【介護日記】(34)最終回です
ゆでたまごのすけでございます。 介護日記のカテゴリーは、最終回になります。 ならざるを得なくなってしまった、という方が正しいですね。 母親が5月4日、亡くなりました。 直前のブログを更新した後、 その日の夕方に容態が急変し、 完全に意識を失ってしまって、 だんだんと心拍数が落ちていき、 血圧も下降気味になってしまったのです。 そしてその深夜、23時40分、息を引き取りました。 人間、血のつながった肉親を失った時というのは、 まるでドラマのように嗚咽するものだということを、 初めて知りました。 葬儀は、近親者のみで静かに執り行いました。 祭壇には、母が生前に使っていたメガネのコレクションや、 アルバムの数々を並べて、 身内の者たちでいろいろ昔の話に花を咲かせておりました。 昭和3年生まれにしては、 若い頃の写真が数多く残っているのが珍しいのではないでしょうか。 母の実家は、お父さん(私のおじいちゃん)が郵便局長で、 わりと裕福な家庭だったのです。女学校も出てますし。 おしゃれな人だったと思います。 普通はこんなデザインや柄の服なんて着れない、 と思うような服を普通に着て歩ける人でした。 さっきのメガネコレクションも、 そのほとんどはディオールとかサンローランとか、 そういったブランド品ばかりでしたし。 「年寄りの集まりに行くのは大嫌い」と公言していた通り、 自分が年寄りだということを最後まで認めたくない、 という気持ちを押し通す人でした。 4日の午前中、 危篤状態の母親にまだ意識がある状態で、 会うことができました。 私が号泣し、嫁や子供も号泣しながら、 母の手を握りしめていたら、 ふと、母親の意識が戻り、 私たちのそんな姿に目をやり、 まるで「やめて!」というように、 その手を振りほどきました。 きっとその時、母は、 「私はまだ死なんから、そんなのやめて」 と言っていたのでしょう。 そんな、気丈な母でした。 あれから10日ほど経ちました。 ようやく、気持ちの面でも整理がついてきた感じです。 いろいろ、手続きや申請といった事務処理が、 さまざまに残っている状態ではありますが。 ご心配をおかけしたみなさん、申し訳ありませんでした。 もう、大丈夫です。しっかりと、前を向いて進みます。 いろいろあって、 愛憎劇とでも言うべき体験もさせられた母でしたが、 それでも、私を生んで
コメント
どんなに悲惨な出来事があっても
桜は毎年、必ず花を咲かせて
人々のこころを癒してくれる
花見自粛なんて間違ってる!
自然は時に私たちへ猛威を奮うこともありますが、
変わらぬ姿を見せてくれている時には、
私たちの心を癒してもくれるものでもあります。
無常感とは日本的なるもの、とつくづく思います。
自然は人に悪いだけじゃないですね
桜は自然が与えてくれる癒しですね。
不思議だ。
人はなぜ桜を見て癒されるのだろう?
人のDNA遺伝子に記録されてるのかな?
ずっと四季のある国ですから、日本は。
綿々と受け継がれた記憶のようなものが、
私たちの心の底にあるのではないでしょうかね。