてもねえ」  前に聡美が、いわゆる味噌かつにかける味噌ソースをつくってくれたことがある。しかしやはり何かが違うのである。その時は、おいしいと言いながら食べてはみたが、正直なところ満足できるものではなかった。そんなことを、今さら言えるはずもない。 「ただいまあ」玄関から、息子の浩輔の声が聞こえてくる。 「お帰り。なあ浩輔、名古屋に行かないか」息子を出迎えながら、俺はいきなり切り出した。 「何だよ、急に」 「お父さんのお友達が、亡くなったんですって」聡美がエプロンをつけながら、解説をしてくれる。「お線香をあげに行きたいんですって」 「そんなの、オヤジ一人で行ってくりゃいいじゃん」 「でもな、ここのところ何年も、家族旅行も行ってないじゃないか」俺は息子を味方につけようと必死である。 「オヤジが忙しい、って言うから行けなかったんだろ、毎年」 「まあ、そうなんだけどな」実際にそうだから、どうも歩が悪い。 「それに、そんな急に言われたって、俺だって大学あるし」 「何言ってんだ。大学なんて、もう試験休みだろ。それに普段だって、ちゃんと行ってるのか」 「行ってるよ。何だよ、説教かよ」浩輔はぷいっ、とそっぽを向いて自分の部屋へ向かってしまった。  いかん、こういう時に仕事人間は、家族を味方につけられない。俺は今さらながらに後悔をした。こうなったら、娘を味方につけよう。俺は食卓に向かってどっかりと座り、娘の帰りを待った。 「恵美子は、まだ帰らないのか」 「もうそろそろじゃないですか」 「ずいぶん遅いじゃないか」時計を見ると、もうすぐ6時だ。 「部活の練習がありますからね」  そうだ、そうだった。恵美子はバレーボール部のエースアタッカーだった。恵美子が小学生の頃、よく全国大会まで応援に行ったものだった。中学、高校とバレーボールを続けていることすら、すっかり頭の中から抜け落ちていたことに、俺は愕然としていた。 「ただいまあ」恵美子の元気な声が、玄関から響いてきた。「あれ、