小説「味噌汁の味」(16)

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「実は」と俺が言い出そうとした、ほぼ同じタイミングだった。
「ほら、富士山が見えたわよ」
「わあ。ほんとだ。でっかーい」
 困っていた俺をフォローしようと、恵美子と浩輔の気をそらすために聡美が言ったのだ。恥ずかしい気持ちを押さえて、子どもたちに言ってみよう。そんな決意をしたつもりだっただけに、俺はへなへな、と力が抜けていくのが自分でわかった。俺と聡美のなれそめよりも、富士山の方が珍しいらしい。そんなもんだろう。
「そういえばあの日も、富士山が見えたのよね」聡美は感慨深げに、ため息をつきながら言う。
「あの日って?」
「私と、お父さんが結婚の挨拶に、お父さんのおうちに向かった日よ」
 おいおい、その話は俺がしようと思ってたんだぞ。俺はそう思いながら、萎えた気持ちを元に戻せないまま、ふて腐れたようにそっぽを向く。やっぱり素直じゃない。
「私の両親、そう、あんたたちのおじいさんとおばあさんは、私たちの結婚に大反対だったのよ」
「え、なんで」
「そうねえ、おじいさんとおばあさんは、古い人だったから」
「古い人?」
「そう。男はしっかり働いて、家族を養うもの。女はご主人と、それに家庭を支えて家にいればいい。そんな考え方だったから」
「なるほどねえ」とは、浩輔。
「そんなのないよ。ジンケンシンガイだよ」とは、恵美子。
「そうよねえ、今じゃ考えられないけど、でも当時はまだそんな考えの方が当たり前だったのよ」
「お父さんは、しっかり働いてなかったの」恵美子は俺の方をちらっ、とうかがってから聡美に聞く。
「そういうことじゃなくてね。お父さんも私も、学生だったから」
「へえ、学生結婚だ。すげー。やるじゃん、オヤジ」
「うるさいんだよ、おまえは」ませたことをぬかす息子の頭を、俺はひっぱたく。
「いてえなあ、ポンポン叩くなよぉ」
「まあまあ」聡美は、浩輔をなだめながら言う。「まあ、確かに当時としては、珍しいというか、新しかったかもしれないわねえ」
 俺は、当時のことを思い出す。同棲時代、なんて言葉がちまたで流行していた頃だ。俺と聡美もご多分に漏れず、そんな生活を楽しんでいたと思う。だけど何だか、まわりの連中みたいに、金がなくて、フォークギターを弾きながら、自分たちの貧しい生活に酔っているような雰囲気はなかった。ごく普通に、二人で一緒の部屋で暮らすことが、楽しくて仕方なかっただけだった。聡美の実家から送られてくる仕送りのおかげで、生活に不自由することはなかったし、俺もちゃんとアルバイトを真面目にこなしていた。
 セックスは、さんざんしていたと思う。だけど避妊は間違いなくしていた。子どもをつくっても、今の二人にはその責任をまっとうすることができない、と感じていたからである。だがそんな俺たち、いや、俺の姿勢を非難するヤツもいた。「愛の結晶をつくろうとしない君は、彼女のことを愛してなんかいないんだ」。外野はほんとに、好き勝手なことを言ってくるもんである。(17へ続く)

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