【雑感】加藤智大へのシンパシー。
ゆでたまごのすけでございます。
秋葉原連続殺傷事件の加藤智大被告、
死刑判決が下りましたね。
彼のように、自分本位でしか物を考えられない人が、
起こす犯罪というのは過去にもいろいろあったかと。
そして、そんな事件が起きるたびに、
被告となる彼らに対して私が感じるのは、
常にシンパシーなのでございます。
もちろん、被害にあった方のご遺族の方には、
そんな言い方をする私を責める方もおられるでしょうし、
亡くなった方のご冥福を心から祈るしか、
私には他に何もできることはございません。
私も、相当自分本位なヤツでございます。
人の傷みがわからない、などと言われることもありますし、
私自身、そういう側面があると自覚しております。
自分を大事に扱ってもらえないと、
すぐにすねますし、逆ギレのようなこともします。
そんな自分を許せなくて、好きになれなくて、
いい顔をしようとして、途中で「無理!」と投げ出すことも、
これまでどれほどあったことでございましょう。
そんな自分と、自分本位な犯罪を起こす彼らと、
どこか共通点があるように思えてならないのでございます。
あくまで臆測ではございますが。
彼らには、理解者がいなかったのだろうと思うのでございます。
友だちがいなかった。親が自分と向き合ってくれなかった。
一言で言うなら、寂しいヤツなんだろう、と。
だから、法廷でも何一つ語ることはないし、
どうせこういう場で語っても自分を理解してくれることなんてない、
という諦めがあるのでございましょう。
「ほんとのことをしゃべれ」と、
加藤被告の裁判でもご遺族の方が法廷で叫んだり、
被害者の方が面会を希望しても会えなかったり、
というのは、きっと彼が「わかってなんてもらえない」と、
諦めているからではないかと思ってしまうのでございます。
だからと言って、人を殺していいとはまったく思いません。
死刑がいいかどうかは別として、
罪はしっかりと償わないといけないと思います。
しかしながら、死刑が宣告されるたびに、
そんな彼らがどうしてできてしまったのか、
まったく追求することなく死刑が執行されてしまうたびに、
彼らに対して私はシンパシーを抱かずにはいられないのでございます。
もっとわかってもらえる人がいたら。
もっと優しくしてもらえる人がいたら。
きっと彼らは、そんな風にはならなかっただろうに。
もしかしたら、更生できたかもしれないのに。
そして、私が彼らのようにならずにいられるのは、
こうして文章を書いて表現するという手段を持っているから、
ということと、
そんな私でも優しく見守ってくれる人たちがいるから、
ではないかと思うのでございます。
秋葉原連続殺傷事件の加藤智大被告、
死刑判決が下りましたね。
彼のように、自分本位でしか物を考えられない人が、
起こす犯罪というのは過去にもいろいろあったかと。
そして、そんな事件が起きるたびに、
被告となる彼らに対して私が感じるのは、
常にシンパシーなのでございます。
もちろん、被害にあった方のご遺族の方には、
そんな言い方をする私を責める方もおられるでしょうし、
亡くなった方のご冥福を心から祈るしか、
私には他に何もできることはございません。
私も、相当自分本位なヤツでございます。
人の傷みがわからない、などと言われることもありますし、
私自身、そういう側面があると自覚しております。
自分を大事に扱ってもらえないと、
すぐにすねますし、逆ギレのようなこともします。
そんな自分を許せなくて、好きになれなくて、
いい顔をしようとして、途中で「無理!」と投げ出すことも、
これまでどれほどあったことでございましょう。
そんな自分と、自分本位な犯罪を起こす彼らと、
どこか共通点があるように思えてならないのでございます。
あくまで臆測ではございますが。
彼らには、理解者がいなかったのだろうと思うのでございます。
友だちがいなかった。親が自分と向き合ってくれなかった。
一言で言うなら、寂しいヤツなんだろう、と。
だから、法廷でも何一つ語ることはないし、
どうせこういう場で語っても自分を理解してくれることなんてない、
という諦めがあるのでございましょう。
「ほんとのことをしゃべれ」と、
加藤被告の裁判でもご遺族の方が法廷で叫んだり、
被害者の方が面会を希望しても会えなかったり、
というのは、きっと彼が「わかってなんてもらえない」と、
諦めているからではないかと思ってしまうのでございます。
だからと言って、人を殺していいとはまったく思いません。
死刑がいいかどうかは別として、
罪はしっかりと償わないといけないと思います。
しかしながら、死刑が宣告されるたびに、
そんな彼らがどうしてできてしまったのか、
まったく追求することなく死刑が執行されてしまうたびに、
彼らに対して私はシンパシーを抱かずにはいられないのでございます。
もっとわかってもらえる人がいたら。
もっと優しくしてもらえる人がいたら。
きっと彼らは、そんな風にはならなかっただろうに。
もしかしたら、更生できたかもしれないのに。
そして、私が彼らのようにならずにいられるのは、
こうして文章を書いて表現するという手段を持っているから、
ということと、
そんな私でも優しく見守ってくれる人たちがいるから、
ではないかと思うのでございます。
コメント
学校教育って、そういう意味でまったく役に立たなかったという気がします。
彼が目の前の人とちょっとした世間話でもして「今日は雨が降ってますねえ。」「そうですね」だけでも自分以外の人と共感できるだけで、心が落ち着けるということを知っていたら、こんな犯罪も起きなかったと思います。
ほんと、そういうことだと思います。
私も自分を一人だ、と嘆く瞬間ってありますが、
そうでもないや、ってすぐに思える状況にいるので、
彼のようにはならないで済んでいる気がします。